熱と手
ファンタジアを無事終え、打ち上げが開かれた。いつも以上ににぎわいを見せるギルド内。ナツは、ファイアジュースを飲みながら辺りを見渡した。
ナツと同様に大怪我を負っているガジルの姿が見当たらないのだ。これだけ人数が多いと、匂いでも探せない。あきらめかけた時、耳に声が入り込んだ。
二階で、ガジルとマカロフが会話を交わしている。騒がしいギルド内でも、聴覚の鋭いナツには聞こえてしまったのだ。
「何だ、二階かよ」
どうせなら混ざればいいのに。
そう考えながらジュースで喉をうるおす。しかしナツの動きは、自然と入って来る会話に止められた。
ガジルとマカロフの会話はナツを動揺させるには十分だった。ガジルが二重スパイであった事やイワンの事以上に、イワンがラクサスの魔水晶を狙っているという事だ。
ナツは動揺を隠しきれず、ガジルとマカロフの会話が終わっても何もない場所を見つめる。そんなナツの姿にハッピーが心配そうに顔を覗き込んできた。
「ナツ、怪我が痛むの?」
ハッピーの声に、我に返ったナツはにっと笑みを作った。
「こんぐらい何ともねぇよ」
ナツの言葉に安心して、再び魚に食らいつくハッピー。それをどこか遠くで見つめてナツは小さくため息をついた。
妙に胸が騒いだ。会話を聞いてしまったせいか落ち着かない気分になる。
「どうした?飲んでねぇな」
隣に座っていたグレイが数杯目の飲み物を飲み終えて、ナツへと身体を傾けた。腕をナツの首にかけただけだが、大怪我を負っているナツにはそれだけでも負担がかかる。
「いてー!!てめ、喧嘩うってんのか!」
「お?やんのか、クソ炎」
少し酔っているようだ。グレイは、赤い顔をナツに近づけてにやにやと笑みを浮かべている。
「やめないか、グレイ。ナツは怪我をしているんだぞ」
すかさずエルザに止められて、二人は引き離された。グレイの鬱陶しさでナツの思考は完全にかき消されてしまい、ナツはジュースを一気に飲み干した。
後日、ラクサスが破門された事がギルド内に告げられた。
「どういう事だよ、じっちゃん」
ナツだけではなく、ギルド内は動揺に包まれる。どれほどの事があっても、ラクサスがギルドの仲間であった事には変わりないのだ。
何も言わずナツの言葉を受け止めるマカロフに、ナツの不満は募るばかりだった。
「何でだよ!だって、ラクサスは……ッ」
イワンに狙われてんだろ。
その言葉は声に出される事はなかった。ナツは口をつぐむと、そのままギルドから出て行ってしまう。
その後、ナツが不自然なほどに大人しくなった事に誰かが手を打っていれば変わっていたのかもしれない。
ラクサスが破門された数日後の朝、ナツは姿を消した。
「大変だよ!ナツがいなくなっちゃった!」
朝、知らせに来たのは、ナツと一緒に暮らしているハッピー。翼を使って全速力でギルド内へと飛び込んできた。
涙をあふれさせながら騒ぐハッピーにギルド内は騒然となった。
「トレーニングでもしてんじゃねぇのか?」
グレイの言葉にハッピーは首を振るう。
「探したけど、どこにもいないんだ!荷物も、なくなってる」
鼻をすするハッピーに、グレイは顔をしかめた。エルザも動揺を隠せないようで、顔を強張らせている。
「最後にナツを見たのはいつだ?」
「一緒に寝たよ……あ、でも」
ナツと一緒に就寝ついたハッピー。しかし、ふと深夜に目を覚ました時に、ナツが起きていた。今まさに外に出ようとしていたようで、扉に手をかけていた。
『ナツ?どこか行くの?』
目をこすりながら問うハッピーに、ナツは振り返ることなく静かに声を落とした。
『すぐ戻るから、ハッピーは待っててくれ』
『?あい。分かりました』
一時目が覚めただけで夢現だったハッピーは、疑問にも思わずに寝なおしてしまった。
ナツがその後どうしたのか分からない。その時のナツがどんな表情だったのか、どんな思いだったのか分からない。
「……ナツが出ていったのは夜か」
エルザの言葉に、ハッピーは身体を震わせた。
「ナツ、すぐに戻るって言ったんだ!」
「そういえば、最近のナツ様子おかしかったわよね」
ルーシィが心配げに声を落とした。それは誰もが分かっていた事だ。それでも、そっとしておこうと言う思いや、ナツなら大丈夫だという気持ちがあったのだ。
不安に身体を震わせるハッピーに、ルーシィは慌てて言葉をつなげる。
「まだ帰ってないだけでしょ?一人でクエストに出たのかも」
「いや、依頼は受けておらん」
カウンターに座っていたマカロフが小さく呟く。
振り返ったルーシィの目には、どこか遠くへと視線を向けるマカロフの姿。
「でも、ちょっと遠くまで出かけてるだけじゃ」
「わざわざ、ハッピーを置いてか?」
ルーシィの言葉を打ち消すように、グレイの冷たい声が響く。苛立っているのか口調が強くなっている。
「じーさん。ナツはラクサス追いかけたんだ」
誰も否定はできなかった。
ナツとラクサスが恋仲であった事を知っていたからだ。
「ハラ減ったー」
ナツはぐったりと倒れ込んだ。
マグノリアを出て数日。森の中に入ってからは二日になる。入ったものの、なかなか抜ける事が出来ない。入り組んでいて、同じ場所を何度も通っている様な気がする。
川でもあれば水分を補給できるし、魚もいるかもしれないのだが、森に入ってから常なら鋭い感覚が鈍ってしまっている。小動物一匹も見つける事が出来なかった。このままでは餓死はまぬがれない。
地面に伏せたままのナツに水滴が落ちた。次第にそれは数を増していく。雨が降り始めたのだ。
どこか雨宿りしたいが、身体を動かすのも億劫だった。
「だめだ、眠ぃ……」
秋を終え冬に差し掛かる時期。ナツのいる地は山に近い場所で、夜は冷え込む。雨が降れば気温も下がるだろう。
食事をとっていない事で、生命の源である魔力も低下しているのだろう。滅竜魔法で強化されている身体のおかげで常ならば気温など無関係といっていいナツの身体は、次第に体温を奪われていた。
身動き一つしないナツの耳に、土を踏みにじる様な音が届いた。それは次第に近づきナツの側で止まる。
「おい、死んでんのか」
ナツの瞳がうっすらと開く。首を動かす力もなく視界に映ったのは足だけ。声からして男だろう。男がしゃがみこんだのと同時に、ナツの意識は飛んでしまった。
暖かくて心地良い。それは、とても覚えのあるものだった。意識を飛ばしても、その感覚はゆっくりと伝わってくる。これは、懐かしい背中の上。
目を開くと、一番に視界に入ったのは天井の木目だった。
「……どこだ、ここ」
ナツは首を動かして周囲を見回す。
ナツが眠っているのはベッドで、それ以外は簡素な机程度しかない。部屋の中は眠気を誘う程に暖かく、ベッド近くには窓が設置されている。記憶にない場所だ。
ナツは身体をゆっくりと起こすと、窓から外へ視線を向けた。木造の家と、人。緩やかな時を目で見ているように、子供は駆け回り、大人達は働きながらも笑顔が絶えない。
「マグノリアじゃねぇ」
そう大きくはない村だ。しかし、己が何故この場にいるのかという疑問は、すぐにかき消える。
「マフラーがねぇ!!」
首の違和感にナツは目を向いた。いつでも身につけているマフラーがない。あのマフラーは姿を消してしまった養父であるイグニールからの贈り物だ。
ナツは顔を強張らせて、ベッドから抜けだした。
ベッドの下、机、さして探す場所もない部屋中を探しまわっても見つからない。それ以前に、ナツの持っていた荷物さえも見当たらない。
「イグニールの、マフラー……」
瞼が熱くなり視界がにじむ。ナツは唇をかみしめた。
部屋の外にあるかもしれない。部屋を出ようと取っ手を掴む前に、扉が開かれた。
「目ぇ覚めたのか」
上から声が降って来る。男の声だ。しかしナツはそれよりも、ちょうど己の視線の高さににあるものに目がいっていた。
男が手にしているのはナツが探していたマフラーだ。ナツが固まっていると、それを手にしていた男はマフラーをナツへと差し出した。
「そんなに大事なものなのか?ほら」
ナツは再びこみ上げてくる熱を抑えながら、飛びつくようにマフラーを受け取った。早速とばかりに首に巻きつける。
やはり巻いている方がしっくりくる。
小さく息を吐き、落ち着いたところで、ナツは目を吊り上げてマフラーを手にしていた男を睨みつけた。
「お前か!俺のマフラー……」
ナツは男の顔を確認して、目を見開いた。ナツが吐き出そうとしていた言葉は止まり、唇が震える。
「お前、」
「ラクサスさん!」
ナツの耳に柔らかい声が響く。軽い足音が近づき、それはナツの近くで止まった。
男は走り寄ってきた女性へと振り向いた。
「どうした?」
女性と親しげに会話を始める男は、ナツが探し求めていた男だった。
右目に傷を持っている金髪の男。ただ違うとすれば、かきあげられていた前髪は昔のように前に垂れていた。記憶の中とは違い、身につけているのは簡素な白いシャツ。それぐらいだ。
「……ラクサス?」
ナツが小さく呟くと、男はナツへと振り返った。
「ラクサスは俺の名前だ。お前は……おい、大丈夫か?」
ラクサスと名乗る男が心配げに手を伸ばす。近づいてくる手に、ナツは眉をひそめた。
大きな手には小さい傷がいくつもある。ほんの小さいものだけど、幼い頃から仕事をしてきたために出来たのだと、ナツは知っていた。
骨ばった手がナツへと届く前に、ナツの身体は傾いた。完全に意識が飛ぶ前に聞こえたのは、待ち焦がれていたはずの声。
同じ声で、同じ手で、同じ顔。だけど、何かが違う――――
『くだんねぇヘマしてんじゃねぇよ』
冷やされたタオルを額に感じながら、ナツは目を細めた。横になるナツのベッド横に腰かけ、ラクサスは汗ではりつく髪を払ってやる。
『怪物の討伐にいって毒食らったんだってな』
毒をもつ怪物の討伐依頼を受け、どうにか達成したものの、おまけに毒を貰ってしまったのだ。ギルドに帰還する事はできたものの、すぐに発熱した。昨日の話だ。
全く熱が下がる気配はなく、珍しい事にナツがベッドに入ったまま二日目に入っていた。
『お、おお。こんなん、何とも、ねぇけど……エルザが、寝てろって、言うから』
区切りながら話しても最後には息を切らしていた。
熱で顔を赤くするナツに、ラクサスは手をナツの頬へと伸ばした。
『ん、』
ラクサスの手の甲がナツの頬へと触れると、ナツはびくりと体を震わせた。
『つめて』
『てめぇが熱いんだよ』
ラクサスは、手の甲から伝わって来る熱に、顔をしかめた。
『熱上がってんじゃねぇか』
ナツは荒い呼吸を繰り返しながら、ラクサスを見上げる。
『上がってるって、何で、分かんだ』
熱が出てから、ラクサスと顔を合わせたのは、今が初めてだ。
まっすぐに見つめてくるナツに、しばらく部屋は静寂が支配する。ラクサスが返答する事はないだろう事は、ナツはすぐに察する事が出来た。
『別に、いいけど』
ラクサスが頬から手を離すと、ナツは名残惜しげに手を見つめる。
『寝ろ。これ以上熱上げんじゃねぇ』
口には出さなかったが、寝ている間にラクサスは来ていたのだろうなと、ナツには妙な確信が持てた。
瞳を閉じて、すぐに意識は薄れ始めた。近くにラクサスの存在を感じるからか、妙に心地良かった――――
ひやりと頬に触れる感覚がして、ナツは目を開いた。
「目ぇ覚めちまったか」
男の手の甲がナツの頬に触れていたのだ。
ひやりと冷たいそれが、ゆっくりと離される。
「熱があるんだ。寝てろ」
夢から覚めたばかりで、夢か現実か判断が付かなかった。そうでなくても、男が言うとおり熱がある様で思考が上手く働かないのだろう。
部屋を出ていく男に、次第に現実だとはっきりしてきた。
ナツが己の頬に手を伝わせれば、先ほど男が触れてきた手の感触が、まだ残っているようだった。
「やっぱ、お前だ」
ナツは、ぐしゃりと顔を歪めた。
隠すように目に腕を乗せると震える唇を動かせた。
「それなのに、何で、」
ラクサスと名乗る男は、まるでナツの事を知らないかのような接し方だ。そんな態度を取られ、ナツの性格ならば、掴みかかって問いただすだろう。しかし、そんな気分にはなれなかった。
熱があるせいで身体がだるいからなのか。分からずにナツを支配するのは、覚えのない胸の痛み。
「ラクサス……」
腕で隠された瞳から滴が零れ、それはこめかみへと伝った。
2010,05,28