同じ目線を追っていた
バトルオブフェアリーテイルを交えた収穫祭は、ファンタジアを終えて幕を下ろした。一月もたてば、負傷者たちの傷も癒え、まるで何事もなかったように見える。
閉店間際のギルドは客足がまばらだ。いつもは片付けにまわっているミラジェーンも早々に帰宅してしまい、看板娘のミラジェーンがいなくなれば彼女目的で来ていた客も帰っていく。ギルド内で働く店員のみといってもいいだろう。
そんな中、ナツはギルド内を眺めていた。ニ階の柵に腰かけて、一階を見下ろす。
改築されてからは、S級魔導士でなくても二階に上がる事が出来る。目標にしていたナツにとって不満はあったが、今この場から眺めるギルドは嫌いではなかった。
「この場所で、いつも見ていたんだな」
背後から声がして振り返れば、フリードが立っていた。
収穫祭後に、反省として坊主頭にした髪は伸び、当初通りとはいかなくても肩を越えている。
フリードはナツのそばに歩み寄り柵に手をかけた。ナツと同様にギルドを見下ろす。
「これが、ラクサスの目線だったのか」
フリードの言葉にナツは目を見開いた。
ナツも同じことを考えていた、フリードの言葉はまるでナツの代弁でもしているようだ。
「眺めはいいが、遠いな」
「……つまんねぇよな」
S級魔導士だけがニ階に上がる事を許されていたと言っても、エルザがニ階に上がる事は少ないし、ミストガンなどギルドに姿を現すこと自体が珍しい。ギルダーツに至っては長い間クエストに出てしまう。ニ階にいたのはラクサスだけといっていい。
「泣いていたのか?」
フリードの指がナツの目元に触れれば、人差し指に水滴が付いた。ナツは慌てて、目元をこする。
「泣いてねぇよ!」
その動作では、肯定にしかとれない。擦ったおかげで目元は赤くなってしまった。
フリードは、ナツの顔を見つめて痛そうに顔を歪めた。
「すまない」
「何が」
いきなりの謝罪の言葉に、ナツは瞬きを繰り返した。
「俺は止められなかった」
バトルオブフェアリーテイルの事を言っているのだろうか。ナツは今さらの言葉に首をかしげたが、フリードの言葉の意味は違っていた。
「ラクサスが街を出ていく時、俺たち雷神衆はラクサスと会ったんだ」
親衛隊として、ラクサスとはギルドの人間の中でも共にいた時間が長い。そのせいもあるのだろう、ラクサスは街を出ていく間際、雷神衆の三人には別れを告げていた。
ナツの揺れる瞳に映る己を見つめ、フリードは口を開いた。
「せめて一目会えていれば気持ちの整理がついていただろ」
フリードには、ナツがいまだにラクサスの事を引きずっていると思っているのだろう。実際ナツは、二階からギルドを眺めながら出て行ってしまったラクサスの事を考えていたのだから。
ナツは紡ごうとしていた言葉を飲みこむように開きかけた口を閉ざした。フリードの瞳を見つめ返して、再度ゆっくりと口を開く。
「会っても変わんねぇだろ。あいつが街を出るって決めたんだ」
破門を決めたのがマスターであるマカロフであったとしても、マグノリアを出ていくと決めたのはラクサスだ。破門にされた時点で街を出て行くのは自然な流れだろうけど。
「ラクサスが決めた事に、俺が何か言うつもりはない。ラクサスなりのけじめだったんだろうと思っている。ただ……」
フリードは言い淀みながら、続けた。
「ナツ、お前が悲しむ姿は見たくなかった」
「それどういう……ぅお!?」
フリードの遠回しな言い方ではナツには伝わりづらい。
フリードへと詰めようと、重心をかけた手は、手摺から滑ってしまった。支えがなくなった身体は背後に傾いていく。このまま倒れれば後頭部から床に直撃するのは免れないだろう。
態勢を整えようとするナツよりも早く、フリードが動いた。
「わ、悪い」
倒れかけていたナツの身体は、フリードの腕に寄って止められた。
「……俺では、支えてやる事はできないか?」
「いあ、十分助かってる」
今まさにフリードの手でナツの身体は支えられているのだ。ナツも身体を預けている為、今フリードが手を離せば背中から落ちる事になる。
しかし、フリードが告げたかった意味は違う。フリードは両腕を回して、ナツの身体を抱きしめた。
「これなら分かるか?」
ナツは状況についていけず、身体を硬直させた。
「好きなんだ」
「いきなり何言って」
「お前が、ラクサスに恋愛感情を持っていた事は気づいていた。今でも、その想いは変わらないんだろう」
ナツは顔を上げた。その顔は赤く染まっていて、間近で見たフリードは思わず苦笑した。
「安心しろ。おそらく、俺以外は気づいていない」
ナツの密かな想いに誰も気が付きはしなかった。フリードが気づく事が出来たのは、ナツと近い想いをラクサスに持っていたからだろう。もちろん、フリードの場合は恋愛感情ではない。種類は違えど、好意という意味では同じだ。
「今のナツに言うのは卑怯だと分かっている」
それでも。
か細く吐き出された声は、精一杯に感じる。
「好きなんだ。お前の心を支えていきたい」
「支えるって、俺は別に何ともねぇよ」
ラクサスがいなくなった事が寂しくないわけがない。それでも、一人で立てない程に弱くはない。
まっすぐに見上げてくるナツの瞳。フリードはナツを隠すように強く抱きしめた。
「全て吐き出していいんだ」
困惑したようにナツは瞬きを繰り返す。
しかし、己でも分からない感情が溢れだすようにこみ上げてきた。目頭が熱くなる、それを堪えようとするナツの制御を、フリードは消し去ってしまう。
「ナツ」
フリードが優しく囁けば、ナツの瞳から滴が零れおちた。止まることなく流れる涙。
ナツはしがみ付くようにフリードの胸に身を寄せた。フリードの服を握りしめる手が震えている。
「今はラクサスの変わりでいい。いつか、俺を見てくれれば、それでいいんだ。だから、俺を頼ってくれないか」
フリードの言葉がナツの耳に入っているのか分からないが、いつもよりも弱々しく見えるナツを今は支えていたいと、フリードはただ守るようにナツを抱きしめていた。
言葉をかける必要などない。触れ合う体温が心を落ち着かせ、満たさせる。
暫くすれば、嗚咽が聞こえなくなり震えていた体は治まってきた。変わりに鼻をすする音が聞こえ、ナツの手がフリードの身体を押す。
ナツはフリードの身体を引き離し、俯いたまま小さく呟いた。
「悪い……」
泣いたことを恥じているのか、すがった事を恥じているのか、どちらにせよナツの心情は耳の赤さが物語っていた。
手の甲で目元をこすり、鼻をすする。俯いたままで顔を上げようとしないナツに、フリードは愛おしげに微笑んだ。
「ナツ」
名を呼ばれて、途端にナツは身体をびくりと震わせた。
「な、何だよ」
ナツに向かって伸ばしかけた手は、第三者によって止められてしまった。
「すみませーん。閉店なんですけどー」
一階から女性店員の声が聞こえる。間延びした話し方で、空気はいとも簡単にぶち壊されてしまった。
行き場の失った手は宙に浮いたままで、フリードは反応しきれずに固まっていた。
やっと顔を上げたナツが、それを見て噴出した。その表情にフリードも苦笑した。
「帰るか」
「おお!」
ナツが腰かけていた柵から降りて階段へと向かって歩いていく。
フリードは、先を行くナツの腕をひいて、一階から死角に物影へと引き込んだ。驚きで目を見開くナツの頬に、フリードの手が滑る。
「嫌なら殴っていい」
近づいてくるフリードの顔に、ナツでも何をされるのか察しがついた。しかし、迫って来る顔から逃げはせずにフリードの瞳を見つめる。
フリードは少し戸惑いながらも、己の唇をナツの唇に重ねた。触れるだけで、すぐに離しフリードはナツの瞳を見つめた。
「いいのか?」
「……分かんねぇ。でも、嫌じゃねぇ」
嫌悪感はないのだろうが、ナツの言い方は相手を喜ばせるだけだ。無意識で言っているのなら性質が悪い。他の者にも言ってしまったらと想像するだけで、フリードは嫉妬に駆られそうになった。
フリードはそんな感情を隠すように、再び幼い唇に触れた。今度は深く、舌を侵入させ、戸惑う舌に吸いつく。ナツが小さく身体を震わせた。
唇を離せば、頬を紅色させるナツの顔が間近にある。フリードはこみ上げる衝動に、顔を顰める事で耐えた。
苦しげなフリードの表情をナツはぼうっと見つめ、手を伸ばした。だいぶ伸びたフリードの髪に指をからませる。自分の桜色でもなく、ラクサスの黄色でもない、深緑。
「髪、伸びたな」
熱い吐息と共にもらしたナツの声に、フリードは苦笑した。
「反省のつもりだったんだが、伸びるのが早い」
髪の毛を弄ぶナツに、フリードは笑みを浮かべた。
「また切るべきか……ナツはどう思う?」
「どっちでもいいだろ」
興味がないのか。想い人に軽く言われては寂しいものがある。
「長くても短くても、フリードだからな。でも、俺は、この色好きだ」
フリードの心情を察したわけではないだろうが、ナツが発する言葉には胸を鷲づかみされたような気分になった。
「ナツ……」
フリードは、誘われるように再び唇を重ねた。先ほどもした行為なのに、触れ合うだけの口づけは微かな体温を分け合うように、より切なく感じた。
「好きだ。ナツ」
何度も告げた。フリードがナツの返答を欲しているのは、ナツ自信も感じ取っているだろう。それでも、ナツは言葉を返しはしなかった。ただ、フリードの瞳を見つめていた。
後日、六魔将軍討伐にナツ達が選抜された。マカロフから説明を受け、各自準備ができ次第、集合場所へと発つ事となった。
先に準備を済ませたナツはギルドへと赴いていた。まだ来ていないルーシィ達を待っているハッピーを置いて、ギルドの裏にいた。
目の前には顔を歪めるフリードの姿。
「行ってくるな」
こうして呼び出しでもしない限り、ゆっくりと挨拶をする事もできない。わざわざ己を選んで人気のない場所へと呼んでくれたナツ。フリードにとって嬉しくないわけがない。
フリードはナツを抱きしめた。逃さぬようにと力を込めると、ナツの耳元で小さく呟く。
「気をつけろ」
声は震えていた。まるで何かを恐れるような、泣いているかのようにも聞こえる。これから戦いに赴くのはナツの方なのに。
「泣き虫だな」
「泣いていない」
フリードは腕の力を緩めてナツと目を合わせた。年上としての自尊心がある。特に、想い人である相手なら、なお更弱いところなど見せたくないものだ。
「ミラに聞いたぞ。すげー泣いてたって」
バトルオブフェアリーテイルの時の話だろう。あの時の、ミラジェーンの体温と声は心を酷く揺さぶってきたのだ。もちろん、嫌な意味でも、特別な意味もない。
事実なだけに、リードは何も言い返せなかった。
悪戯っぽく笑みを浮かべるナツに、フリードは降参だと溜息をついた。
「だが、今は泣いていないだろ」
優しげに細める眼には、涙の気配はない。
フリードが上体を微かにかがめているために、深緑の髪がナツの目の前で揺れていた。
ナツは、その髪を手にとるとおもいきり引っ張った。フリードの痛みに顰められた顔が、至近距離まで近づくと、ナツは踵を上げて更に顔を近づけた。
一瞬だけ唇が合わさる。不慣れなナツはぎこちなく、勢いがつきすぎたのか歯が当たって、互いに痛みが走る。
それでもナツには満足だったのか、呆然と見つめるフリードににっと笑みを向けた。
「やっぱ、長い方がいいな」
硬直しているフリードに、ナツは踵を返した。
「じゃ、いってくる!さっさとぶっ潰してくんなー!」
小さくなっていく背中。その背中から目をそらせて、フリードは唇に指を伝わせた。ナツからの積極的な口づけで唇が切れてしまっていた。
血の付いた指先を隠すように握りしめて、フリードは目を閉じた。
「無事に帰ってきてくれ。ナツ」
帰ってきたら、その時こそお前の心を聞かせてくれ。俺はここで待っている。
2010,04,30