南口公園
これといった予定もない暇な休日、ナツは寮を出て町をぶらついていた。
昼近くになり昼食を考えていた時だ、通りかかった南口公園が妙に人で賑わっている。
集まっているのが子供ならいつもの公園の風景だったかもしれないが、大半が大人だ。女性ばかりで、ナツと同い年ほどの者もいる。
ナツは好奇心に駆られて人だかりへと近づいて行ってはみたのだが、人が多すぎて原因が何か分からない。しかし見れないとなると余計に気になるものだ。
人込みをかき分けて無理やり進んでいけば、行き成り甲高い声が響いた。鼓膜を破られるのではないかという程の破壊力を持ったその声は、周囲に満ちている。
「サラマンダー!!」
「ステキー!こっち向いてー!」
あまりの衝撃に目眩がするほどだ。
「……つか、さらまんだー?」
聞き覚えのある単語だ。
手で耳を覆いながらも人だかりの先へと視線を向ける。しかし、視界の端に小さい影が入ってきて、ナツはそちらに視線を向けた。
小さな子供が、興奮する女性たちに押されてふら付いていた。まるでボールが弾んでいるようだ。遥かに背の高い大人たちに囲われては危ないだろう。
ナツは子供へと近づくと身体を支えてやった。
「大丈夫か?」
子供は顔を歪めた。泣きそうなその表情に、ナツは子供の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「危ねぇから出た方がいいな」
人だかりを抜けようとするナツに、子供はしがみ付いた。動きを止める様なその行動にナツは首をかしげた。
「おにいちゃん。オレ、さつえい見たいんだ」
子供の言葉にナツはようやく合点がいった。人込みが出来ていたのは、撮影で芸能人が来ていたからだったのだ。つまりは野次馬。
芸能人に興味がないナツは、人だかりへの興味もすぐに失せた。腹も減りはじめたから寮に戻りたいのだが、子供が訴えかける様に見上げてくればそうもいかない。
「仕方ねぇな」
少し見るぐらいならと、子供を周囲から守りながら前へと進むが野次馬の熱気は異常だ。
目当ての芸能人への注意を引きたいのだろうが、飛び跳ねたりする者までいる始末。子供がいたら怪我するのではと危惧してしまう。
「それにしてもすげぇな。誰が来てんだよ」
アイドルとかだろうか。思考に意識が半分持っていかれ気が緩んでしまった。
「ちょっと邪魔よ!」
容赦なく横から押されてナツは身体をよろけさせた。白熱している人ごみだ、一度体勢を崩すと先ほどの子どもの様な状態になる。人にぶつかっては弾かれての繰り返し。
そして、子供を巻き込まないようにしたせいか体勢を崩してしまった。倒れるのを避けようと踏みとどまった瞬間、背後からの衝撃。
「サラマンダー様ー!!」
一層増した黄色い声が脳を揺さぶる。
ナツは人込みから飛び出る様にして倒れてしまった。
「ぐぇ!、いてて……」
倒れて打ち付けた身体もそうだが、耳も痛む。
グラグラ頭を揺さぶられながらも起きあがろうとしたナツに、影がかかった。
「大丈夫か?」
降ってきた優しい声。
惹かれる様にナツが顔を上げると、太陽を背にした男がナツへと手を差し出していた。
逆光で表情は読みづらいが、男の髪が燃え盛る炎の様な色だという事は分かる。
差し出された手に自分の手を乗せると、ナツの身体は引っ張られた。勢い付きすぎて前に傾いたナツの身体を男の腕が支える。
「怪我はなさそうだけど服が汚れてるな」
周囲の女性の黄色い悲鳴も気にならない程に男は特別に輝いて見える。
ナツがぼうっと男を見上げていると、男は柔らかい笑みを浮かべてナツの手を引いた。足が動き始めてようやくナツは我に返る。
「おい、どこに行くんだよ」
男は足を進めながら肩口に振り返った。
「そのままで居るわけにもいかないだろ」
そう言ってナツが連れていかれたのはロケバスだった。普通の車とは違い中は広くメイクや着替えられるようになっている。
何着もかかっている衣装の数々。男がそれを漁っている間、ナツはただバスの中を眺めていた。
物珍しさにきょろきょろしていると雑誌が積まれているのが目に入る。その雑誌はナツもよく知るもので、ルーシィが毎週かかさず購入している芸能雑誌の週刊ソーサラー。
その表紙を見てナツは目を見張った。衣装を選んでいる男へと視線を向けて指を差す。
「お前、サラマンダーか!!」
ナツの声に振り返った男は、少し前にルーシィに見せられた週刊ソーサラーの表紙を飾っていた芸能人。モデルや俳優として活躍しているサラマンダー。
呆然としているナツに、サラマンダーは一着の衣装を手にとって差し出した。
「これに着替えなさい」
服など寮に帰ればいくらでもあるのだが逆らう気にはなれず、ナツは促されるままに着替えた。
衣装は全てサラマンダーに合わせたものだったのだろう。同級生と比べても大きい方ではないナツには、この服は大きすぎる上に不釣り合いだった。
持て余した袖が手をすっぽりと隠している。
「やっぱり大きいか」
サラマンダーはくすくすと笑みを浮かべると、ナツの手を隠している袖を居り返してやった。
見栄えがいいとは言えないが、邪魔ではなくなっただろう。
少し不満そうに袖を見つめるナツにサラマンダーは目を細める。
「君を見ていると他人の様な気がしないな」
サラマンダーの言葉に、前にどこかで会ったのだろうかと記憶を探ってみるがナツには覚えがない。これ程までに有名なら一度会えば忘れないはずだ。
うーんと唸るナツの頭にサラマンダーの手が伸びる。好奇心旺盛な性格を表す様にあちこちにはねた髪。それに長い指が絡まった。
「綺麗な桜色だ」
「そうかぁ?」
自分の髪を摘まんで見るナツ。しかし毎日の様に見ているのだ、今更見たところで印象は変わらない。
訝しむ様なナツの表情を見つめていたサラマンダーが小さく呟いた。
「もし……」
夢うつつの様な声にナツはサラマンダーの目を見つめた。切れ長の目、その瞳が揺れている。
「もし、俺に子供がいたら、」
「サラマンダーさん、撮影入ります!」
外界を閉ざす様に完全に締め切られていたロケバスの扉。それが音を立てて開けられると同時に、撮影スタッフが顔を覗かせた。
夢から醒めたようにサラマンダーはナツから手を放して、スタッフへと顔を向ける。
「今行きます」
サラマンダーの作る雰囲気に飲まれていたナツも我に返った。時計を見れば食堂の昼食時間を過ぎている。
「やべ!俺も戻らねぇと飯食いそびれる!」
身を翻して出て行こうとするナツの腕を、サラマンダーの手が捕らえた。
動きを止められて振り返ったナツを、炎の様な印象を持つ髪と同色の瞳が見下ろす。
「ここでの撮影がまだ何回かあるんだ。また会ってくれるかな」
「おお。服も返してぇしな」
サラマンダーは別に服の事を気にしていったわけではない。しかし同意したナツに機嫌を良くしたようだ。笑みを浮かべてナツの頭を優しく撫でた。
「次に会えた時は名前で呼んでほしい」
「あ?サラマンダーだろ?」
サラマンダーは否定を示す様に首を振るった。芸能人が本名で活動するのは多くない。サラマンダーもそうだったのだ。
大きな猫目を見つめて、サラマンダーの口がゆっくりと名を紡いだ。
「俺はイグニールだよ」
「俺はナツだ。またな、イグニール!」
ナツはイグニールに見送られてその場を後にした。
20100924