一途な恋
家の呼び鈴が鳴り響く。来客の確認をしに行ったラクサスは玄関先で立つ人物を確認すると笑みを浮かべた。
『じーじ!イグニールが来たよ!』
家でくつろいでいる祖父マカロフに声をかけて、急いで玄関の扉を開く。
『こんにちは。ラクサス』
『いらっしゃい!イグニール……?』
目の前で立っている赤毛の男イグニール。その待ちわびた人物に気を取られていて気が付かなかった。イグニールに手を繋がれている、自分よりも幼い存在に。
桜色の柔らかそうな髪と、猫の様な瞳。幼いその目と合い、ラクサスは頬を赤らめた。
固まってしまったラクサス。イグニールは片膝をついて、己と手を繋いでいる子供に視線を近づけた。
『ほら、ご挨拶だろ?』
子供は気付いたようにはっとした後、目の前のラクサスを見上げた。
『なっちゃんだよ。よーしくね』
子供ナツが挨拶をしてもラクサスは固まっていて動かない。イグニールが首をかしげていると、家の奥からマカロフが出てきた。
『久しいのう、イグニール。その子がナツか』
『はい。可愛いでしょう?』
顔を緩ませるイグニールは親バカそのもの。マカロフは溜め息をついて二人を家の中へと招き入れた。
イグニールとマカロフが話しをしている間は、ラクサスがナツの面倒を見ている。
一通り話しを終えたイグニールは、仲の良くなったラクサスとナツを微笑ましそうに眺めていた。
『ラクサスも弟が出来たみたいで嬉しいんじゃろう』
今はラクサスがナツを抱えるように座って、絵本を読み聞かせている。ヘンゼルとグレーテルの話しだ。
『おかしー』
ナツの手が絵本を叩く。お菓子の家が魅力的なのは子供にとっては仕方がない事だ。容赦ないナツの攻撃に本が叩き落とされた。
『おなか空いたの?』
『なっちゃん、おかしなの』
顔を覗き込むラクサスに、ナツは精一杯顔を上げてラクサスに訴える。言葉がおかしいが空腹を訴えているのは間違いない。
ラクサスはイグニールへと振り返った。
『ねぇ、イグニール。オレが作ったおかしなっちゃんにあげてもいい?』
『ああ、もうおやつの時間か。いいけどナツは……』
イグニールの言葉を最後まで聞かずに、ラクサスはキッチンへと走っていってしまった。
ラクサスの姿に苦笑するイグニール。それにマカロフは視線を向けた。
『アレルギーでもあるのか?』
それならば注意しなければ命にかかわる。しかしマカロフの言葉はすぐに否定された。首を振ったイグニールの表情が、柔らかく緩む。
『ナツは俺が作った菓子じゃないと食べないんです』
どういう意味かと訝しむマカロフに、イグニールが続けた。
『味が分かるみたいで、他の菓子は全く手を付けない』
味というよりも見た目で判断しているのか。匂いで嗅ぎ分けているのなら犬並だ。
親バカを発揮するイグニールを呆然と見ていたマカロフ。その視線が、小さな足音へと向けられた。ラクサスが菓子の乗った皿を手に戻ってきたのだ。
菓子の匂いに反応したのか、食い入るように絵本を見つめているナツがラクサスへと振り返る。その口からは涎が出ていた。
『おまたせ、なっちゃん。はい』
ラクサスの手が、一つ菓子をとってナツの口へと向かう。しかしナツは差し出される菓子をじっと見つめているだけだ。
ラクサスの幼い心を傷つけてしまうのではないかと心配したイグニールが止めようと立ちあがった時だった。
ナツの小さな口が菓子に食いついた。そのまましゃくしゃくとクッキーを咀嚼する。
『おいしい?』
『しー。これしゅき』
ふにゃりと笑顔を向けるナツに、ラクサスも笑みを浮かべた。
『……驚いた』
イグニールが浮いていた腰を下ろした。
ラクサスの手ずから菓子を食べるナツを唖然と見つめていたイグニールの視線がマカロフへと移る。
『前に試した事があったんです。分量を教えて他の奴に作らせたり……でも、ナツは口を付けなかったのに』
他にも有名な菓子店のものなども試したがナツが口にする事はなかった。それがこうもあっさり他人の手から菓子を食べている。
イグニールは感心したようにラクサスを見つめた。
『きっと将来すごいパティシエになるな』
孫を褒められて嬉しくないわけがない。マカロフが照れたように笑みを浮かべていたが、次の瞬間目を見張る言葉を耳にする。
『ラクサス』
名を呼ばれて顔を上げたラクサスに、イグニールは続けた。
『大きくなったらナツをお嫁さんにもらってくれるか?』
ラクサスなら安心だと笑みを浮かべるイグニールに、マカロフは噴き出した。
『お、お主、ナツは男だと言っておらんかったか?!』
『ただの冗談ですよ。ラクサスだって本気にしてない』
呆れた様なマカロフの視線にイグニールは苦笑した。大人二人が微妙な空気を作る中、子供二人の雰囲気も変わっていた。
ラクサスは菓子を貪り食うナツをじっと見つめていた。その顔は赤く惚けているようだ。
菓子のなくなったナツがラクサスを見あげて首をかしげた。
『らっくん?』
ラクサスと言いきれなかったナツの、ラクサスの呼び名だ。
ラクサスが己の高鳴る鼓動を感じながらナツを見つめる。
『なっちゃん、大きくなったらオレと結婚してくれる?』
『こっこっこ?』
まだ舌っ足らずで喋っている様な幼児が結婚を知っているわけがない。
ラクサスは口ごもりながら続ける。
『な、なっちゃんはオレのこと好き?』
きょとんとしていたナツの表情が、笑みに変わった。
『なっちゃん、らっくんしゅき!』
大人たちは話しに夢中で気付かなかったのだ。幼い子供のやり取りなど――――
それ以降、ラクサス達の前にイグニールとナツが姿を現す事はなかった。どうやら仕事で海外に行ってしまったらしいのだ。大きな衝撃を受けたラクサスだったがパティシエになるべく修業を続けていた。
数年の月日が経つ頃には、大会に出場すれば優勝はほぼ間違いないほどにまで腕を上げていた。
そして、ナツと別れてから十五年が経った、ある日の夕方。
焼きあがった焼き菓子の粗熱をとっている間に他の作業へと取り掛かり始めた時だ、裏手と繋がっている扉が開いた。
「お、うまそーな匂い!」
聞き覚えのない声に顔を上げたラクサスは目を見開いた。
視界に入る、桜色の髪と光を宿す猫の様な瞳。まるで時が止まったように、その姿に見入る。
「一個もらっていいか?」
声の主の手が、焼きあがったばかりの菓子へと伸びる。そこでラクサスは我に返った。
「おい、お前」
ラクサスの声も聞こえていないように、菓子は口の中へと消えていってしまった。
「ぅんめー!!」
興奮したように頬を紅色させて笑みを浮かべる。うっとりと余韻に浸っている少年。それに、ラクサスは舌打ちした。
まず声で気付くべきだったのに、髪の色と瞳に気を取られてしまっていた。どう見ても男だ。それなのに、菓子を食べた時の表情が、幼い頃に出会った“なっちゃん”と重なってしまった。
「つーか、誰だてめぇ。勝手に売りもん食いやがって」
少年は、指を舐めながらラクサスを見上げた。
「俺はナツ。明日からここで働くんだ。よろしくな」
「……名前まで同じかよ」
ラクサスは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。それはそうだろう、再会の日を待ち焦がれている少女と同名。しかも、珍しい髪の色まで同じなのだ。まるで、少女が汚されているようで気に食わない。
鈍いのかラクサスの纏う怒りに気が付いていないようで、ナツが厨房を見渡している。その空気を壊すように、扉が開いた。
「おお、もう着いておったか。ナツ」
「じっちゃん!」
入ってきたのは店長のマカロフで、ナツが嬉しそうに駆け寄った。
「これで俺も父ちゃんと同じパティシエになれるんだな!」
「まだなっておらん。これから少しずつ学んでいくんじゃ」
元気よく返事をするナツ。
二人のやり取りを見ていたラクサスの怒りが募る。“なっちゃん”の父親イグニールもパティシエだったのだ。重なりが増えていく。
マカロフが不機嫌そうなラクサスを目に捉えた。
「何じゃ、居ったのか」
「当り前だろ。仕事中だ」
仕事中だと言うが黙って突っ立っていたのだ。常にしている作業中の物音もしないのであれば、気が付かないのも仕方がない。
「そうだ、お前も懐かしいじゃろ。子供のころに一度会ったきりじゃったからな」
興味がないのか反応をしめさないラクサスに、マカロフは目を瞬いた。
「忘れたのか?ナツじゃよ。イグニールの子じゃ」
「あの人、息子もいたのか。つーか、二人の子どもに同じ名前付けるって変だろ」
呆れたように溜め息を漏らすラクサス。その姿をマカロフはまじまじと見つめた。
「イグニールに子はナツしかおらんぞ」
「何言ってやがる。クソジジイ」
二人の会話がかみ合わない。睨み合っていると、気が付いたようにマカロフの目が見開いた。身体を震わせて口を開く。
「お前まさか、あの時のイグニールの言葉を真に受けて……」
「あ?……、ま、まさか、」
マカロフの言葉を察したラクサスの顔を引きつる。
マカロフが顔を覆うように片手を当て、硬直するラクサスにゆっくりと告げた。
「あの時会ったのが、ここに居るナツじゃ」
この時のラクサスの衝撃は、ナツ達が海外へと行ってしまった時以上だっただろう。
立ったまま意識を飛ばしてるんじゃないかと疑う程に、ラクサスは身動き一つせずに立ちつくしている。その姿にマカロフは頭を抱えた。
二十三歳になったラクサスに恋人が出来た話しなど聞いた事もなかったのだ。顔は悪くないはずだったし、それなりに女性からも好意を持たれていたはずなのだが。
まさか、イグニールの話しを真に受けて、ナツを待ち続けたために恋人を作らなかったのではないか。おそらくラクサスの反応からして間違いないだろう。
「なぁ、じっちゃん。こいつどうしたんだ?」
空気を読まないナツの明るい声にマカロフは脱力した。
これからナツが住み込みで働く事になると言うのに、前途多難だ。
20100910