クッキー
『うめぇ!オレ、父ちゃんの作ったおかしがいちばん好きだ!』
赤い髪を後ろで束ねていた男は、息子の言葉に表情を緩めた。
『でも、なんで父ちゃんのおかしはキラキラしてないんだ?』
息子が比較しているのは、洋菓子店で多く人目につきやすい生菓子だ。
クリームや果物などで飾り付けられている菓子。それに比べて男が作る菓子は、焼き終えたところで完成となるのがほとんどの焼き菓子。
並べてしまえば、どちらが目立つかなど明白だ。
男は怒る事などせずに、息子の口元に着いた食べかすをとってやる。
『そうだなぁ、ケーキに比べれば地味だよな』
でも。
男は続ける。
『面白いんだ』
『うまいんじゃなくて、おもしろいのか?』
男は息子の両頬を手で包むと揉むように手を動かした。柔らかい頬の感触を手のひらで感じながら息子の目を見つめる。
『さっき、うまいって言ってくれたんじゃなかったかぁ?』
男の手が止まると、息子はむっと口を尖らせた。
『父ちゃんのおかしは、ぜーんぶ、うめぇ!』
向きになって言ってくる息子に男は噴き出した。くすくすと堪えきれなかった笑い声をこぼして息子から手を放した。
皿に盛られているクッキーを一つ手にとって齧れば、さくりとした音と口の中には控えめな甘さが広がる。クリームやチョコレートの様な濃厚さはない。生地はほろっと口の中で崩れた。
『焼き菓子っていうのは焼く時間が少し違うだけで味や触感が変わってしまうんだ。ケーキと違ってデコレーションするわけじゃないから味の誤魔化しも効かない』
まだ幼い息子は理解できていないのだろう、首をかしげている。それに男が息子の頭を撫でてやる。
『直球勝負だな』
『ちょっきゅー?』
『もちろん、父ちゃんもケーキは好きだぞ。でも、誤魔化せないからこそ、菓子を食べてくれる人と真っすぐ向き合えてる気がするんだ』
うまくは理解できなくても、息子の目には父親は輝いて見えていた。
光を宿す瞳も、菓子の匂いのする温かい手も。
『だから父ちゃんはな、キラキラしてなくても好きなんだよ』
飾り気のないクッキーを一つ取り、息子の口へと運んでやる。小さな口の中にすぐに消えてしまった菓子。
咀嚼しながら息子は幸せそうに笑みを浮かべた。
でも何よりも、お前が喜んでくれるのが嬉しいよ。ナツ―――――
七年後。
幼い頃に突然行方不明になった父親を探すべく父親と同じパティシエになろうと決意したナツは、修業の為に洋菓子店で働いていた。
店の名前は洋菓子店FAIRY TAIL(妖精の尻尾という意)。FAIRY TALE(おとぎ話)と間違われる事も多いが、店長であるマカロフは名前に誇りを持っているらしい。
「ルーシィ、足りてるかー?」
厨房から店内へと声をかけるナツ。
ナツが問うたのは決して頭の事ではない。ルーシィは同年齢の販売員だ。メイド服の様な制服を身につけてケーキの並ぶショーケースの前に立っていた。
ルーシィは店内を見渡すと厨房へと振り返る。
「焼き菓子はキッズクッキーが少ないわね」
「クッキーなら出来てるから包んでくれ」
「オッケー」
追加で大量に焼かれたクッキー。粗熱が取れているそれを、客足が途絶えている内に包んでおくのも販売員の仕事だ。
キッズクッキーはナツが考案したもの。味に特別があるわけではない。ただ子供たちだけの為に焼かれているのだ。値段を低くしている為売上はないに等しい。
まさに利益のない労働なのだが金では得られないものもある。ナツは幼い子供が自分の作ったクッキーを食べてくれるのが嬉しいのだ。幼い頃の自分を思い出せるから。
「あ、形変えたの?」
クッキーを眺めながらのルーシィの言葉に、ナツはにっと笑みを浮かべた。
「おぉ。ハロウィンが近いからな!オバケとコウモリとカボチャ大王だ」
大王は余計だろう。
「てめ、ナツ!パクりやがったな!」
厨房の奥の方から怒りを含んだ声が上がる。ナツに掴みかかる勢いで近づいてきたのは、アイスなどを主にするグラシエ(冷菓職人)見習いのグレイ。見習いとは言うが、グラシエとして名高いウルの弟子だ。ナツとグレイは同年齢だが、二人の評判は他店にも及んでいる。
グレイに腕を掴まれたナツは、ひっと声を上げて、グレイの手を振り払った。
「つめてぇ!触んな!」
「てめぇが熱いんだよ!」
職業で差が出るのだろう。常に冷たい物を扱っているグレイの手を冷たく、オーブンと向かい合っているナツの手は熱い。
「つか、パクってねぇよ!」
「嘘付くんじゃねぇ!俺がハロウィン様に考えてんの知ってたんだろ!」
騒ぎだす二人にルーシィは溜め息をついた。客が居ないからいいが、厨房で喧嘩している店など誰が入りたいものか。
しかし、これも毎度のことだ。すぐに止める者が出てくる。
「ナツ!グレイ!」
厳しい声で呼ばれ、ナツとグレイはぴたりと動きを止めた。
ブリキの玩具の様に声の方へと振り返れば、そこには茜色の髪を後ろで一つに束ねている女性エルザが立っていた。
エルザはショコラティエ(チョコレート職人)だ。風紀委員の様に見られてはいるが店のチーフを任せられている。十九歳という若さながらも、様々な大会で優勝経験がある。
「お前たち、また喧嘩をしているのか」
ぎろりと睨まれ、ナツとグレイは互いに抱き合った。
「んな事あるわけねぇだろ、エルザ。俺たちはいつでも仲良しだよ……なぁ、ナツ!」
「ああああい」
ナツは身体を震わせて頷いた。この光景を初めて見た者は誰しも驚愕する。当初はルーシィも信じがたい光景に目を疑った。
疑うように二人を見ていたエルザだったが、そこに声がかかる。
「仕事中に遊んでんじゃねぇよ」
不機嫌な声に、全員の視線が集中する。
「ラクサス」
ナツの明るい声が響いた。
ラクサスはパティシエだ。店長マカロフの孫であり、幼い頃から大会で賞を総なめしている実力高い青年。彼の凄いところは、パティシエだけではなくショコラティエやグラシエ共に兼任出来るところだ。
ラクサスは抱き合っているグレイとナツへと近寄ると、ナツの腕を掴んでその身体を引き寄せた。
「おわ、なんだよ」
体勢を崩したナツがラクサスに寄りかかる。ラクサスはグレイに一度視線を向けると、すぐにナツへと移動させた。
「てめぇはいつまで時間かかってんだ。販売に渡しに行くだけだろ」
悪ぃ。
素直に謝罪するナツの腕を掴んだまま、ラクサスは作業場へと戻っていった。
修業中の身であるナツは、すでにパティシエとして活動をし経験も有るラクサスの元に着いて学んでいるのだ。
師を持っていたグレイと違って、ナツはほとんど未経験だから仕方がない。
「なぁ、見ろよこれ!かぼちゃ大王!」
試食用にと販売用から弾いてあったクッキーの一つをラクサスへと差し出す。
「くだんねぇ名前付けんじゃ……む、」
ナツが手にしていたクッキーがラクサスの口へと突っ込まれた。目を見開くラクサスの目には、にっと笑みを浮かべるナツの姿。
「な、うまいだろ!」
ラクサスはクッキーを咀嚼しながら、ナツから視線をそらしたのだった。
20100909