分からないことだらけな僕14歳



先生、質問です




今まで高校生の身の丈に合った物しか欲したことがなく、それも自分が貰う月々のお小遣いの範囲内で間に合っていた私にはバイトなんて縁がないことだった。だってバイトしてまで欲しい物なんてないのだから。
そんな私が夏休み明けからバイトをすることになった。バイトと言っても、向かいに住む中学生に勉強を教えるだけだけど。まあ所謂家庭教師だろうか。
そもそもうちの母と向かいのおばさんは昔から仲良しで、それ故この話が私に回って来たらしい。まあ中学生レベルなら教えられるし、自分の勉強にもなるから悪い話ではない。日曜日だけと言うのも有難い。


私自身はおばさんと軽い世間話をする程度の付き合いだったが、お宅にお邪魔するたびにおやつを用意してくれ、自分が育てたという綺麗な花を分けて貰っているうちに大好きになっていた。しかしたかが数時間勉強を見てあげるだけなのにバイト代を払おうとするものだから、断るのに毎回苦労する。おやつとお花だけで十二分です。
そして当の勉強を教えている中学生、精市君。家庭教師を始めてから二ヶ月程が過ぎたが、私は未だに精市君が分からない。感じの良い好青年なのにどことなく掴み所がなく、たまに狐につままれた気分になる。
小学生の頃は学校が一緒だったから登下校を共にしたりよく遊んでいたけど、私が一足先に中学校に入学してからは付き合いが薄くなっていた。まず入学した中学校が違うのだから当たり前だけど。でも記憶にある精市君は今と大分雰囲気が違う…。それに病気で入院したと聞いてはいたけど、それを感じさせない凛とした印象がある。


「ねえ先生」
「何?」
「この問題あってます?」

来た。…精市君は何問かに一度、質問をしてくる。しかも答えは分かっていますと言う表情で。
「入院の影響で勉強が遅れていて…」とおばさんは言っており、本人は「化学が苦手なんですよね」なんて言うがそんなの全く大丈夫ですと言えるレベルだ。確かに化学は他の教科に比べれば多少正解率が低いが、これだけ出来て何故家庭教師が必要なのか分からない。

「うん、正確」


しかもここ最近は化学の正解率も大分上がり、本格的に私の存在意義が薄くなりつつある。いや始めから私は必要ないレベルだったか。


「ねえ精市君、私はいつまで家庭教師をすればいいの?」
「先生は辞めたいってことですか?」
「いやそうじゃなくて…精市君にはもう家庭教師は必要ないだろうと思って」
「そういうことですか。でももう少しいて欲しいです。ほら俺受験生ですし」

にこやかな笑顔に対して苦笑を浮かべながら、私は内心「ご冗談を」と返していた。何故なら立海大附属中学校は大学までエスカレーター式でいける、つまり受験勉強など無いに等しいことを知っているからだ。私の記憶の中の精市君とは180度違うこの彼、もはや自分が精市君と呼んでいることすら疑問に思えてくる。

幼かった頃の記憶を思い出し目の前の現実と比較しているうちに、あれよあれよと時間は過ぎていった。気付けばバイト終了時間だ。僅かながら達成感があるあたり、私は少なからずこのバイトにやりがいを感じているのだろう。


「それじゃあ今日はここまで。また来週来るから」
「あ、先生最後に一つだけ教えて下さい」
「構わないけど」


荷物を手に取り立ち去ろうとしたところで呼び止められたので、私は精市君の隣にしゃがみ込むようにして机を覗きこんだ。見たところ解き終わっていない問題はないようだけれど…


「何を聞きたいの?」
「キスの味、教えて下さい」

机上のノートを熱心に見つめていた私は反応が遅れてしまう。一拍のち精市君の方に顔を向け、そこにあるいつもと変わらない表情を凝視した。…本当にいつもと変わらないから、もしかしたら今のは聞き間違えたのかもしれない。

「…はい?」
「だから、キスの味、教えて下さい。…いいでしょ?名前さん」

きっと聞き間違えたのだと思い疑問符を返せば、返ってくるのは先程と同じ言葉。しかもバイト初日からずっと先生先生と呼んでいたのに、急に名前で呼ぶものだからドキドキする。気まずさに目を逸らそうにも何故か逸らせず、腕をがっちり捕まれているから体を離すことも出来やしない。

「あ、えっと…そ、そう!レモン!レモンの味!」
「へえー、お約束ですね」


言われなくたって、我ながらお約束な答えだなんて知っている。私が苦し紛れに言った言葉を精市君がわざわざ指摘するものだから、恥ずかしいようないたたまれないような気分になる。今の中学生って何!むしろ精市君って何!


「それじゃあ正解かどうか、答え合わせさせて下さい」

まさに蛇に睨まれた蛙。まったく動けずにいる私に対して、精市君は徐々に近付いて来る。今使っているリップクリームは柑橘系の香りだから、あながち間違いでもないか…とかそんなことはどうでもいい。何とかしなければ。何を?どうする?



「流石先生、正確ですね」

訳も分からず半ばパニック状態だった私は、精市君が口付けてきたことにも気付かず、それが終わってからの精市君の言葉でやっと気付いた。

「……え…っと」

怒るべきか嗜めるべきか、それ以前に何を言っていいものか分からず言葉は続かない。ついにはどうしようもなくなり「勉強頑張ってね」と小さな声をかけてから、一目散に部屋を飛び出した。多分声が裏返っていたと思う。


「来週も宜しくお願いします」

そんな言葉が聞こえた気がした。






……………………

こんなマセてる中学生は実際いませんよね。幸村君だから許せちゃう