★僕が大人になれなかった理由
タツ姐さんは、神室町にお仕事に向かっている
塩の香りがするこの埠頭でやることと言えば、タツ姐さんとお喋りする事と、タツ姐さんと手合せする事と、釣りくらいだ
タツ姐さんのいない埠頭は退屈だ。タイヤの上に座って、考える間もなく、釣りをしようという選択肢になった
「おい」
びくっ、と自分の身体ではないかのように震えた
「・・・桐生さん、なんでしょう」
「タツ姐はいないのか」
「いないよ、お仕事」
「そうか」
桐生さんは煙草に火をつけ、私の横まできた
「釣りすんのか」
「そうだけど」
桐生さんは煙草を口に咥えたまま、私の後ろに回り込んだ
「もっと腰入れて持てよ、こうだ」
「ちょっと・・・・」
私の後ろから抱きしめるように釣りの竿を握った
煙草の匂いが、頭上から匂ってきて、気持ちが悪い
「灰落とさないでね」
「あ、わりいな」
桐生さんは息を吐いてから、煙草を潰した
つけたばかりなのに、なんだか私が消してしまったようで、申し訳ない
それでも桐生さんは私の後ろで、魚を待っているのを見ていた
なんだかこいつに見られるのは嫌だ。怖いし、手が震える。
なんでこんなに恐ろしいんだろう、鍛え上げられた血の匂いだろうか、後ろに彫ってあるだろう、何かのせいなのか
そんな考えを無視するように、浮き袋が沈んだ
あ、と思って竿を引くと、すごい力で竿が持っていかれた
「っバカ・・・」
「!!」
桐生さんはまた私の後ろに回り込んで、竿を握った
釣りは慣れているのか、力の使い方がうまい桐生さんに、身を任せていた
「よし、いけっ!」と声を出した桐生さんと一緒に、腕を上げる
「でかいマダイが釣れたな」
「これ、マダイっていうんだ。美味しいやつだね」
「ああ、きっと旨いぞ」
桐生さんは私の事を横目に見てから、またタイに目を戻した
「俺の知り合いの店でさばいてもらおう。タツ姐に連絡しとけ」
「うん」
ポケベルでタツ姐さんに短い文で送り、タクシーで天下一通りまで行く
「すげえな、こんなタイ。優香は目の付け所がいいんだな」
桐生さんは私の頭をぽん、と撫でる
まるで子ども扱いしているようだ
確かに桐生さんにとっては子どもだろうけど、私だってもう十分大人なんだ
18歳なら入れる場所だって増えるんだから
「やめろ、子どもじゃないんだよ」
「ちっさい大人だな」
「あんたがでかいんだよ」
「フッ・・・そうかもな」
桐生さんの知り合いのお店は寿司吟だった
桐生さんと食べるご飯は味がしなかったけど、タツ姐さんに褒められると、すごく嬉しかった
まだ後ろからの桐生さんの匂いと体温が、身体に染みついている
銭湯にでも行って、洗い流してしまおう。そうだ、そうしよう。
心地よいくらい早く動く心臓を不思議に思いながら、私は桐生さんと、初めて笑顔を交わした