彼女は喧騒から死んでいく
とても静かな夜だった。
窓の外から虫達のか細い声が聞こえてくる。 どこか寂寥とした雰囲気を纏ったような、そんな鳴き声だった。 ぺらりと読み終わった本のページをめくる。 こんなに静かな夜なのに、俺の心はじりじりと何かに占領されているような感じがした。虫の知らせ、というものだろうか。 断続的に鳴り響く虫の声に混ざる様に部屋のドアがノックされた。
「亮、」
かすれた名無しの声。 ざわり、と心臓が震えた。
「…鍵は、開いてる。入っていい」
一拍の間の後、ゆっくりとドアが開いた。 俯いた名無しが中へと足を踏み入れる。 ふらふらと覚束ない歩みで名無しは歩を進める。 が、くたりと床に倒れ込んでしまった。
「おい、大丈夫か」
慌てて名無しの側へと駆け寄る。 そして見えた赤色。
「お前…それ、血…じゃないか」
胸元におびただしい血痕が付着した名無しは、ゆらゆらと俺を見上げた。 目元からたらりと零れている血の跡。 呆気にとられて絶句している俺に、名無しは微笑みかけた。それは、いつもと変わらない頬笑みだった。
「これで、私は解放されるの。こんな汚れた世界なんていらない。見えない方がずっといい」
そう言って名無しは俺の胸元に顔を埋めた。 時折嗚咽する声が、俺の耳に届く。 こんな行為をする程に名無しを追い込んでしまった、醜い世界に吐き気がした。 人より何倍も純情な名無しだから、世界にはびこる俗物に言いようのない絶望感を覚えたのだろうか。 人知れず苦しんでいた名無しを助けてやれなかった焦燥感に身が焼かれるようだった。
「名無し、」
もうこれ以上お前を苦しめさせない。 そう呟いて俺は震えている華奢な体を抱き締めた。
お題お借りしました 泣殻 (12/05/04)
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