――…話し声が聞こえる。でも、何を話しているのか分からない。
少しずつ浮上する意識。まだ頭がぼやけているから聞こえてくる会話を理解できないのかとぼんやりと思っていたが、覚醒するにつれてそれがそもそも知らない言語であると理解する。
――…私、どうして“眠った”んだっけ……?
まだ完全にはっきりしない頭で考える。何だか身体が痛い気がする。
ゆっくりと目を開くと、眼前に何かが迫っていた。
『―――ッ!?』
それが人の顔であると理解して、声にならない悲鳴を上げた。同時に身を引こうとする――が、そこで身動きがとれないことに気付いた。
「 、 ? 、 」
眼鏡をかけた女性が、至近距離から彼女に話し掛ける。が、やはり彼女には理解できない言語だ。
恐る恐る視線を巡らすと、窓の無い古びた小さな部屋だった。眼鏡の女性の他に、彼女を捕らえた二人の男、そしてもう一人初めて見る男が、一様に彼女を見ていた。
『なに……?ここ、どこ……?だれ……?』
恐怖で震える声で疑問を漏らす。
『こ、わい……駄目、駄目……おとこの、ひと……こわい……ッ!』
自由にならない身体を無理に捻り、壁の隅に身体を押し付けて啜り泣く。
恐怖で引き釣った喉は言うことを聞かず、ひたすら嗚咽を漏らしながら後にくる絶望を思った。
「え、あ、ごめんね!?厳つい顔したオッサンばっかじゃそりゃ怖いよね!」
「死にてぇかクソメガネ」
調査兵団本部にある地下室の一室で、目を覚ました例の女に対する尋問を始めようとすると、怯えきった目をして泣き出した。
至極面倒臭い。リヴァイの機嫌は急降下の一途を辿っていた。
「ねぇ、そろそろ罪悪感が芽生えてきたんだけど。拘束解いてあげない?」
目隠しと猿轡は解いてあったが、今だ身体の拘束は厳重に施してあった。縄で縛っている為、身動きをとったことで彼女の剥き出しの腕と足には血が滲んでいた。
「てめぇにもそんな善人らしい感情があったのか。意外だな」
「だって、こんなに怯えてるじゃない」
ハンジが女と目線を合わせるように屈む。女はハンジの挙動に分かりやすく肩を跳ねさせた。
「大丈夫大丈夫、怖くないよ?ちょっとお話がしたいだけなんだけど」
まるで子どもを相手にするかのように語りかける。興味の対象には理性を飛ばして本能で追い縋るような人間とは思えない穏やかさだ。
そんな似合わない優しさの甲斐あってか、女の啜り泣く声が小さくなった。
「なんかこの子大人しいし、拘束も解いちゃおうか。うん、そうしよう!」
この場の責任者であるエルヴィンを無視し、独断で拘束を解き始めるハンジ。
「おい、クソメガネ」
「だーいじょうぶだって。もし暴れられてもこのメンツならどうにでもなるでしょ?」
止めようとするリヴァイにそう言って、「ちょっとごめんね?」と女に声をかけてから拘束を解く。
「いいのか、エルヴィン?」
「……今のままでは会話もままならない。仕方がないだろう」
エルヴィンの許可も出た為、さっさと縄を解いてしまおうとナイフを持ったリヴァイが女に近寄った。
途端、
『いやぁぁあああぁぁあああ!!!!!!』
女が激しい叫びを上げ、自由になった両手で頭を守るように 抱える。
「チッ、……うるせぇ」
「人一人平気で殺しそうな顔して刃物なんか持って近寄るからだよ」
「馬鹿笑いしながら巨人を狩るような奇人に言われたかねぇ」
ハンジにそう吐き捨てるように言ってから女を見ると、目が合った。怯えきった表情でリヴァイの一挙一動に震え上がる様は、ただの非力な人間にしか見えない。
「チッ、」
リヴァイはナイフを仕舞い、女の相手をハンジに任せた。
眼鏡の女性によって、彼女を拘束していた縄は取り払われた。
女性は快く拘束を解いてくれたようだが、後ろの三人はそうではないらしい。彼女は恐る恐る三人の顔色を窺いながら、痛む手足を擦った。
「ごめんねー、痛かったよねー。ところで少し傷見せてね!」
女性は何かを言いながら、恐らく断りを入れて彼女の傷に触れた。傷の度合いでも診てくれているのだろうか。それにしては目が輝いているような気がする。
「ハンジ、どうだ」
「んー、回復の兆候は無いかなぁ。一先ず、小型の巨人って線は否定できると思うよ。ミケも巨人の匂いとは違うって言ってたんでしょ?」
「ああ。だが、普通の人間とも微かに違う」
「そこがまた微妙なんだよなー。まぁ、未知なることを知るのはとても楽しいから、いいけどね!」
女性と金髪の男性、大柄な髭の男性が何事か言葉を交わす。まだ剣呑とした空気は消えないが、目を覚ましたばかりの時よりは多少空気が緩和された気がする。
「おいクソメガネ、無駄口叩いてないでさっさと本題に入りやがれ」
暫く黙っていた小柄な男性が眉間に皺を寄せて言う。言葉に含まれた棘に思わず身を竦めるが、どうやらその言葉は眼鏡の女性に向けられたものらしい。女性が何かを言い返してから、彼女に向き直る。
「わーかったって。……じゃあ、まずは意思の疎通から試してみようか」
女性の目が、一瞬怪しい光を宿した気がした。心なしか鼻息が荒い。
「まず、君の名前は?」
『……………』
語尾が上がったということは、何かを聞かれたのかもしれない。しかし、残念ながらそれ以上のことは分からない。
彼女は質問が分からないという意思を込めて、首を横に振った。
「……これって、名前は無いってことだと思う?それとも、何か質問されてるのは分かるんだけど言葉が分からないってことだと思う?」
「……出会ってからのことを考えて、ほぼ間違い無く後者だろうな」
「成る程!つまりどちらにせよ思考することは出来るってことだよね?」
「どんだけ前向きなんだてめぇは……」
2013.08.20