ナマエはベッドの上でくるりと体を反転させた。こうも寝付けない夜は珍しく、ナマエは体を起こすと辺りを静かに見渡す。
いびきが響くその中で起きている者は自分以外にはいなさそうだ。皆訓練に疲れきり深い眠りについている、明日に待ち構えている兵站行進に備えて体力を温存させているのだろう。
蒸し暑い真夜中。ナマエは水を飲みに行こう、と暗闇の中人を踏まないようにゆっくりとベッドから這い出る。
「ぐっ…!?」
「あ、」
気をつけてはいたのだが、何分灯りなど一つもない部屋だ。ぐにゃりと何かを踏み潰す感覚にナマエは小さな声をあげた。
恐る恐る足をどかしてみれば腹を抑え悶絶する人が見える、やってしまったと思いナマエは静かにその人を覗き込んだ。
「ごめん、エレン…」
「ッ…ナマエ…?」
踏みつけられたのはエレンであり、エレンはすやすやと眠っていたため何が起きたのかわからない。急に激痛を感じ目が覚めたら暗い中ナマエの謝る声だけが聞こえたのだ。状況を理解するには情報が足りなさすぎる。
目が覚めてしまったエレンはまだ痛む腹に顔を顰めつつ起こす。涙の溜まった目を擦り辺りを見るが真っ暗な中で僅かに物の輪郭が見える程度で朝にはずいぶん早いことを知った。
不思議そうに首を傾げるエレンにナマエは申し訳なさそうに眉を下げ「大丈夫?」と踏みつけてしまっただろう腹を心配げに見つめる。
エレンはなんてことないと手を振ったが、まさか踏みつけられたとは思いもしなかった。
「ちょっと喉渇いてさ、食堂に行こうと思って…」
「ふーん?…俺も行く」
「え?…寝ないの?」
「ああ、目が冴えちまった」
ナマエが水を飲みに行くと聞き、そういえばなんだか喉が渇いている気がすると自分の喉を抑える。
ナマエは不慮の事故とはいえ申し訳なさを感じていたが、安心したようにため息をついた。特に夜が怖いわけではないのだが、真っ暗な中を一人で進むということは少々、心細かったのだ。
二人はほかの人を起こさないように静かにベッドから伸びている梯子を降りると手探りで机に向かう。
夜に此処から抜け出すのは禁止されているが例外はある。どうしても我慢できない場合のみトイレへ行くことが許されているのだ。その時暗闇の中では目的地に行くことすら難しいのは目に見えている。その為訓練兵が寝泊りする宿舎には女子寮、男子寮それぞれ一つずつ小さなランプが常備されているのだ。
ナマエは暗い中ランプを発見するとすぐ側に置いてあるマッチを手にし、軽い動作で火をつける。
マッチについた小さな火が消えないうちにランプに移せば、充分に油を吸った火種がゆらゆらと炎をあげた。
「よし、行こうか」
「おう」
灯りがともったといえ、足元を照らすほど大きなものではない。二人は躓かないようにゆっくりと歩き宿舎から出ると長い廊下を進んだ。
かつ、かつと二人分の足音が響く。全員寝静まっているのか痛いほどの無音で、ナマエは飲み込む唾の音でさえエレンに届いてしまうのではないかと思う。
「ナマエが寝れないなんて、珍しいな」
沈黙を打ち破ったのは、エレンの声だった。
ナマエはエレンをちらりと見上げそうかもしれない、と喉の奥で呟く。
「何時も早く寝るだろ?」
「んー、まあね。…ちょっと明日が、不安なんだ」
「不安?…あぁ、兵站行進苦手だったな」
「…うん、僕体力ないから、さ」
明日は何の訓練だと考えたが、ナマエが苦手で不安だと言えば兵站行進か座学しかないだろう。
確かにナマエの兵站行進での成績は芳しくはない、突発的な力は目を見張るものがあり、エレン自身もナマエの動きを手本にしているところがあるのだが。ナマエは兵站行進等の持久力はかなり欠けている。兵士としてこれほど欠点は無いだろう。
「体、鍛えてみるか?」
「うーん…そうなんだけどさ…毎日の訓練で疲れてそのまま寝ちゃうんだよね」
何度か訓練後に体を鍛えようと思った事はあるが、いざ訓練が終れば体中を蝕む疲労に中々行動に移せないでいた。
エレンは悩むように顎に手を当て空を見る、何かいい方法は無いかと思うのだが、訓練の厳しさはエレンも体験していてわかっているのだ。
「そもそも、ナマエは細いからな」
「…エレンも…だと思うんだけど」
「は?ナマエよりはマシだろ。…ほら見ろよ!」
ナマエと同じにされたくはない、とエレンは袖を捲り上げ腕を曲げる。
お世辞にもそこまで立派とは言えない力こぶをみてナマエは笑った。つんつんとその力こぶをつつけば茶化されていると解ったエレンは口を尖らせその手を払う。
「いやーライナーの方が凄いよ?」
「…ライナーと一緒にするなよ」
「あはは!ごめんごめん」
筋骨隆々でいかにも屈強なライナーとは比べ物にならない事は百も承知だ。エレンも自分に何故筋力がイマイチつかないのか思い悩んでいる。
食事もしっかりととっているし、訓練を欠かすことはない。だが思うように身長も伸びなければ筋力もつかないのだ、成長期、のはずだが。
「まあ…もうちょっと食べて…体力つけたほうがいいのかな、やっぱり」
「ナマエ何時も残してるもんなぁ」
「…疲れてる時ってさ、あんまり食事が喉を通らないんだよね…はぁ」
元々食が細いナマエだが、訓練後など水を飲むだけで精一杯なのだ。
そんなナマエに無理矢理食べさせるのは彼を心配するアルミンであり、訓練後の食堂での日常風景となっていた。
本気で落ち込み俯くナマエを見てエレンは小さく笑う、こうしてナマエが感情を見せるようになってからかなりの日数が過ぎた。
勿論喜ぶべき事なのだが、ナマエの笑顔が自分ではない他の者に向いている時、少し心の中でもやもやとした感情が芽生えている事をエレンは自覚していた。
幼い嫉妬心、というべきだろう。ナマエの笑顔を独り占めしたいだなんてどうかしている。
だが、その笑顔や他の表情を見る機会が一番多いのは自分だろうと思うと嬉しいような、かといって未だにナマエの事を冷たい人間だと影で囁く人に今のナマエを見て欲しいと思うような、見せたいのに見せたくないという複雑な心の葛藤がエレンを蝕む。
「…?エレン、どうしたの?」
「え、あ。…別に」
「…上の空だったけど」
ナマエは少し早足でエレンの前に回ると、ランプを近づけてエレンの表情をよく見ようと覗き込む。
暖かい色を持つランプの揺れる火を移したナマエの目は、火と同じように揺らめく。薄暗い周りと相反する赤い輝きにエレンは思わず出そうになる言葉をぐっと飲んだ。
「なんでもねーよ!ほら、行くぞ」
エレンはナマエの手からランプを奪うように取ると、あいたナマエの手を取りずんずんと前に進む。
手を引かれエレンの後ろ姿を見るナマエは一人首をかしげた。
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往来さんに捧げます!
エレンと赤主の日常の一コマ。ということで訓練兵時代宿舎での一コマを書かせていただきました。
エレンはなんだかんだ言って赤主のことをとてもよく見ていると思いますし、凄く気にしているとも思います。
ミカサやアルミン以外でできた初めての友達で仲間、という特別な意識を持っているのですね。
青年というには幼い二人の少々危なげな様子が出ていたらいいな、と思います。
リクエストありがとうございました!