雨は好きでもなければ嫌いでもない。そもそも無機物に向ける愛だとか、その他の感情を俺は持ち合わせていない。 突然降りだした雨は、楽しい時間を過ごしていた人間たちの表情を一変させた。傘を持参しており安堵する者、手ぶらで来てしまい慌てて屋根の下へ逃げ込む者。はたまた諦めて濡れる者、反応はそれぞれだ。 俺はあらかじめ持参していた黒い傘を開いた。天気予報では夕方からずっと雨の予定だ。せっかくの休日なのに可哀想に、と思ってもいないことを呟く。 「……あ」 視線の先には見慣れたバーテン服の男がいた。肩の辺りが少し濡れている。辺りを見回したが、いつも一緒にいる変な髪型の男は見当たらない。 「やぁシズちゃん」 わざと傘を回して雨の水滴をかけると、当たり前だが嫌そうな顔をされた。 「ただでさえ雨で苛ついてんだ。失せろノミ蟲」 それは言われなくても顔を見れば分かる。 「おやおや、傘を持っていないのかい?この先にコンビニがあるんだから買えばいいじゃないか。あぁ、それさえ買うお金も君は持ち合わせていないのか」 「……手前は黙れねぇのか」 「喋っていないと死んじゃう病気なんだよ」 「じゃあ黙って死ね」 酷いなぁだなんて思っていると、俺の隣にずいぶん背の高い女が並んだ。よく見るとシズちゃんの同僚だか、後輩のロシア人だった。 「先輩、」 そいつは俺を一目見ると、すぐに目を反らした。なんて失礼な奴なんだ。 「おぉ、忙しいのにわりぃな」 「いえ。雨に濡れると体調不良になる可能性があり、そうなると仕事に支障が出る。それを回避するためです」 「つーか、傘一本だけか」 「……」 「まぁでけぇし、二人で入れるだろ」 二人で相合い傘でもするの童貞のくせに生意気。いつものように馬鹿にしようと思っているが、何故か口の中が渇いて上手く喋れない。 そうしている間も目の前の男は、俺に見せたこともない穏やかな表情を女に向けていた。こんな顔、できたんだ。彼の事については弱点を知るために全部調べあげたはずだった。それなのに。 「……これあげる」 「は?」 二人の間を邪魔するように、シズちゃんに持っていた傘を押し付けた。自分でもどうしてそんなことをしたのか分からない。 「なんだよ」 「あげる」 「……は?」 「棄てるやつだから、あげる。シズちゃんにはゴミがお似合いだよ」 シズちゃんに何か言われた気がしたが、もう何も聞きたくなくて濡れるのも構わずその場から走り出した。 変なものを見る目で通行人は俺を見ていた。だからと言って何も思うことはないけど。 どうしてかは分からないが、あれ以上あの二人が話すのも一緒にいるのも見たくなかった。 「……何してんだろ」 人気のない路地まで来て、何故自分があんな行動に出たのか後悔した。何か思ってしたわけじゃない。完全に無意識だった。 「くしゅんっ」 濡れて重くなったコートが気持ち悪い。前髪も濡れたせいで視界を邪魔してくる。今さらフードを被ったって変わらないだろうに。水を含んだ靴はぐしょぐしょだ。 風邪を引いたら波江に看病してもらおう。いや、毒薬飲まされそうだ。やっぱりやめよう。 これからどうしようかと立ち止まって灰色の空を見ていたら、黒い何かが視界に入ってきた。 「あ……」 「……」 振り返るとそこにはシズちゃんがいた。さっき渡した傘を俺の方に傾けて、自分は雨でびしょびしょだ。 「傘買う金もねぇなら、入れてやる」 サングラスからも水が滴っていて、へばりついたシャツも気持ち悪そうだった。 「……今日は偶然財布忘れたからね。仕方なく入ってあげるよ」 俺の膨らんでいるポケットを、シズちゃんは一瞬見た。いつもここに財布を入れているのを、この男は知っている。 だけどシズちゃんは間抜けな奴だと呟くだけで、それ以上は何も言わなかった。 誰かヴァローナのしゃべり方を伝授して下さい。 |