人間嫌いな臨也と幼馴染な静雄。 幼馴染の臨也の口癖は『死ねばいいのに』だった。 外に出るとそれは酷いもので、俺との会話の大半はそれだ。おかげで会話は成立しない。リハビリにと人気の少ない場所に連れて行ったりもしたが、話し声が聞こえただけで家に帰ると騒ぎだしてしまった。この先どうするのかと真剣に話をしたこともあるが、パソコンさえあればどうにかなるの一点張りだった。 臨也は通信制の学校に通っている。定期的に出される課題を郵送やメールで返すだけらしく、普通の学校のように通学する必要はない。そうなれば自然と時間に余裕ができてくる。その時間を利用して臨也はパソコンで何か仕事をしているらしい。それが上手くいっているらしく、就職活動なんて他人事だった。 ならば田舎にでも引っ越して自給自足しろと言ったのだが、重労働は嫌だとか田舎は虫が多いから嫌だと駄々を捏ねるばかりだ。 「……おい聞いてんのか」 「シズちゃんしつこいよぉ。先週出かけたから今週は出かけない」 「……」 パソコンに向かったままの臨也は俺の方を見ようとはしない。最近臨也はチャットというものにハマっているらしい。直接聞こえる声や見える姿がなければ普通に人と話せるようだ。 日も暮れ、今ならそれほど人に会わなくていいだろう。その時間を狙ってリハビリついでに散歩に誘ったのだが、背中を向けたまま断られてしまった。 昔から人見知りする方だったが、ここまでひどくはなかったと思う。誰かから嫌がらせをされていたとか、成績が悪いという話も聞いたことがない。ただ中学の夏休みが終わった頃から、臨也は外に行くのを嫌がり始めたと思う。 それから俺の知らない間に通信制の高校を受験し、今のような状態にまでなった。 俺も臨也が嫌なことはできる限りしたくない。だが困るのは臨也自身だ。臨也の両親は息子とどう接していいのか分からず、結果として距離を置いている。臨也が寂しいと口にしたことはない。だが俺以外にまともに友達を作らなかった臨也は基本的に一人だ。 臨也に腹が立ったことがないと言えば嘘になる。問題は本人に外に出る気がないことだ。外に出ようと誘うのはいつも俺で、必死になっているのも俺だけ。たまにものすごく虚しくなる。 臨也の言うとおり、家に居ても暮らしに問題はないかもしれない。だが俺は臨也と外を歩きたかった。 桜の咲いた4月は花見に行きたかった。梅雨には近所に咲いたアジサイを見せてやりたかった。夏は打ち上げ花火を、去年初雪が降ったのも本当は二人で見たかった。何か見つけたりするたびに俺は臨也のことを思い出していた。だが臨也はパソコンの向こうに何かを求め始めていた。 「……もういい」 俺の気持ちなんて、臨也は全く知りもしないのだろう。これからも臨也はここで暮らして、本当に気が向いた時だけ外に出て。いや、もう外に出ようとしないかもしれない。そうして大人になって行く。一人だけの世界を見つけ、そこに閉じこもる。俺の知らないところに行ってしまう。 「シズちゃん帰るの?ご飯食べてけばいいのに」 流石に腰を上げたのには気付いて、臨也はやっと俺を見た。だが今度は俺がその視線から逃げるように背を向ける。ご飯と言ったって作るのは俺だ。俺がいないときは自分で作っているらしいが、あの体型を見る限りまともに食べていないのだろう。 「……散歩してくる。それと俺、しばらく来れねぇから」 「……えっ」 臨也は慌てて玄関に向かう俺の後をついてきた。 「……な、なんで?」 「……俺にも色々あるんだよ。お前のことだけ構ってられねぇんだ」 事実、俺は臨也と違って進路を決めなければいけない。働くのか、進学するのか。俺ははっきり言って勉強が得意じゃない。親に負担をかけるのも嫌で、それなら働くしかない。そうなれば臨也の家に来る時間も限られてくる。今はほぼ毎日のように様子を見に来ているが、それもできなくなる。 玄関でしゃがんで解けた靴ひもを結び直していると、なぜか臨也は扉の前で仁王立ちし始めた。 「……おい」 「……やだ」 「あ?」 「帰っちゃやだ」 「明日月曜日だぞ。学校あるから帰る」 学校という単語を出せば、臨也は何も言わなくなった。その代り、俺のまだ履いていない方の靴を奪ってきた。 「何すんだ」 「……俺も散歩行く。用意するから待って」 俺の靴片手に寝室に駆け込んでいく。滅多に役割を果たさないコートを羽織った臨也は、ずいぶんゆっくりと時間をかけて靴を履いた。自分の用意が終わるとやっと俺の靴を返してきた。 しかし問題はここからだ。玄関から出るのさえ、臨也は時間がかかる。この鉄の扉一枚隔てた向こうが、臨也にとってたまらなく怖い世界だ。 何も言わずにその様子を見ていると、数十回目になる深呼吸をしてやっと外に出た。外に一歩踏み出して、すぐに俺の服を掴んだ。何かに触れていないと不安だと一度泣かれたことがある。だからこれは、譲歩した結果だ。 日が暮れたせいもあってか、外は思ったよりも冷え込んでいた。もう2月になるが、たまに雪がちらつく日もある。臨也はくしゃみをしながらとぼとぼと隣を歩いた。車の走る音や遠くから聞こえる人の話し声にはびくついているが、周りが暗いこともあってか昼間に比べて落ち着いている。相変わらず皆死ねばいいと物騒なことばかりぶつぶつ言っているが。 冬は空が綺麗で好きだ。炬燵で温もりながらアイスを食べるのもいい。今年に入ってからいくつみかんを食べただろうか。そんなことを考えていると、臨也に掴んでいた服を引っ張られた。 「……学校楽しい?」 驚いた。臨也から学校の話や外の話題が出るのは初めてかもしれない。しかし臨也に学校でのことをどう話せばいいのか分からない。まるで母親に学校はどうなのと聞かれた時のようだ。 「……まぁな」 「ふーん……あ」 曖昧な俺の返事に特に文句を言うわけでもなく、臨也は道の脇にあった段差の上を歩き始めた。同時に俺から離れていく。今日はいつもより調子がいいらしい。 臨也は昔から高いところが好きだった。そういえば、小さい頃二人で観覧車に乗ったことがある。家族同士で遊園地に行って、二人で乗った。臨也は自分から人が大勢並んでいる列に並び、待っている間も楽しそうだった。頂上が近づけば近づくほどうるさく騒いで、少し静かにしろと怒鳴った覚えがある。それでも臨也は笑ってまた一緒に乗ろうねと言っていた。 それから二人で、観覧車に乗ったことはない。 「……父さんと母さんに俺のこと、頼まれてるから俺に構うんでしょ」 「……あ?」 臨也は両手を広げてバランスをとりながら段差の上を歩いた。いつの間にか俺より前を歩く臨也の表情は見えない。だが少しばかり声のトーンが落ち込んでいるように感じた。 「そうじゃなきゃここまでしないよ、普通。俺めんどくさいもん」 「……」 動揺したわけじゃない。図星を言われたわけでもない。 ただどう返せばいいのか分からなかった。臨也のことを頼まれたのは事実だ。一人暮らしをすると言い出した臨也を誰も止めなかった。臨也の両親は対応に困っていたし、何より本人が家族と暮らすのも苦痛に感じ始めていた。 また一緒に暮らそうと書かれた手紙を、新居で臨也は無表情に読んでいた。真新しい家具の中に紛れた両親からの手紙と写真。あの場に俺がいなければ臨也は泣いていたのだろうか。あの手紙と写真をどうしたのか、俺は知らない。 「……空、綺麗だね。都会なのにこんなにはっきり見えると思わなかった」 空を見上げながら臨也は白い息を吐いた。俺から何か返事が欲しかったわけではないらしい。それでも俺より小さな背中は、悲しげだった。 臨也はファーのあるコートを着ている。だがこれでもかと細い首元は寒そうだ。手を伸ばして首に触れれば案の定冷たかった。臨也は急に触られて驚いたのか変な声を上げた。元から臨也の体温は高くない。おまけにいつも部屋の温度は適温に保たれている。 自分の首に巻いていたマフラーを無理矢理巻いてやる。巻いてから苦しくないかと聞けば、臨也は笑っていた。 「……シズちゃんに彼女できないのは俺のせいかもしれないね」 「はぁ?なんで」 「だって普通の女の子なら今ので絶対惚れてるよ」 顔はかっこいいんだから、と臨也は茶化すように言った。 高校でできた友人に臨也のことを相談したことがある。友人は大変だねと返した後に、俺の相談を惚気話のようだとも言った。 『人間嫌いで親も駄目なのに、どうして君には懐いているんだろうね。家に引きこもっても君は昔と変わらず会いに行ってたんだろ?そこにいれば静雄くんを独り占めできると無意識に思ってるんじゃないかな』 どうして臨也が俺だけ平気なのか、考えたこともなかった。幼馴染だから平気なんだろうと思っていた。本人が気付いているのかどうかは知らない。だがよくよく考えれば、臨也の気持ちは明らかだった。 「彼女はいらねぇ。お前でいい」 「またまたー、実は欲しいくせに……う、うん?シズちゃん今なんて」 「だから、彼女はお前でいい」 そう言って頭を撫でると、臨也は顔を一気に赤くした。反応から見るにやはりそうらしい。今まで口喧嘩で臨也に勝ったことがなかっただけに、少し嬉しくなった。 「……帰るぞ。寒くなってきた」 「し、シズちゃん!」 臨也が大声を出したせいで、近所の犬が反応して吠えていた。その鳴き声にもちょうど走ってきた車のにもびくつきながら、それでも臨也は何か言いたげに俺を見ていた。 「俺……絶対、昼間でも外出れるように頑張る。時間かかるかもしれない、けど……初デート遊園地行こう!それから観覧車乗って……だから、だから浮気したら怒るから!学校であんまり女の子見ないで!話すのもだめだからね!」 一方的なことを全部言い終わると、臨也は今にも泣きそうな顔になっていた。何で泣くのか分からない。俺までさっき自分が言ったことが恥ずかしくなってきた。もっと他に言い方があったんじゃないかとか、こんな何もないただの路上で言うことだったかとか。臨也まで黙ってしまうのだから居たたまれなさは増すばかりだ。 さっさと帰ってしまおうと臨也の手を引いて歩き出す。俺が何も返さないのが不服なのか、猫のように繋いだ手に爪を立ててきた。歩くのをやめて後ろを振り返る。突然止まったせいで臨也は俺の背中に顔をぶつけた。 「……お前もあんま、俺の前でチャットばっかすんな。たまには構え……寂しいだろ」 「……っ!」 言ってからまた自分で恥ずかしくなった。でも臨也は嬉しそうに頷いて、笑っていた。街灯に照らされた照れた顔がなぜか可愛く感じる。抱き締めてやろうかと腕を広げたが、それより前に臨也は脱兎のごとく走り出してしまった。続いて聞こえてくるいくつかの話し声。こんなときでも、やはり周りのことは警戒していたらしい。 いつの日か、今の臨也が懐かしく思える日が来るのだろう。そこに行くまではきっと時間がかかるかもしれない。それでも俺は、臨也の傍にいたいと思った。 人間嫌いで引きこもりを生かしきれてない気がしなくもない。 リクエストより人嫌いな臨也でした。 京極先生の新刊で「死ねばいいのに」というタイトルの本を思い出しました。ちなみに未読。 人間嫌い臨也は可愛いですね。 |