小説 | ナノ
明けない夜


一応来神。付き合ってない。




地面が揺れたような気がして意識が浮上していく。もちろん俺には地面に寝転ぶ趣味はない。揺れたのは安っぽいベッドだった。眼球だけを動かし、視線を上に向ければ傷のついた背中が見えた。それは色んな方向からつけられていた。見覚えのありすぎるその切り傷に微笑めば、その背中の持ち主が振り返る。

「わりぃ、起こしたか」
「ううん、いいよ」

甘ったるい声が鼓膜を震わせる。外で聞くことのできないその声色は俺の心をつかんで離さない。その声から発せられる言葉は魔法というより呪いだ。何もかもがどうでもよくなる。そんな気持ちにさせるのだ。
ベッドから起き上がったシズちゃんは、床に脱ぎ捨ててあったシャツを着た。見えなくなる背中に寂しさを感じる。俺はまだしゃべるのも億劫で、シズちゃんの行動を見つめていた。そんな視線に気づいたシズちゃんは俺に擦り寄り、汗で少し気持ち悪い前髪を梳いてくれた。

「……帰るのか?」
「……帰ってほしいの?」
「……」
「ごめん、帰らない。帰りたくない」
「……連絡は」
「いい、しない。しても意味ない」

それ以上口を動かしたくなくて、顔を枕に埋めた。呼吸をする度に肺の中がにシズちゃんの匂いが満たされていく。その酸素はやがて血液に入って全身に運ばれる。言葉にしたら嫌がられるだろうが、幸福を感じた。俺の身体は汚れてる。だからシズちゃんに触れて綺麗にしてもらうのだ。外も中も、全部。

帰らないと口にしてから、シズちゃんは何か考えるような素振りをした。髪を撫でていた手も離れていってしまう。そしてそのままため息を一つついて、部屋を出て行ってしまった。
静かになった部屋には自分の呼吸だけが響いている。とても嫌な時間だった。一人が嫌なわけではない。この場所で一人になるのは耐え難かった。
この時間帯からしてシズちゃんの両親は寝ている。弟も日付が変わる前に寝ると言っていたからもう寝ているのだろう。
シズちゃんは家族もいるこの家で俺とセックスすることをどう思っているのだろうか。もちろんバレないように声は殺しているし、毎回しているわけではない。それでも誘うのはいつも俺からで、彼は困惑した表情を浮かべながらも拒絶はしない。セックスをしているときが一番楽だ。シズちゃんのことだけを考えられる。
今日でシズちゃんの家に寝泊まりするようになって3日になる。毎週のように泊りに来る俺を、家族はどう思っているのだろうか。あの調子だと友達が家に来るなんて今までなかっただろうから、歓迎されているのだろう。息子に友達がいて嬉しくない親なんていないはずだ。そう、普通の親なら。
急激に身体が冷えていくのが分かった。胸が痛くなり、お腹の底が重く感じる。布団にしがみ付きながら背中を丸める。引いたはずの汗が額に浮かんだ。身に覚えのある感覚にシズちゃんの名を呼ぼうとしたが、唇から洩れるのは声とは言い難いものだった。
俺にとってどんな立場だろうと人間は人間だ。友達だろうと同級生だろうと、両親だろうと。すべて同じラインの上に立ち、それより前後することはない。その線を越えていいのは人間じゃないシズちゃんだけ。誰も踏み出そうとしない一歩を、彼はどういう経緯であれ線を越えたのだ。なのに彼は今、前ではなく後ろに行こうとする。俺から離れようとする。
階段を登る足音に我に返る。金縛りのように動かなかった手足が、ぴくりと魚のように跳ねた。息をしていなかったのか、肩が上下するほど呼吸が乱れている。セックスの余韻も眠気もどこかに行ってしまった。ドアが開くのと同時に立ち上がり、自分の服を拾い上げる。少しばかり腰が痛んだが、気にせず下着に足を通した。
ミネラルウォーター片手にシズちゃんがその様子をぽかんと見ていた。

「どうしたんだよ」
「……やっぱり帰る」
「え?」

汗ばんだ身体が気持ち悪かった。でもそれ以上にここにいたくなかった。ぬるま湯のような心地よさを持ったこの場所は俺を殺そうとしているのだ。
黙々と着替える俺を見てシズちゃんは少し焦ったようだ。椅子に掛けていたシャツを取ろうとすると、先に取り上げられてしまった。

「待て、家帰る気なんてないだろ。こんな時間にどこ行くんだよ」
「友達の家」
「お前友達いないだろ」

その言い方はないだろうと思ったが、間違っているわけでもないので反論はしない。取り上げられたシャツに手を伸ばすと腕を掴まれる。ぎしりと骨が嫌な音を立てた。外では以前と変わらず喧嘩はしているが、直接的な痛みを感じたのは久しぶりだった。痛いと冷静に言えば、すぐ解放される。シャツを奪い返すとそのまま腕を袖に通した。背中に視線を感じる。俺の身を案じてくれているのだろう。彼は真面目な男だ。たとえ同性で、級友で、身体だけの関係でも俺に対して労わる心を持っている。それがひどく嫌いで、大好きだった。

「どこ行くか聞いてんだ」
「……友達はシズちゃんだけじゃないもん」

友達と言っても新羅もドタチンもこの時間では流石に迷惑になるだろう。それが分からないほど非常識ではない。電源を切っていた携帯を取ろうと腕を伸ばすと、そのままベッドに押し倒された。安っぽいベッドのスプリングが跳ね、床がぎしぎしと鳴った。こんな夜中に物音を立てたら迷惑になる。そう視線に込めて見つめるのだけど、シズちゃんはひどく悲しそうな顔をするばかりだ。

「……君は自分のことを化け物だと言うし俺もそう言うけど、やっぱり君は人間だよ」

そうでなければ俺にそんな視線を向けることなんてできない。彼は俺のことをどう思っているのだろう。哀れなやつだと、可哀想だと思っているのだろうか。俺ははっきりとした言葉で言うことは決してないけれど、シズちゃんのことは好きだ。少なくとも、俺が知ってる人間よりは。
逃がさないように、閉じ込めるようにきつく抱きしめられる。今度は痛いと言っても離してくれなかった。シズちゃんの顔を見たくても、頭を肩に押し付けられているから首を動かすことも叶わなかった。誰かを抱き締めることも抱き締められることにも慣れていない。シズちゃんの背中に腕を回していいのかもわからず、腕はベッドに沈んでいた。

シズちゃんの家族は好きだ。息子が異質な存在だと知っても、何ら変わらず愛情を注ぎ続けている。それは本当にすごいことだと思う。だからこそ違いを思い知らされる。
実の息子に何の興味も関心も示さない両親。最低限の愛情も与えられず、常に感じる孤独。居場所のなさに家族の存在意義を疑いたくなった。だから俺は家に帰らない。こうしてシズちゃんの家に入り浸り、彼に注がれる愛情をほんの少し分けてもらう。両親が注いだ愛情はシズちゃんが倍にして俺に与えてくれる。少しばかり罪悪感は感じるが、おそらく俺はこれに縋り続けるのだろう。彼が俺との関係を終わらせたいと言い出しても、シズちゃんとの思い出に縋って惨めに生きるのだ。

「別にどっちでもいい。お前がいなくならないなら」
「……馬鹿だね、君は」
「馬鹿でもいい。だからどこにも行くな」

好きとはお互い絶対に言わない。言ってしまうとその言葉で縛り付けてしまう気がするから。でもその代りシズちゃんは行動で示してくれる。不器用ながらも一心に向けられる好意は素直に嬉しい。勝手にあふれる涙もシズちゃんが拭ってくれる。俺はこれからもシズちゃんのことで涙を流し続けるのだ。ベッドに沈んでいた腕を背中に回せば、抱き締める力がまた強くなった気がした。











臨也が人を人間という生き物として観察するようになったのは、親が全く愛情を注がなかったんじゃないかという妄想。興味も関心も臨也にはまったく向けられなくて、自分を守るためにそう思い込むように。人間という枠組みの中に両親も入れてしまったみたい。
なので化け物の静雄には特別扱いしてます。

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -