小説 | ナノ





卒業式。それぞれの名前が呼ばれ、校長の長い祝辞に居眠りを必死に耐える生徒たち。それをぼんやりと眺めながら静雄は別のことばかり考えていた。おかげで昨晩緊張のあまり眠れなかったほどだ。
式典が終わると静雄は臨也とともに屋上に来ていた。今頃教室では担任が旅立つ生徒たちに各々言葉を送っている頃だろう。まだ3月の始めで屋上を吹く風は冷たい。臨也が自分の肩を摩るのを見て、静雄はその身体を自分の方に引き寄せた。大人しく臨也はもたれ掛り、地面に置かれていた静雄の手に自分のものを重ねる。静雄の掌は臨也とは比べ物にならないくらい熱かった。

「いいのかよ、話聞かなくて」
「だって、聞いてもすぐ忘れるし」
「意外に酷いよな……」
「そうかなぁ」

楽しそうに笑う臨也の表情を見て静雄は心を満たされていくのを感じた。強引に抱いていた時とは比べ物にならない満足感。あのときより肌は触れ合っていないが、それ以上に臨也が近くにいるように感じた。見つめられていることに気付いた臨也はあまり見るなと頬を染める。それを可愛いと思いながら、静雄は聞こうと決めたいたことを口にした。

「……後悔、しないな?」

恐る恐る尋ねた静雄に、臨也は一瞬きょとんとした表情を浮かべた。だがすぐに穏やかな表情になる。10年以上一緒に過ごしたが、まさか臨也がこんな表情を浮かべてくれると静雄は夢にも思わなかった。

「それはこっちのセリフだよ。逃げても追いかけるから」
「に、逃げるわけないだろ」
「……そうだね、うん」
「あと……家は見つけてんだよ」
「え、そうなの?」
「先輩が色々と手ぇ回してくれてよ……狭いけど、アパート借りれた」
「……しばらく野宿かと思ってた」

臨也はこれからどんな生活をするつもりでいたのだろうか。静雄は少しばかり不安になった。

「本当に狭いからな?今までのほうがマシとか言うなよ」
「そんなこと言うわけないよ。一緒にいてくれるなら、何にも言わない」

そう言って静雄の手を握る。あの日、臨也と約束した夜から半年が過ぎた。その間二人は両親にばれないようにできる限り同じ時間を過ごした。最初は静雄への恐怖が取れなかった臨也も、今では自分から静雄に触れるほどになっていた。臨也の手を強く握りしめると同じように返される。それから二人の間に会話はなかった。話題がなかったわけではない。必要なかっただけだ。

夕食の時間。食卓はいつもと変わらなかった。母親と父親と自分。一番傍にいてほしい存在が横にいない。いつものように大した会話もない。これが両親との最後の食事になると思ってはみたが、特に何も思わなかった。ごちそうさま、と一言告げて食器を片付ける。いつものようにこのまま二階に上がって両親が寝静まるのを待った。静かになった深夜、念のためにと静雄はリビングへと向かった。

「……静雄」

すると、普段ならもう寝ているはずの父親が椅子に腰かけていた。灯りもつけていなかったせいで心底驚いた。まさか出て行こうとしていることがバレたのだろうか。静雄が適当にあしらおうとしていると、小さな封筒が渡される。

「……何」
「卒業祝いだ」
「……おう」
「母さんならもう寝た。あと……すまなかった」
「!」

その言葉は静雄に対してなのか臨也に対してなのかはわからない。父親が何も言わずに寝室に行ってしまった。臨也が聞いたらきっと何を今さらと怒るだろうか。封筒の中には静雄名義の通帳と暗証番号の書かれた小さな紙が入っていた。そして手紙。そこには謝罪と、身体に気を付けるように書かれていた。父親は臨也の事を果たしてどう思っていたのだろうか。静雄はそんな気持ちを消すかのように、手紙を丸めてゴミ箱に捨て、小さく礼を言った。臨也の自室に行くとほとんどない荷物を鞄に詰めた臨也が床に座っていた。

「行こうか、臨也」
「……うん」



夜は昼間以上に寒気を感じた。くしゃみをした臨也を静雄が心配すると、心配し過ぎだと怒られる。これは俗にいう駆け落ちだろうか。静雄は臨也の手を取りながら思った。深夜ということもあり人通りなどないに等しい。当たり前のように手を握った静雄に臨也は最初困惑していたが、恥ずかしそうに俯くだけに終わった。駅までは多少だが距離がある。二人に会話はない。この静かな時間は苦痛ではなかった。しばらくすると背後から車が近寄ってきた。ライトのまぶしさに目を瞑りながら臨也が反射的に手を離そうとすると、静雄がそれを許さないかのように強く握った。すぐに通り過ぎるかと思った車は少し先で停車した。街灯に照らされた見覚えのあるすぎるその車体に、臨也は首を傾げた。

「……四木さん?」
「こんばんは……と、言いたいがこんな時間に出歩くのは感心しませんねぇ」

車から降りた四木は僅かだが怒っているような気がした。静雄は最初誰か分からなかったがすぐに、以前臨也を家まで送り届けた男だと思いだす。それと同時に街灯に照らされた四木に妙な違和感を覚えた。警戒心を隠そうともしない静雄は臨也の前に立つ。それを見てまるで主人を守る犬のようだなと四木は思っていた。

「まぁ、とにかく乗りなさい。そのままだと風邪をひきますよ」

今にも噛みつきそうな静雄を臨也が宥めると、しぶしぶ後部座席に乗り込む。臨也が風邪をひくよりはこの方がいいと分かっていたからだ。走り出した車は相変わらず人気のない道ばかりを進んでいく。

「……さて、どこに行くつもりだったんですかねぇ。今から友達の家にでも行くんですか?」
「あの、四木さん」
「あんたには関係ない。乗せてくれたことは感謝します。でも、放っておいてください」

苛立ちを隠そうともしない静雄に臨也は内心ハラハラしている。四木が怒っている姿など見たことはないが、いくらなんでも乗せてもらって失礼だろうと思った。静雄の態度が臨也への想いからくるものとは本人は微塵も気付いていなかった。

「……それだけ威勢があるなら合格ですかね」
「え?」
「まぁ、分からないのも無理もないでしょう。私が臨也さんに初めて会ったのは生まれてすぐの病院でしたから」
「生まれて、すぐ?」

臨也が首を傾げて、静雄の服を掴んできた。その手を取ってしっかりと静雄は握り返した。

「私はね、貴方の本当の母親の弟です」
「……かあ、さん?」
「姉は口癖のように言っていた。この子がずっと笑ってくれるなら、何でもする。言葉通り、姉は必死に働いていました。もっと早くに、見つけることができたらよかったんですけど」

静雄は最初から感じていた違和感が何なのか分かった。四木の雰囲気はどこか臨也に似ているような気がしていた。四木は臨也の母親が両親とうまくいっていなかったこと、若くして家を出て行ったことを教えてくれた。臨也はそれを真剣に聞きながらも、静雄の手を強く握っていた。

「……私はただ、姉の最初で最後の頼みを聞いていただけですよ」

だから気にしないでください、と言いながら四木は二人をミラー越しに見ていた。臨也は肩を震わせて何度も頷く。静雄はそれを黙って見つめながら肩を抱きしめた。きっと臨也なりに悩んでいたのだろう。臨也が母親のことについて話したことはないが、子どもながらに考えていたのかもしれない。

「何かあったら遠慮なく頼ればいい。あぁ、くだらないことなら流石に怒りますがね」
「は、はい。ありがとうございます、四木さん……」
「それと……絶対に、臨也さんを幸せにしてくださいよ。そうじゃなかったら無理矢理にでも私が連れて帰りますから」
「……言われなくても幸せにするに決まってんだろ」

そのために自分は臨也の隣にいるんだと心の中で叫んだ。窓の外に広がる風景。もしかするとこれも見るのが最後かと思うと少し寂しく感じた。だがそれ以上にこれからへの期待が大きい。臨也とどんな風景を見て、どんな思い出を作ることができるのだろうか。きっといいことばかりではないと思う。また臨也を悲しませてしまうかもしれない。きっと自分といるよりも幸せになる方法を見つけてしまうかもしれない。静雄は臨也の冷たい手を握る。もし臨也が別の道を見つけたのなら、笑って見送ってやりたい。だができれば自分の傍にいるのが臨也にとって幸せならいいのに。複雑な心境を抱きながら、静雄は臨也の肩をいつまでも撫で続けた。













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