小説 | ナノ





放課後、滅多にその機能を果たすことのない携帯電話にメールが入っていた。静雄との関係は相変わらずだ。バイトで疲れているらしい静雄は学校と自宅で臨也と会っても話すこともなかった。携帯に来たメールは誰だろうかと開けば「幽」と表示された名前。それは臨也にとっても弟にあたる静雄の実の弟だった。幽は静雄の2つ下だ。兄とは違い、感情を表に出すことは少ない。だが臨也は彼を気に入っていた。余計なことをしゃべることもなければ、必要以上に干渉してこない。それを気に入っていた。
整った容姿もあり、中学の時にスカウトされた幽は雑誌やドラマに出ている。そのせいもあり自宅よりも事務所の用意した住居に住んだ方が都合がいいらしく、誰よりも先に幽は家を出た。そのとき臨也は少なからず寂しいと感じたのを覚えている。ほとんど感情を表に出すことのない幽は臨也にとって落ち着ける相手でもあった。あの家での扱いを見ても幽は下手に慰めや同情をするわけでもなく、ただ帰り道で会った猫の話を臨也にしてた。
その幽が撮影のために近くに来るらしい。家に寄る時間まではないことから、二人で喫茶店で待ち合わせることになった。どうして静雄ではなく自分に連絡を寄越したのだろうか。まさか静雄も来るのでは。そんな不安を胸に喫茶店に行くと、何の変装もしていない幽が一人でコーヒーを飲んでいた。久しぶりに会った幽は以前よりも大人っぽくなっていた。臨也より年下だが、身長もいつの間にか越えている。

「どうも、お久しぶりです」
「うん……元気そうだね」

何か用があるのかと思ったが、ただ話したかっただけらしい。自分でいいのかと思わず臨也は幽に聞いたが、臨也さんでいいんですよと返され何も言えなくなった。臨也も店員にコーヒーを注文すると、幽はチョコレートパフェを追加していた。甘いものが好きなのは兄弟そろって同じらしい。

「何か、あったんですか?」
「え」
「凄く難しい顔をしてますよ」

そんなにひどい顔をしているのか。思わず顔に手を当てる臨也に、幽は表情をまったく変えずに問う。

「……兄さんのことですか?」
「……」

幽は勘が鋭い。それは幼いころから変わっていないようだ。臨也がどう返せばいいのかわからず戸惑っていると、幽はちょうど運ばれてきたパフェをスプーンで突きながら独り言のように話し始めた。

「……初めてあの家に居た時のこと、覚えてますか?」
「……うん」

忘れるわけがない。忘れられないというのが本音だった。自分を見る冷たい眼差し。突然いなくなってしまった優しい母親。自分の居場所がなくなったという孤立感。あまりいい思い出はない。

「俺はまだ3歳でしたが、兄さんが言ったんです」
「……」
「新しく家族が増える、幽にもお兄ちゃんがもう一人できるんだぞって」
「……っ」

そんなこと、彼は言わなかった。違う、聞いていなかっただけだ。

「母さんのこともあって臨也さんが兄さんのこと避けると、俺に言ってきたんです。俺何か悪いことしたのかな、どうしたら許してくれるかなって」
「……」

あの家に来た当初、静雄は本当に甲斐甲斐しく臨也に構っていた。それが物珍しい気持ちからだとばかり臨也は思っていた。悪い気はしなかった。だが静雄が構えば構うほど、あの母親は臨也へきつく当たった。それが怖くて同じように静雄も怖くなった。静雄と話せばまた酷いことを言われる。今度は追い出されるかもしれない。母親のいなくなった自分にとってあの家が最後で唯一に居場所だと理解していた臨也は静雄を無視するようになった。何よりも自分が傷つかないために。そのせいで静雄が傷ついていることに、気付ける状態でもなかったのだが。

「少なくとも俺と兄さんにとって、貴方は大事な家族です」
「俺は、君たち家族を……めちゃくちゃに……」

自分が来なければあの家はもっと幸せになれたんだろう。自分が出ていけば幸せになれるんだろう。そう繰り返しているうちに幸せが何なのかよく分からなくなっていた。ただ分かったのは、自分があの家にいると誰も幸せにはなれないということだった。臨也の葛藤を知ってか知らずか、幽はいつも通り余計なことは一切言わずただ一言告げるだけだった。

「俺にとってあの時から兄貴は二人ですよ、兄さん」

幽の表情に変化はない。だが臨也には笑っているように思えた。たった一言言われただけなのに、臨也の心は軽くなったような気がした。


目の前の扉は何の変哲もない普通の扉なのに、今の臨也には鉄の扉に思えた。それを数回ノックすると、中からベッドのきしむ音が聞こえた。

「母さんか?」
「……」

すぐに臨也だと理解したらしい静雄はすぐにドアを開けた。

「……そんなとこいないで入れよ」
「……うん」

臨也が静雄の部屋に入るのは、本当に初めてだった。室内は意外にも片付いていて、物足りないと感じるほどだった。ベッドに腰掛ける静雄に対して臨也は床に座った。緊張からなのか素なのか、正座をする臨也に静雄は苦笑していた。

「……この前の、話なんだけど」

臨也は思ってることを打ち明ける。静雄は何か言うでもなく、ただ黙って耳を傾けているようだった。こうして話し合う日が来るとは思いもしなかった。

「……俺には、そこまで必死になるような価値はないんだ」

どんなに考えても、それしか思い浮かばなかった。自己主張がほとんどなく、いてもいなくても変わらない。

「……俺なんかと一緒に居ても人生無駄にするだけだよ」

その言葉に下を向いていた静雄が顔を上げる。それまで膝の上に置かれていた腕は胸倉を掴んだ。息苦しさに臨也は顔を歪める。だが静雄は手を離そうとはしなかった。

「……俺の人生無駄だって、言いたいのか」

普段の静雄からは想像もできないような、落ち着いた声だった。震えているようにも聞こえるそれは、臨也の耳に響く。

「ずっとお前のこと助けたくて、悩んで足掻いてた今までを……無駄だなんて、言うな」

今にも泣きだしそうな静雄の表情に臨也は驚いた。泣き出しそうな表情はやがて本当に涙を流して、臨也にすがるように抱きついてきた。まるで子どものように嗚咽しながら静雄は泣いていた。その間にもごめん、ごめんなと謝罪の言葉を口にした。臨也は何のことで謝られているのか分からなかった。ただ泣いている静雄の背中をさすりながら、ほんの少しだけ臨也も泣いた。










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