小説 | ナノ





結局、静雄が満足したのは日付を越えてからだった。手酷く犯すわりに、静雄は後片付けをきちんとする。きっと周りにばれたくないからだろう。臨也は新しいシャツに腕を通しながら考えていた。未だに下半身には鈍い痛みが残っていたが、いつまでもこの部屋に居るわけにもいかない。この青臭い空気を吸っているくらいなら、近所の公園で過ごした方がマシだ。そう思って臨也はいつにも増して早く家を出た。ほとんど寝ていないせいで欠伸の回数はいつもより多い。四木に貰った眼鏡をかけ、片手には昨日用意した紙袋を持っている。時間が早いせいもあって玄関に弁当は置かれていなかった。臨也は特に気にすることもなく外に出た。空は晴れ晴れとしていたが、臨也の気は重かった。
それからしばらく、静雄が臨也を犯すことはなくなった。だがそれは同時に、静雄が臨也に対して目を向けなくなったという意味でもある。あの家で自分から臨也に関わろうとするのは静雄くらいだ。皮肉にも自分を無理矢理犯す男の存在がなくなったことで、本格的にあの家での臨也の存在はないに等しいものになっていた。それを寂しく感じているとは臨也本人ですら気付いていない。そんなわだかまりを抱えたまま、季節は秋に変わろうとしていた。

他の生徒よりも一足先に上着を羽織るようになった臨也は、以前にも増して図書室へ入り浸るようになった。昼休みは変わらず門田も来るが、ほかの休み時間は一人で過ごすことが多い。元から友人が少ないこともあり、それを気にする人間はいなかった。ただ前期から後期へと引き継がれた図書委員にすぐに顔を覚えられたくらいだ。最近読み始めた結構な巻数のある小説を手に取ろうとしていると、ガラリと大きな音を立てて図書室のドアが開けられた。

「あ、いたいた。えーっと……イザヤくん!」

臨也と同じようにすでに上着を羽織っている眼鏡をかけた見知らぬ青年は、静かな室内を気にせず大声で名前を呼んだ。いきなり下の名前で呼ばれたことに唖然としている臨也をよそに、その男子生徒は遠慮なしに話し始める。黒髪に眼鏡をかけシャツを一番上まで止めたその外見は、いかにも勉強一筋に生きているような雰囲気を出していた。こんな真面目そうな生徒が一体何の用だろうか。

「君から注意してあげてよ!静雄くんってば、ここのところ午後の授業全部寝てるんだよ?いくらバイトがるからって、それじゃあ健全な高校生活は送れないよ!」

突然出た静雄の名前に臨也は内心どきりとした。この真面目そうな生徒と静雄はどういう関係だろう。まさか彼はパシリか何かに利用されているのではないだろうか。声をかけられたとき臨也はそう考えていたが、その後に続いた言葉からするとただの友人らしい。意外だと若干感心するとともに臨也は面倒だと思った。自分が義理と言えど兄弟だから、注意をしろと彼は言っているのだろうか。ならばお門違いだ。

「あの……」
「ん?あぁ、僕は静雄くんと同じクラスの岸谷新羅」
「いや……」

誰も名前なんて聞いていない。思わず思っていることを言おうとして、口をつぐんだ。いくらなんでも初対面の人間にそれは失礼だろう。友人が少ないとはいえ、臨也にも言っていいことと悪いことの区別はついていた。

「……でも何で俺がそんなこと」

自分が注意したところで相手にされないのが落ちだろう。それどころか反感を買うかもしれない。どのみち本人に今言われたことを伝える気など毛頭なかった。だが、新羅は臨也の反応など全く気にしていない様子だ。

「だって静雄は君のためにバイトしてるじゃないか」

「……え?」
「あ、次移動だった。じゃあよろしくね!」
「ちょ、ちょっと……!」

新羅は意味深な言葉を残してさっさと行ってしまった。無視してもいいのだろうか。手に取った小説のページを捲りながら、窓から空を見上げる。久しぶりに見たそれは、相変わらずどんよりと灰色をしていた。


静雄が帰って来るのは毎日夜の10時過ぎだ。そこから風呂に入ったり食事を済ませている。臨也は夜遊びでもしているのだろうと思っていたが。新羅が言っていたバイトをしているというのは本当かもしれない。それもこの生活リズムは静雄が臨也を犯さなくなった時期と同じ頃から始まっている。臨也のために静雄はバイトをしている。新羅は確かにそう言った。本当なら無視した方がいいと臨也は考えていた。だが忘れようとすればするほど考えてしまう。

「あの……」

風呂上り。普段ならこのまま自室で眠りに就くだろう静雄に、臨也は声をかけた。驚いたのは静雄だ。臨也の方から接触してくるとは思いもよらなかった。手に持っていたタオルを首にかけて、静雄は臨也の方を向く。見るからに緊張し始めた臨也の口の中はカラカラに乾いていた。それでもせっかく引き止めることができたのだ。今聞かなければもっと気になってしまう。

「最近、どうしたの?」
「……何がだ?」
「その、最近……しない、から」
「……犯されたいのか?」
「っ……」

当然のように答える静雄に言葉が出てこない。きっとくだらないことを聞くなと機嫌を損ねてしまっただろう。声をかけなければよかったと臨也が後悔しているのをよそに、静雄は濡れた髪の毛をタオルで拭った。

「……別に、そんな気分じゃねぇだけだ」
「……バイト」
「あ?」
「バイト、してるって」

バイトという単語に静雄はむっと顔をしかめた。知られたくなかったのだろうか。親に黙っていしている可能性もある。だが静雄はまだ未成年で、保護者の同意なしにバイトはできないはずだ。

「……誰に聞いた」
「君のクラスの、新羅っていう人」
「あの野郎……」
「……ねぇ、何で?」
「別にいいだろ。手前には関係ない」
「そ……そうだね、ごめん」

苛立った様子の静雄に臨也はびくりと肩を揺らした。昔はこんな関係じゃなかったと臨也は思った。静雄ももっと優しかった。それを変えてしまったのは自分自身だと理解しているつもりだが、その反面その変化に苛立ってもいた。

「……出るためだ」
「え……?」
「家出るために、金貯めてんだよ」
「……家、出るの?」
「おう」
「……そっか」

臨也の選択肢に家を出るというものはない。それが容易ではないと知っているからだ。それ以前に臨也が望まなくともこの家を出される可能性が高い。そのとき自分は途方に暮れるのだろう。それでもいい。高校を卒業させてもらえるだけでも自分には十分だ。

「……お前も家、出たらいいだろ」
「無理だよ……俺には君みたいに行動力ないし、きっと続かない」
「……このままここにいるのか?」
「それは……きっとあの人たちが許さないだろうね」
「だったら、来いよ」
「?」
「俺と、この家から逃げればいい」

臨也は静雄のまっすぐな眼差しに耐え切れず後ずさる。自室のドアに手をかけると静雄はドアに手を付き臨也を逃げられないようにした。身長差のせいで静雄に見下ろされる状態だ。

「……何、言ってるの」
「俺のことが嫌いでもいい。でもこれ以上ここにいてもお前のためにならない。だったら俺のこと、利用しろ」
「……」
「ここから俺と出て行って、俺のこといらなくなったら捨ててもいいから」
「何で、そんなこと……言うの……変なこと、言わないで……」
「……」

臨也は理解できなかった。そんなことをして静雄に何のメリットがあるのだろうか。下手をすれば自分も両親に咎められるはずだ。とにかく考えておいてくれ、そう一方的に告げると静雄は自室に入って行ってしまった。残された臨也は茫然と立ち尽くしていた。たくさんのことを言われ、普段は回転の速い臨也でも動揺した。要約すれば、静雄は臨也を連れてこの家を出る気だ。そのためにバイトをしている。そこまでは理解できた。親元を離れて暮らしたいという心理は、この時期の子どもには誰にでもあるのだろう。だがその先だ。静雄は臨也を連れて家を出る。そこまでする意味が分からない。
一番最初に考えたのは、そこまで静雄は性欲処理に困っているのかだった。確かに臨也は同性であることから妊娠する可能性はない。きっとそうに違いない。なぜなら静雄は自分のことを嫌っている。臨也は自分でそう考えて悲しくなった。どうして悲しいのだろうか。身体目当てだとしても、確かに静雄は臨也を必要としていることに変わりない。考えなくとも最初からその関係に変わりはなかったのに。










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