小説 | ナノ




「……ただいま」

とても小さな声で臨也は一人言のように呟いた。もちろん返ってくる言葉はない。今日は静雄が空の弁当を持ちかえったが、いつもは帰宅すると同じ場所に弁当箱を置く。こうして臨也と母親が会話をすることはおろか、顔を合わせることもない。玄関に近い洗面台で手を洗うと、臨也は二階の自室へと向かう。一方の壁を本棚が埋め尽くしているそこはあまり広くない。そこにテーブルと布団、衣服を収納する棚が置かれていた。そんな環境で臨也は幼い頃から過ごしている。娯楽は本だが、全て読み尽くしてしまった。もう一つは携帯電話。父親から渡されたそれは、臨也にとって一番役に立っているかもしれない。しかしアドレスに登録されている人間は二桁にも満たない。その中にこの家の人間は含まれていなかった。臨也にとってそこに名前があるのは、よっぽど親しい人間ということになる。クラスメイトの門田の名前もそこにはあった。
制服の上着をハンガーにかけて臨也は部屋着に着替えようとした。するとドアをノックする音が響いた。誰かはだいたい想像がついていた。しかし気が重いことに変わりはなかった。僅かに開いたドアの隙間から小さな鞄が差し出される。それを掴む腕をたどれば静雄と目が合った。

「……」
「俺じゃねぇ、門田からだ」

そう言って差し出された入れ物の中身はサンドイッチだった。あの門田が作ったのだろうか。試行錯誤しながら作る姿を想像して、臨也は自然と笑みを浮かべた。その表情を見て静雄が小さく舌打ちする。臨也は気付いていない。

「……ありがと」
「……おう」

臨也は静雄に一言告げるとすぐにドアを閉めてしまった。会話をするのが嫌というよりは話す話題がない。今では想像もできないが、昔は静雄の方が甲斐甲斐しく臨也に構いに行っているほどだった。そんな考えを打ち消すように、紙袋の中を見て臨也は微笑む。門田にはどんなお礼をしよう。自分も手作りで返してみようか。色々なことを考えながら臨也は携帯を手に取った。


翌日の放課後、臨也はその足でそう遠くない図書館へと足を運んだ。もうすぐ閉館時間ということもあり、館内からは帰路につく利用者の姿がまばらに見られた。臨也は図書館に用事があったわけではない。ただ人との待ち合わせにこの場所を使っただけだった。ポケットに入っていた携帯を取り出す。新しいメールや着信はないが、今日待ち合わせをしている相手は時間に厳しい人だ。遅刻はないだろうと臨也は鞄から読みかけの本を取り出した。しばらくすると車のクラクションが鳴らされた。顔を上げれば見慣れた白い車体。小走りに駆け寄ると運転席の窓が下げられ、臨也にとって数少ない友人の一人だった。

「こんにちは四木さん」
「どうも臨也さん。お元気でしたか?」

四木と呼ばれた男は臨也を助手席に乗るよう促した。車内に乗り込むと慣れない香水の匂いに臨也は噎せた。四木の匂いは会うたびに変わる。四木が香水を変えているのではなく、香水を付けている相手が変わっているのだと気付いたのは最近のことだ。そんな四木がどうして自分を気にかけるのか、臨也には見当もつかない。ただ小学生のころから通っていた図書館でよく顔を合わせ、いつしかプライベートな付き合いもするようになっていた。

「そういえばこの前お贈りした眼鏡はどうですか?」
「とっても見やすくて重宝してます。今は寝るとき以外ずっと着けてますし」
「気に入ってもらえてよかったですよ」

臨也にとって歳の少し離れた四木は落ち着ける人物だ。臨也の知らないことをたくさん知っている四木との会話はいくらしても飽きることはない。まるで親代わりの様な存在だった。もちろん四木はそれほど年齢を重ねてもいないし、本人に言えば失礼だと怒ってしまうだろう。それでも今回の様に自分で眼鏡を買うことのできない臨也に、わざわざ眼鏡を用意したりと四木も今の関係に満足しているようだった。

「それよりすみません、今日は無茶を言ってしまって……」
「気にしなくていいですよ。貴方にしては珍しいお願いでしたしね。できれば結果がどうだったか、後日結果を教えて下されば嬉しいです」
「ふふ、分かりました」

嬉しそうに笑みを浮かべる臨也の頭を撫でながら、四木も同じような表情を浮かべて撫でた。本当に父親のようだ。四木が父親ならばきっと楽しかっただろう。臨也は複雑な気持ちだった。本当の父親は臨也に対してほとんど関心がない。たまに顔を合わせても、目も合わせようとしなかった。それが余計に臨也にとって四木をなくてはならない存在にしていた。

「ではさっそく行きましょうか。ご家族には遅くなると連絡しましたか?」
「……もちろんですよ」

四木は困ったように笑う臨也に気付かないふりをして、ハンドルを握った。



「本当にありがとうございました。夕食まで頂いて……」
「あれくらい構いませんよ。ではおやすみなさい。明日も早いんですから早く寝るように」
「もう、四木さん親みたいですよ?おやすみなさい。四木さんもお仕事がんばって」

臨也は小さくなっていく四木の車を見つめる。既に時刻は夜の10時を過ぎていた。四木の家で夕食とともにお風呂まで借りてしまった。こんな時間に自宅のを使えるか悩んでいた臨也にとって有難いものだった。四木のおかげで用意できた物の入った紙袋を覗く。それを見ているだけで自然と笑みがこぼれた。早く部屋に帰って寝よう。そのとき、自転車のブレーキ音が背後から聞こえた。

「……あ」

振り返るとそこにはジャージ姿の静雄がいた。籠にはコンビニの袋。恐らく甘いものが食べたくなって買いに出たのだろう。静雄は見た目とは違って苦いものが苦手で、甘いものが大好物だった。昨日よりも明らかに機嫌の悪い静雄に、臨也は表情を固くした。結構な頻度で静雄が何を考えているのか臨也には理解できない。

「……今の誰だ」
「……」

静雄の問いかけに臨也は答えない。四木のことを静雄に教えたところで何もないと分かっているからだ。四木は静雄とは違う。四木は静雄のように自分の感情に流されることもなければ、臨也をとても大切にしてくれる。臨也は大声を上げて静雄を罵ってやりたかった。四木に対して抱いている感情は恋心とは全く違う。無意識のうちに、臨也は四木に理想の父親を求めていた。

「誰だって聞いてんだ」
「……」

答えようとしない臨也に静雄の苛立ちは高まるばかりだ。ついに痺れを切らし自転車をその場に倒すと、静雄は臨也の胸倉を掴みそのまま二階へと引きずっていった。臨也はただ腕に抱えた紙袋を落としてしまわないよう気を付けていた。こうなった静雄は気が治まるまで手に負えない。床に敷かれた布団に突き飛ばされる。そのまま静雄は馬乗りになると、臨也の着ていたシャツを脱がしにかかった。
静雄がこの強姦紛いなことをするのは初めてではない。静雄は臨也の態度が気に入らないのか、中学2年の頃から臨也を犯していた。中途半端な知識しか持たない静雄に抱かれる臨也の負担はとても大きかった。そもそも同性の時点で色々と間違っていると、臨也は気味が悪いほど冷静な頭で考えていた。
息を荒くして自分の性器を口に含もうとしているのは間違いなく静雄だ。彼はどうして自分を抱くのだろう。容姿もどちらかといえば整っている。声をかければ足を開く女くらいいるだろうに。たくさんのことを考えながら、臨也は四木から貰った眼鏡を枕元にあったケースに入れた。僅かにぼやける視界には金髪が上下に動いていた。臨也は静雄との性交に何かを感じたことはない。確かに快楽を感じることはあるが、嫌悪もなければ好意もない。ただ気が済むまで声を我慢すればいい。そうすればまた何事もなく朝は来る。

「……相変わらず手前は声一つ上げねぇな」
「……」口元を先走りで汚した静雄が苛立った様子で臨也のズボンを引き抜く。何も身に着けていない下半身は少し寒気がした。静雄の言葉に臨也は首を傾げる。声など一体何の意味があるのだろうか。以前、静雄は臨也のことをダッチワイフのようだと罵った。言った本人は嫌味で言ったのかもしれないが、臨也はその通りだと納得した。声を上げることもなく、ただ静雄の気が済むまで足を開くだけの自分。正にダッチワイフのではないか。そんな考えに耽る臨也をよそに静雄は足を開かせる。先ほどの口淫のせいか臨也の性器は僅かに勃起している。それを擦ってやりながら、静雄はほとんど慣らしていない尻の穴に自分の性器をねじ込んだ。

「う、あぁ……っ!」

この行為が始まってから初めて臨也は声を上げた。流石に挿入されるときは嫌でも声が出る。一応手で口を押さえてはいるが、本来使うべきではないそこに性器を押しこまれるのはとても苦痛だった。必死に手を噛んで声が上がらないようにする。外に聞こえるのが嫌だという意味もあるが、こんな声自分でも聞きたくなかったからだ。知らない間に臨也は泣いていた。どうして泣いているのか分からない。痛いのだろうか。痛むとしたらどこが。最初の頃はもっと痛かったはずなのに。耳を塞ぎたくなるような水音を聞きながら、臨也は意識が途切れるまで天井を眺めていた。




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