仕事から帰ると、朝閉めたはずの鍵が開いていた。ドアを開ければ廊下にまで転がった俺のものではない靴。まるで何かに追われていて靴が脱げたような光景だ。それをきちんと玄関にそろえて、家へと入る。床には丸まった黒いコート。これも慌てて脱いだのか、袖がぐちゃぐちゃになっていた。椅子にそれをかけて、人の気配がする寝室へ入る。 寝室と言っても俺の家はリビング以外に部屋はここしかない。部屋の隅に置かれたベッドを見れば、布団が膨れ上がっていた。それが何なのか嫌というほど知っている俺は、特に驚くこともなくベッドに腰かけた。 「……」 起こさないように布団を軽くめくれば、あの憎たらしい目を瞼で隠して眠る臨也がいた。ふと見れば俺のシャツを着ている。それも昨日着ていたもののようだ。袖口に昨日つけたイチゴジャムの汚れがあった。俺は毎日洗濯せずにある程度たまってからする。それを見越してこいつはここにきているのだろう。 臨也がこうして俺の家に来るようになったのはずいぶん前のことだ。池袋でこいつの姿を見つけた、当たり前の様に追いかければどうも反応が悪い。ついには何もない場所でこけてそのまま動かなくなってしまった。まさか打ち所でも悪かったのだろうかと思って顔を見れば、それはもうぐっすりと臨也は寝ていた。仕方がなく自宅へ連れ帰った。これでも付き合っているからだ。目の下には隈ができていて、寝ていないと言う事がすぐに分かった。 とりあえずベッドに寝かせて様子を見れば、臨也はそのまま次の日の朝まで目を覚まさなかった。それからと言うもの、臨也は定期的に俺の家に来るようになった。その目的は寝るためだ。いつも目の下に黒いクマを作っては俺の家に勝手に入り込んで、服まで奪って眠るだけ。そうして起きて、また臨也は新宿へと帰って行く。臨也にとって俺のベッドは、眠れる場所になっていた。 髪の毛を掻きわけて、そっと額に口付ける。目の下にできた黒い隈は肌が白い分、よく映えた。それを指でなぞればくすぐったそうに瞼がぴくぴくと動いた。できるだけ振動を与えないように布団ごと臨也を持ち上げて、俺が寝転ぶスペースを作る。狭くて落ちそうになるのを臨也を抱きしめることで防いだ。臨也はよっぽど熟睡しているのか、起きる気配はない。しばらく臨也の髪をすきながら顔を見ていたが、俺もつられていつの間にか眠ってしまっていた。 どれくらい寝てしまったのだろうか。俺は身体を揺さぶられる感覚に目を覚ました。重い瞼を開ければ、すでに起きている臨也と目が合った。 「何でシズちゃんがここにいるの」 「手前な……それが不法侵入した奴の台詞か」 臨也もさっき目を覚ましたところなのか、まだねむそうに目を擦っていた。寝たせいもあって普段冷え症で冷たい臨也も今は温かい。そう言えばこいつはコートだけでなくシャツも脱いでいたような気がした。視線を首筋より下に向ければ、ボタンを最後まで止めていないせいで肌が見えていた。 「その格好で寒くないのかよ」 「んー……最初は寒かったけど、シズちゃんあったかいから平気だよ」 「そ、そうかよ……」 寝起きなせいもあってか、臨也は観たこともないような分やりとした笑顔を浮かべた。そして今まで以上に身体を寄せられる。臨也からは俺の匂いがした。当たり前だ。俺の服を着ているうえに、俺のベッドで寝ているのだから。それに少し優越感を感じていると、臨也は自分が来ている奴の匂いを嗅ぎ始めた。 「……それ、洗濯する前のだろ」 「うん。脱衣所から取って来た。ちょっと汗臭いかも」 「今すぐ脱げ」 「起きてすぐ盛るだなんてさすが絶倫シズちゃん」 「殴り殺されたいか」 「そこはヤり殺されたいかって言わなきゃ」 殴るのは冗談として、とりあえず頬をつねっておいた。もちろん手加減はしている。すぐに罵声がたくさん飛んできたが、聞かないことにした。 「そういやよ、聞いたことなかったけど、何で俺の家でわざわざ寝るんだよ」 「あれ、俺言ったことなかったっけ?シズちゃんの匂いがするから」 「は?」 「最初は服とかいろいろ、家に持ち帰って自分のベッドに置けば大丈夫かと思ったけど駄目だった。余計に眠れなくなった。ほんとはこのベッドを持って行くつもりだったんだけど」 「手前、さりげなく凄いこと言ってるぞ」 驚く俺の反応をよそに臨也はべらべらと喋り続ける。最近俺の服やタオルがなくなっっているのはこいつのせいか。しかもご丁寧に使用済みだ。てっきり新手の嫌がらせかとばかり思っていた。 「でも、この前シズちゃんのベッドで初めて寝たとき、今までと比べ物にならないくらい熟睡できた。理由はよく分からないけど、もうここじゃないと眠れなくなった。今回は3日寝てない」 「……それやべぇだろ、普通に考えて」 そう俺が言えば、臨也は自分の黒く艶のある髪を弄りながら興味なさげにそうだねぇと返事をした。人間は寝ないとおかしくなるとテレビで言っていた。最近の臨也を思い出したが、疲れているという印象以外は特に違和感はなかった気がする。 「……俺病気なのかなぁ」 ぽつりと、臨也が呟いた。それは俺に対する投げかけなのか、独り言なのか微妙な言い方だった。俺はとりあえず黙ることにした。すると臨也は軽く伸びをして、すっぽりと頭まで布団をかぶってしまった。顔だけ出して俺を見て来る臨也は、なんとも可愛らしいものだった。しばらくじっと俺の方を見ていたが、またさっき服にしたのと同じように布団の匂いを嗅ぎ始めた。 「……このベッドはシズちゃんがいるからこの匂いがするんだよね」 「そうだな。とりあえずそれやめろ」 「じゃあ、もしシズちゃんが死んでこのベッドで眠らなくなったら、この匂いもしなくなるね」 「……何が言いてぇんだよ」 「そうなったら俺は一生眠れなくなって、死んじゃうかもしれないなぁって……」 まるで他人事のように臨也は言った。実際眠れないほどになって来ているのだから、言葉通りになるのかもしれない。俺がいなくなったこの家で一人、俺の匂いんするものに埋もれて死ぬ臨也を想像した。それが満更でもないと感じているのが厄介だ。 「……だからシズちゃんは俺の安眠のためにも、俺より先に死ねないね」 まるで俺の考えを呼んでいたかのように臨也にくぎを刺される。臨也が俺がいなければ眠れないのなら、俺はこいつがいなければ生きていけないと言っても過言じゃない気がした。 アンケートより。 不眠症でシズちゃんの傍じゃないと眠れなくて、静雄の私物盗んじゃったりする臨也でした。匂いばっか嗅いでるのは完全に私の趣味です。 |