サンキュー、マイマザー
(いち)
ふぅ、と息を吐いて、俺は庭先で空を行く鳥を仰ぎ跳びはねる涼子に目を向けた。
五月の半ば。第二日曜日は、一般的に言われる『母の日』である。
もうすぐ母の日と騒ぐ世の中の子供に比べ、涼子は何も言い出さない。
そもそも、親族が山崎一人しか居ないこの真選組屯所にいるのは、このチビにとって嫌ではないのだろうか。
そんな事を考えながら、いつの間にかすぐ隣に来ていた涼子の頭をがっしりと掴んで止めた。
「う、みゃ、オキタサンどうしたの?」
「涼子、今度の日曜日は何の日だか知ってるかィ?」
「にちよーび? にちよーびは、ぷりきゅあのひだよ」
「それは毎週だろィ。そうじゃなくて、今度の日曜だけでさァ」
「えー、しらなぁい。なんのひ? にちよーび、にちよーびでしょー」
「なんでィ、知らねえのか」
くるくると目を丸くする涼子の額に軽くチョップをかまし、ますます目を見開いた涼子を抱き抱えた。
膝にこちらを向いて座る涼子は、日曜日、と呟いて悩んでいる。
「なぁ涼子、涼子の母ちゃんってどんな人なんでィ?」
「カアチャン? おかあさん?」
「そうそう、お母さん」
「んー…、しらなぁい」
首を傾げる涼子は、うんうん唸って右を見たり左を見たりと挙動不審に見えた。
日曜日の謎から、新たにお母さんの謎を植え付けてしまったらしい。
「……もしかして、涼子はお母さんが居ねぇのかィ?」
「んー…うん、いないの」
「…何ででィ」
我ながら、酷い質問だと思った。
この歳で母を知らないという事は、そりゃ大体は死んでしまっているからに決まってるだろう。
死んだという事実は知らない、理解していないにしろ、涼子の母親は居ないのだ。
(……俺とおんなじ、か)
「あのね、おかあさんは おそらにのぼったんだよって、おとうさんが ゆったの」
「…そうかィ」
「おそらのうえから、キラキラしてりょうこをみてるよ って」
だからわたしは、おかあさんがちゃんと キラキラできるように、わらってるんだよ。
輝かしい笑顔を浮かべ、涼子はそう言った。
キラキラして涼子の事を見てるって?キラキラとしてるのは涼子自身の間違いではないだろうか。
そんな涼子が、何やら眩しくて、俺は顔をしかめた。
「ん、オキタサンおなかイタイの?」
「は…?」
「だって、いたそうなかおしてる。どこか、イタイ?」
しかめっ面をした俺に、心配そうにそう言う。さっきまで笑っていたのに、あっという間に暗くなる涼子の表情。戸惑った涼子は、俺を安心させようとしたのか俺の頬にそっと触れた。
ちちんぷいぷい、痛いの痛いの飛んでけー!と親がよく子供にやる呪文を唱える涼子。
そんな涼子が何だか凄く可愛くて、俺は思わず頬を緩めた。
「あっ、イタイのなおった?」
「ふは、はははっ。 あー、治った治った。もう大丈夫ですぜィ」
「よかったぁ、オキタサンはにこにこしてるほうがカッコイイもん。 だからオキタサンといっしょに、わたしも にこにこするよ」
そう言って、涼子はまたキラキラとした笑顔を見せる。
ああ、こいつには母が居ない訳じゃないんだ。
直感で、そう思った。
実質的に居なくても、それ以上に父や周りの愛情が母の想いも補っている。
母は空から見ていると言うのも、それも周りの愛が成せるモノだろう。
(姉上や近藤さんが、俺にしてくれたように)
そして俺は、こいつにとって愛を注ぐ側にいる訳で──
「涼子、今度の日曜日の話なんだけど」
母の分まで周りに愛情を注がれている涼子に出来る事、それはお返しだ。俺はそのお返しの、手伝いをするしかない。
「日曜日は母の日って言ってな、お母さんに御礼を言う日なんでィ」
「おかあさんに、ありがとーって?」
「そうそう。 カーネーションっつー花あげて、御礼言うんでィ」
母ちゃん喜ぶぜィ、と言えば、涼子はぱぁっと笑って俺の膝からぴょんと飛び降りた。
嬉しそうに俺の名を呼び、小さな手でこちらの指先を握りしめる。
「オキタサンも、おかあさんに おはなあげよ!」
「え…、俺ァ母ちゃん居ねえからいらねえよ」
「オキタサンのおかあさんも おそら? なら、いっしょにおはな かって、いっしょにありがとーって しようよ!」
ぐいぐい引っ張る涼子に負け、俺は足を踏み出した。
屯所の外へと向かう涼子に金はあるのかと問えば、お小遣いに百円貰ったと答える。
(流石に百円じゃ買えないねぇだろうな。)
足取りも軽やかに進むこのチビにそれを告げたら酷な気がして、俺は口を噤んだ。
「わたしのおかあさんも、オキタサンのおかあさんも、きっとよろこぶね!」
「ああ、きっと喜ぶぜィ」
ただ、花屋についたらさりげなく涼子の分まで花代を出してやろう。
そう思った。
ああ、母の日も悪くねぇな。
サンキュー、サンキュー
マイマザー!(おかあさん、ありがとう!)
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