幸福恋歌(いち)


それは、俺がかぶき町に来てしまった日の夜更けの事だ。

新八君に湯殿や厠を説明してもらい、文化の違いに感銘やら感心やらしていた俺を見て、小百合はちょっと得意気に笑った。
私はもう知ってるよ、と、そんな事を思っているのだろう。


「新八君、説明してくれて有難う。助かったよ」

「いえ、大丈夫ですよ。 また何かあれば、誰でも答えられますから訊いてください」


そんな新八君の言葉に、小百合は表情を明るくする。
そして、大きく手を挙げた。


「新ちゃん、私もわかるよ!」

「…言うと思ってたヨ」

「うぁ、新ちゃん冷たい…」

「俺だって理解しようといっぱいいっぱいなんだって。 …まあ、どうしてもわかんなかったら小百合センセイにご教授願おうかネ」

「ふふふ、うん!」


破顔する小百合に、思わず俺も笑った。
小百合はちょっと…いや、大分世間知らずのお嬢さんだから、俺に何かを『教える』っていうのが嬉しいんだろう。

楽しそうに笑って定春君という大きな犬(と呼んで良いのかわからないデカさだ)に構いに行った小百合に聞こえないように、側に居た神楽ちゃんが俺に耳打ちした。


「あんまり小百合には聞かない方がいいアルよ、ちっさい新八」

「…あ、やっぱりちゃんと解ってないんだ」

「なんだ、予想ついてたアルか」

「あの子の『大丈夫』や『まかせて!』は、大体にしてボロボロなんだよねー…。 自信過剰で大分抜けてるというか…。そこが魅力であるのは、確かなんだけどさ」


そう言った俺に、神楽ちゃんはパチリと大きな目を瞬たかせた。
「恋は盲目アルな」と言って酢昆布(というお菓子だと、さっき教えてもらった)をくわえると、長椅子に体を沈める。

坂田さんが腰掛けている向こうに見える格子からは、沈むような闇が見えた。
そっか、さっき小百合を取り戻してから遅い夕餉をとったんだから、時間は相当遅くなってるんだ。
部屋の中が行燈なんか目じゃないくらいに明るいから、不思議な気分だ。


そこでふと、妙案が浮かんだ。
定春君と遊ぶ小百合を呼んで、静かに訊ねる。




「…小百合、なんでも教えてくれる?」

「うん、もちろん!」

「じゃあ教えてもらう為にも、湯浴みは一緒にしようか」


笑って言えば、にこにこ笑っていた小百合は一瞬驚いたように目を丸くして、そして頬を真っ赤に染め上げた。
定春君から離れて赤面したまま、長椅子に座る神楽ちゃんの隣に収まってその腕にくっつく。
照れ隠しなのはわかるけど、そこまで隠れられると逆に苛めたくなるのは男の性(さが)だろうか。

吃る彼女の後ろで坂田さんが苛立ちを隠さずに表情を歪め、「おい!」と声を荒らげる。


「おま…っ、なに考えてんだ!」

「坂田さんがなに考えてんの? 俺はわからなかった時の為の対応として、小百合を誘っただけなんだけど」

「いくら恋仲でもうらやま…神楽の教育に悪いっつってんだよ!」


「銀さん、本音が丸見えです」

「それに二人で裸で密室とか、確実にヤるだろ。ヤりまくって小一時間出てこないつもりだろ。 ほんとマジさー、その後の風呂に入りにくいっつーの!」

「お前の方が教育に悪いわ!鼻血出しながら何言ってんだ天パ!! 永倉さんすみません、銀さんが失礼な事を」

「いや、鼻血出てんのは新八の方だから。 俺は…あれ出てるなコレ。神楽、ちょっとティッシュとってくんない?…神楽ちゃん?神楽さーん?」

「はぁ…お前らの中二男子のような妄想力にはついてけないアル。ティッシュと一緒にドングリでも詰めて栓しとけヨ」



三人が繰り広げる漫才のような言葉の応酬に、思わず溜め息を吐く。
顔を真っ赤にした小百合は、微かに目元を潤ませながら神楽ちゃんから俺の側まで歩み寄った。

そして一言、回りには聞こえないような小さな声で言う。


「そ、そういう事、今日はしないなら、一緒に入ってもいい、よ…っ」



羞恥心で涙を浮かべた小百合は、意を決したようにそう言った。
うぅ、と唸る彼女の赤い頬をそっと撫でれば、小百合はその手を掴んで擦り寄る。

目を軽く伏せた小百合は上目遣いでこちらを覗き、薄くはにかんだ。


「…煽ってるって、わかってないデショ」

「うにゃ、あおってないもん」

「はは、泣いてるし」

「新ちゃんが、いじめるから…っ」


「ハイハイ、そうネー。 まぁ、とりあえず今日は……」


ちょっと機嫌が良くなった小百合の赤い頬。そこを線を残す涙の跡に、優しく唇を落とす。

「これで我慢してあげる」と耳元で囁けば、小百合は無防備だった俺の懐に飛び込んだ。

不思議な世界に来てしまったけれど、場所が違えど、一緒にいるだけでこんなに幸せなんだ。

愛しいその身体を抱きすくめて、思わず二人で笑い合った。




幸 福 恋 歌



「あっ!」

いつの間にか万事屋三人の漫才は終わっていたらしく、俺達二人の空気を切り裂くように坂田さんが短い叫び声をあげた。


「お前ら何やっちゃってんの?! 見境なくいちゃつくんじゃねぇよ!」

「小百合、いくら恋人だって時と場合は選ぶヨロシ。ほら、こっちおいで!私といちゃいちゃするアル!」

「ちょっと神楽ちゃん、それってあんまり解決してなくない?! 小百合さんいいですからね、今のは実行しなくても!」

「えっ、私、神楽ちゃんなら別にいいよっ!」

「やったアル!小百合ー!」

「ふふ、ぎゅーっ!」


万事屋三人の漫才は、あっという間に小百合を含めた四人の漫才に変わっていた。
騒がしくも、何だか楽しそうな小百合にちょっと安堵する。良かった、こっちで変な苦労はしていないようだ。



ぎゃあぎゃあと騒ぐ四人に、定春君はあくびをする。
そんな定春君を撫でつつ、俺も笑みを溢した。




そういえば、結局お風呂は一人で入りました。

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