永倉さんをかわせ
「考えてくれた?」
洗濯物を干していた私に、永倉さんがそう尋ねた。
煙草の煙が風に乗ってこちらに流れてくる。それに顔を顰(しか)めると、彼は皮で出来た袋にそれを押し付けた。
よかった、前に刃朗君に「敷布がくさい」と文句を言われたから、結構気を付けてたんだよね。
洗濯物の側では吸わないようにしてもらわないと。
「ね、フミちゃん?」
「へっ? あ、えっと…」
「この前話した、勘違いを勘違いじゃなくする方法。 フミちゃんの気持ちが固まるまでは待とうと思ったけど、それを待ってたらそのまま忘れられそうで」
「あぁ、はあ。」
曖昧に濁せば、永倉さんは口角を上げて笑った。つられるように、私も笑った。
残念ながら、「てめぇなんか願い下げだ!」と思ってから色々とありすぎて、もうすでに忘れかけていた。
勘違いじゃなくする方法ってなんだっけ。付き合っちゃおうか!的な軽いノリだったっけ?
ん?でもその後に藤堂さんに好きだと二回も言われたんだから、もうどうでもいいんじゃね?
そうだよ、別にもうどうでもいいんじゃないかな?!
「…どうでもよくねぇよ?」
「えっ!あれ、声出てました?! すみません、えっと…」
「いや、口に出してなくても、表情で分かるっていうか…俺だってフザケてフミちゃんに迫ったんじゃない訳よ。だから、ちゃんと本気なんだって気付いてほしいんだけど」
「…えー…」
心の底から「えー…」である。
いや、だって、本気には見えないっていうか、そもそも本気ってなんだろう。私と恋仲になってゆくゆくは夫婦になりたいという感じのあれなのだろうか。
言葉よりも先に唇を奪うような男に、いったいどんな『本気』があるんだろう。
疑いしかない状況で、永倉さんは尚も微笑む。
私はそんな永倉さんを見ながらも、決意を固めるように唾を飲み込んだ。
「…わ、私、藤堂さんに愛の告白をされまして」
「あぁ、知ってる。そんで、断ったんだろ?」
「何で皆知ってんだよざけん…あ、いや、えっと…、断ったのは藤堂さんだからとか、ではなく…あの、私は誰とも恋仲になるつもりはなくて」
「だから俺もダメって事か」
「…えぇ、まあ」
かなり濁したけれど、これで諦めてくれないだろうか。
そんな祈りを込めて、永倉さんに視線をくべる。しかし永倉さんは、そんなのも予測済みのように澄ました笑顔を湛えていた。
振ったのにそんな顔されるとは思わなかった。悲しんだり衝撃を受けたり、そういう表情を浮かべるもんだと思ったのに…。
そう考えていたら、私は思わず永倉さんに手を伸ばしていた。
「…なに、どうした?」
「あっ…! あ、いや、離してください…ち、違うん、です…っ、別に何も」
「別に何もなくて、フミちゃんは袖にした男に触れようとするんだ?」
「うぃぃ痛い痛い痛い!ほんと、離してください…!」
「平助にも、拠り所だからこれからもよろしくお願いしますって…甘い事言っただろ。 本当に振りたいんなら、期待持たせない方がいいぜ。少なくとも、平助には…」
手首を思いきり握る永倉さんは、何だか余裕そうにも見えて、それでいて少し焦ってる感じもした。
切に語るそれに、私の心も固まる。
期待を持たせた訳ではない。これからも今までと変わらずによろしくお願いしますと、そう言ったまでなのだ。
それでもそれが期待を持たせた甘い戯れ言だと言うならば、私にだって考えがある。
「…っ、な、なら…! それなら、この際だからハッキリと言わせていただきます、よ…っ!」
言い終えるが早いか、足を出したのが早いか、私は永倉さんの向う脛を思いきり蹴りあげて叫んだ。
いくら体格差のある男だろうと、力の限り向う脛を蹴られたら痛いだろう。なんとも言えない呻き声が耳に届き、私は解放された手首を数回さすってからその手の平を永倉さんの頬に叩き込んだ。
バチン、と、乾いた音が空気を揺らす。
「いってぇ…!」
「耳の穴かっぽじってちゃんと聞いとけ! 告白もなんもない状態で突然唇を奪うような、テメェみたいな男に捧げる操なんざ、こちとら持ち合わせてねぇんだよ!そんなん願い下げだっつーの! なんなのホント、マジでふざけんじゃねぇよ。ここの男達は節操ない奴ばっかじゃねぇか!」
「…っ、え、…えっ?」
「期待を持たせるつもりなんか、砂粒ほどもねぇんだよ!! 私は私の仕事が出来ればそれでいいの!それなのに勝手に騒ぎやがって、思春期か!恋する乙女か!」
「ちょ、ちょ…っ」
「あン?期待持たせんなっつったのはそっちだろうが、黙って聞いてろや」
「え、いや、今…想像以上の鈍器で殴られた気分だわ…」
静かな声で言った永倉さんを遮るように、干した敷布がはためいた。
バタバタと揺れるそれは、大きく風を受けて私に直撃する。濡れたそれは、冷たくて地味にツラい。
でも、その冷たさに少しずつ頭が冷えていく。
何してんだろ、私。
永倉さんに当たっても、抜本的な解決にはならないっていうのに。
小さく息を吐いて、私は足元の篭に置きっぱなしだった敷布を取り上げた。物干し棹に引っ掛けながら、呆気に取られている永倉さんを盗み見る。
…うん、どう見ても困ってる。
私も困ってるけど。
小さく永倉さんの名を呼べば、彼は驚きを隠さずに私の顔を見た。
「…今の、すごく口汚かったんですけど、全部本心ですんで」
とどめを刺すように、言葉を紡ぐ。瞠目した永倉さんに微笑みを投げ掛け、それから通常通りの仕事に戻る。
風にはためく敷布は何事もなかったかのように白く光っている。
口を噤んで去っていく永倉さん。
この後の私の立場がどうなるかなんて、この時の私は知るよしもなかった。
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