市村君より山崎さんの方が優しい




それは、庭先で洗濯物を畳んでいる時の出来事だった。

私を見て「あ」と一言漏らしたのは市村君で、私は思わず「げ」と呟いた。
そんな私に、市村君はジトリと冷ややかな視線をくべる。あっ、視線が痛い。

とりあえず目の前の仕事を片付けようと、私はひたすらに指先を動かした。
羽織りに混ぜて褌洗わせんの本気でやめさせたい。自分で洗えよ、自分の股に触れてる物を女に洗わせる気持ちが私にはわからないよ…。母ちゃんじゃねぇんだぞ私ゃ…。
そんな事を考えていれば、きっと市村君も飽きてこの場から離れてくれるはず。
そう思ったのだけど、いかんせんそうは問屋が卸さなかった。


「何してるんですか?」

「見ての通り。洗濯物を畳んでますけど」

「…ふぅん。 褌とか、そんなのまで洗ってるんですか」

「洗わせてんのはお宅らだけどね?!」

「まぁ、女中ならそれくらいしても当然なんじゃないですか?」

「なんなの、そんなに私を蔑んで楽しいの? ざけんなよ、泣くぞ、しまいにゃ泣くぞ私ゃ!お前の事ぶん殴って泣くぞ!」


一向に立ち去る仕草を見せない市村君。
そんな彼を罵倒しながら、うず高く積んだ洗濯物を片していく。
猫目を緩く細めて笑う市村君は少しだけ妖艶で、しかしどう見積もっても私を嘲笑っているようにしか見えない。だいぶムカつく。

彼は苛立ちを隠しながら仕事を進める私の指先を見て、小首を傾げた。



「フミさんは、もう猫被らないんですか?」

「…いや、市村君に被る必要は、もうなくね?」



そう言った私に、市村君は目を細めて笑った。
まさか、そんな表情をされるとは思わなかった。
私の隣に腰掛けて、こちらを覗きながら微かに楽しそうに笑う、そんな顔に、私は一瞬ドキリとした。

羞恥心?いや、そんなものではない。
寧ろ不安や畏怖からくるものだ。
確実にあの顔は…。



「楽しんでんだろ…てめぇふざけんな…っ」

「心外ですね。楽しんでる訳ないじゃないですか。 それにしても、相変わらず口が悪いですね」

「うっさいなぁ…嫌なんだったらとっととどっかに──」

「別に、嫌じゃないんですけど」

「へ?」


心外だと言った唇が、それこそ心外な言葉を吐いた。私は遠慮する事もなく顔を歪めて、市村君を見つめる。

妖艶だと感じたあの笑顔で、彼は私を見ている。吃る事しか出来ずにいた私を見て笑っているのだ。
楽しんでいないけれども別に嫌じゃあないとは、はたしてどういう了見なのだろう。
相手の出方を窺っていると、市村君は口許をにんまりと形作った。



「…俺以外に、フミさんのその姿を知ってる人がいないって思うと、なんとなく優越感を感じます」


投げ掛けられたのは、とんでもない一言。
ありえん、このチビ!
畳んでいた隊服を膝に叩き付け、隣の少年の胸ぐらを思い切り鷲掴みにする。
その拍子に膝から隊服が落ちたけれど、この際どうでもいい。誰の隊服か知らないし。

そんな事より、上位に立たれそうになっているこの状況は、この上なく危険である。
優越感に浸られるという事は、確実に私より優位であるという意識があるのだ。いや、女中と新撰組隊士なら、そりゃ向こうが優位なんだけども。

とにかく、きっと私で普段の鬱憤を晴らしたり、恨みを込めて攻撃したりするのではないだろうか。

それって、つまり…


「お、脅せるもんなら脅してみろよ…!こっちは全力で被害者演じてみせるかんな!」

「え?脅すなんて一言も…あ、山崎先生」

「ハッ。誰がこの前と同じ手をくうかってぇの!大体ね、市村君は私をなんだと思って…」


「フミさんは會津藩から遣わされて来た女中さんじゃないんスか?」


「そうよ私は女中の…!女中の…フミさん…ですけど…」


振り向くまでもなかった。
目の前の市村君とは違う独特の喋り方、それはまさしくさっき聞いた名前の主。

山崎烝さん、その人だ。


「…わ、わあぁ、山崎さんこんにちはぁっ。今日もいいお天気ですね。今 市村君とも話してたんですけどね、一緒に日なたぼっこでもいかがですかぁ、うふふー」


市村君を掴んでいた手を離し、精一杯に柔らかく微笑みながら後ろに振り向いた。
表情の読めない仮面は、なにも言わずにそこに佇んでいる。


せめて罵声くらい浴びせてくれたらこっちだって踏ん切りがつく…いや、罵声は嫌だな、泣きそうだ。
山崎さんの口から罵声とか、絶対にトゲが多い気がする。
たわわに実った栗の木の下並みに攻撃力と殺傷能力がありそうだ。精神的に死ぬ気がする、殺される気がする。

というか死にたい。
そっと埋まっておきたい。

あぁ、最期に父親の顔にビンタぐらい噛ましたかったなぁ。


「…フミさん、全部口に出てますよ。お父上はもっと大事にしてあげてください」

「あれ、おかしいな。 こりゃ私ホントに死ぬしかねぇな、短い間だったけどお世話になりました…」


よし、死のう。
そんな心意気で地面に落ちた隊服を拾い上げながら肩を落とす。
残りを畳んでおいてください。そう言って市村君の手に拾ったそれを置けば、心底嫌そうな顔をされてしまった。

それぐらいはやり終えてからにしたらどうですか?なんて言った市村君を、殴ってやりたいと思ったのは私が悪い訳じゃない筈だ。


そんなやり取りをしていると、どこからか吹き出して笑う声が聞こえた。
肩を震わせているので、恐らく犯人は山崎さんだろう。
しかし、笑われるような事はなにも…。


「ふは…っ、フミさんって、面白い方だったんスねぇ!」

「…え、えぇぇっ? わっ、私の言動に笑ってたんですか?!」

「当たり前じゃないっスか! はははっ、寸劇を観ているみたいっスねぇ」

「こんな寸劇じゃ客が入んないどころか逃げてくと思うんですけど! 儲からなくて、一座夜逃げの勢いなんですけど…!」


声をあげて笑う山崎さんに、私は困惑してしまう。
ちらりと市村君を見れば、彼は訝しげな顔をしていた。

助ける気は小指の先ほどもなさそうだ。


「はー…面白かったっス…。」

「…そ、そりゃ良かったです…」

「山崎先生、何かご用があったのでは」

「あ、通りかかっただけっスから、気にしないでほしいっス。 いやしかし、楽しいものを見せてもらったっス!」


心底楽しんでいたのであろう。
山崎さんは足取り軽く廊下を進んでいって、曲がり角に消えた。

残された私はというと、そんな山崎さんの反応に拍子抜けして脱力してしまった。



「…山崎さんは、言いふらすような方じゃないですよね」

「山崎さん『は』って何ですか。まるで他は言いふらすみたいな言い方をしないでください」

「失敬。 あー…山崎さんもぉ、誰かに言いふらしたりしないデスヨネー」

「…そんな棒読みで言われても」


呆れたように溜め息を吐いた市村君が、「とりあえず」と言葉を続ける。
後に続く物が想像出来ずに身構えれば、彼は淡く頬笑んだ。



「何だかんだ言っても、フミさんの色々な一面、見れて良かったです」


空気を揺らして私の耳朶に染みたその言葉は、先程と比べ物にならないくらいに優しいモノだった。
そのまま去っていく市村君の背中に、私の開いた口は塞がらなかった。
どうしたんだろう、あのチビ。
もしかしたら頭でもぶつけたのかもしれない。今度会ったら「頭大丈夫ですか?」って労っておこう。

そう誓った私は、死なずにすんだ事を噛み締めながら目の前の仕事を片していくのであった。


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