漠然と遠くに絶望が見えて(いち)


声に、揺り起こされた。


その声は聞き覚えのある声で、聞き覚えのあるというよりも、あれは私の母代わりでもある家主のトキさんの声だ。
あれ?トキさんの声が聞こえるってことは、ここはドコなんだろう?

そっと目を開けて辺りを窺うと、横になっていた私の視界を馴染みの深い天井とトキさんの不機嫌な顔が埋めた。


「…ええ加減起きよし。こんな所でいつまでも寝てたら、風邪ひくで」

「…トキさん?」

「へぇ、確かにトキさんや。 寝ボケてんねやったら、散歩でもしてきぃや。しゃんとし、しゃんと」



ぷいっと背を向けたトキさんに、私は瞬きを繰り返す。
どうしてトキさんがここにいるんだろう。
ここは江戸?いや、この部屋は間違いなく京都にある私の暮らしている家だ。
なら、私は帰ってきたのだろうか。

…新ちゃんを、置いて?
いや、きっとそんなことない。
帰ってこれたならすぐに会いに…あれ、帰ってこれたって、いったいドコから?

わたしは、ドコに行ってたの?


「ねぇトキさん、私、ずっとここにいた?」

「なんや、寝ながら歩かはった覚えでもあるん? けど、ずっとうちが居ったし、小百合はんもずぅっと寝てたで」

「…どれくらい、寝てた?」

「そうやな…半日くらいやろか」

「…そう、そっか…」



ここに居たのなら、何も不安になることはないかもしれない。
長く寝すぎて、ちょっと頭がボーッとしてるんだろう。

トキさんがここに居たのだと言うのだから、私は絶対にここから出ていったりはしてない。

(そのはずなのに…何か忘れてる気がする)


胸が、痛む。
ちりりと熱を持ったそこを掴み、私は眉間にシワを寄せた。

怪我なんかしてないのに。
私はそう思いながら、着物の襟掴んで肌襦袢ごと開いた。

「…っ!」


痛んでいたのは胸の上の辺り。
そこには、花の印が刻まれていた。
赤い花だ。しかし、花びらが何枚か黒く染まっている。

いつの間に、こんな印が?
そう思う反面、私はこの印の存在を知っていた気もする。

胸が痛い。熱い。
そこで脈を打つ感覚に眩暈を起こしながら、私はその肌に手を当てた。


「小百合はん、何してはるん?」

「…トキさん」

「あぁ、痛むんやね。大丈夫、もうすぐに迎えが来るさかい。安心しい」



そっと微笑むトキさん。
けど、その言葉はトキさんの物にしては色々な物を含みすぎてる。

誰が迎えにくるの?
なんで、この印の事を知ってるの?

この印は、私が江戸にいる間についたものなのに。
そう考えて、ふと疑問にぶつかる。

(私、江戸に行った事…あったっけ…?)


目が回る。胸が痛む。頭の中が、くるくるとかき混ぜられていく。
私は一体、何をしてるんだろう。
何を、していたんだろう。


江戸に──京都は──私は異世界の姫と呼ばれて──私の記憶とは違くて──。


新ちゃんも、私の後にあの世界に──

──私はあの世界で、新ちゃんと一緒に




「…っ?!」


パンッと、何かが割れた音が響く。
耳に届いたそれは、紙風船を手のひらで叩き潰したかのような乾いた音だった。

刹那、視界が暗く陰ったように感じる。

夜の帳が下りたようなそれに、私はさっと目を閉じる。
胸がまだ痛む。私の身体は一体どうしたというのだろうか。





「小百合はん、見てみぃ…。お迎えが来たで」



柔和な声で言ったトキさんを遮るように、私は目を閉じたまま耳も塞ぐ。
けれどもそれは、頭に届いて響いて消えた。





『あぁ…小百合、会いたかったよ』



私は会いたくなかったよ。
そんな言葉は、私の口から外の世界へは出られなかった。


さっきまで側に居たトキさんはいつの間にか居なくて、気付けば部屋も京都の家じゃない。
恐る恐る開いた視界を埋めるのは、ただ暗い空間だけだ。

私は、夢を見ていたのかもしれない。
それから、今もまだ夢の中にいるのかもしれない。


『いますぐそこへ行くよ』

私の頭に響く声は止まず、そう言って笑んだ。




To be continued.


弔辞様よりお題お借りしました。

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