想い出は色褪せて
(に)
「…ん、んぅ…」
目を開けたら、そこに居たのはしんちゃんだった。
黒髪がさらりと揺れて、薄い唇は弧を描く。少し、安心したように笑っていた。
やっと起きたか、と言って伸ばされたその手を掴んで、私はもう一度目を閉じる。
するともう片方の手が、私の頭を鷲掴みにした。
「うにゃぁぁ」
「…寝るな」
「しんちゃ…痛い…」
「二度寝しようとした罰だ」
くつくつと楽しそうに笑うしんちゃんに、私は頬を膨らませる。
しんちゃん。
目の前に居るのは、間違いなくしんちゃんだ。
私を撫でてくれる優しい手のひら。
私を呼んでくれる優しい声。
疑ったってこれが真実なのに、それなのに何で矛盾を感じたんだろう。
「何か食うか?」
「…ごはん」
「茶碗と白飯だけ用意するぞ、その言い方だと」
「…っ、おかずも欲しいデス!」
腕を真上に上げて言えば、しんちゃんは鼻で笑った。
…バカにされた、うぅ…。
待ってろ、と部屋を出たしんちゃんの背中を見送って、私はもう一度布団に身体を投げ出した。
戻ってきたしんちゃんに見付かったら怒られちゃうかもしれないな、『もう、また寝てるの?寝てばっかりいると太るヨ』なんて…
(…あれ?)
しんちゃんって、そんな喋り方?
「寝るな、太るぞ」って、ぴしゃりと言ってのける気がする。
なんでこんな変な勘違いをしたんだろうか。
…きっと、まだ夢から覚めてないんだ。
そういえばしんちゃんも、小百合の頭の中はまだ整理できてないんだって言ってた。
ごっちゃごちゃのお部屋なんだね、早くお掃除しなくっちゃだ。
小さく唸って身体を起こし、しんちゃんが出ていった扉を見る。
そこには、いつから居たのか小さな黒猫が一匹佇んでいた。
わぁ、可愛い!
そう思い、その猫に歩み寄って手を差し出す。
するとその猫は人懐っこく私の手に頬を寄せた。
「ふぁぁ、猫さん可愛いねぇ…!」
「にゃあ」
「また子ちゃんにも見せてあげよう、喜んでくれるかなぁ! 抱っこしていい?するよ? ひゃああ、柔らかい!」
きゅーっと抱き締めて部屋の扉に手をかける。
また子ちゃん、どこにいるのかな?
全然見当付かないけど、とりあえず歩いて誰かに訊けば何とかなるだろう。
私はしんちゃんが戻ってくることも忘れて、部屋を飛び出した。
「ああ可愛らしい、不思議な猫さん。貴方は一体、どこから来たの?」
腕に黒猫を抱いたまま、調子をつけて訊ねてみる。
すると猫は私を見上げて小さく鳴いた。
んーっ、可愛い!
「えへ、待っててね、今また子ちゃんがドコに居るのか探すから。あのね、また子ちゃんは可愛い女の子でね、ちょっと肌を出しすぎで恥ずかしくなっちゃうけど、優しい良い子なんだよ。
猫さんの事もきっと可愛がってくれるから、一緒に会いに行こうね」
「にゃあ」
「ふふふっ。よーし、また子ちゃんを探しに出発だー!」
再度歩みだした私の意気込みに併せるように鳴いた猫は、するりと私の腕から降りた。
あ、逃げちゃう?なんてちょっと思ったけども、全くそんな素振りは見せない。
それどころか、私を案内しようとしているようだ。
「そっちにまた子ちゃんが居るの? …あっ、待って!」
走り出しては振り返り、私が追い付く前にまた走り出す。
それを何度か繰り返した時に、立っていた場所が突然大きく揺れた。
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