散る花のように
(に)
「あのっ、こっちに来てもらってもいいですかっ」
「にゃー」
「んと…猫さんじゃなくて人間がイイんだけ、ど…? あれ??」
ととと、と軽い足音をたてて私の視界の中に入ったのは、黒い服を着た可愛い子供だった。にゃあと鳴くその子は、大きな目をぱちぱちと瞬きさせて私の顔を見ている。
あれぇ?てっきり高杉さんだと思ったんだけど…
「ねえ、この部屋に大人の人はいる? いるなら、呼んでもらいたいんだけど…」
「にゃあぁ」
「にゃ、にゃあじゃなくて…。もー、誰かいませんかぁ!」
誰も居ないと思っていた方向から、がたん、と音がしたのは、私がそう叫んだ直後だった。
目の前の子供が動いたわけではない。
良かった、他に人がいた!
出来ればこの状態から助けてくれたらいいのだけど、そううまくいくだろうか。
黒くて長い着物が視界に入り、声をかけようとした瞬間に、胸に痛みが走った。少し前に、知らない間に胸元についた、赤い花の形をした印の辺りだ。
間違えて火に触ってしまった時みたいなじりじりとした痛さに、思わず目の前が滲む。
「騒がしいな、異世界の姫は」
「…っ、…だぁれ…?」
「さあ、誰だろうね」
「えっと…、どうして小百合の事、異世界から来たって知ってるの? もしかして、…真選組の人?」
聞いてはみたけど、真選組の黒い服と違うのは分かる。
首を横に振った彼は黒い着物を引きずっていて、こっちの世界では見た事がない特徴だ。
にゃあん、にゃあんと、猫が鳴いて小さな子供が鳴いて、目の前の男の子はにんまりと微笑んだ。
じりじり痛む胸を押さえたくても、体がうまく動かない。それが焦れったくて焦れったくて仕方なかった。
あの。えっと。
言葉が繋がらなくて、ただただ意味のない声を垂れ流す。
話をちゃんと聞いてくれないかなぁ。私だってきちんと本筋を話せない質だから、あんまり人の事をとやかく言えないんだけど。
男の子が手を伸ばせば、子供は駆け足で私から離れた。赤い目がとても印象的な彼は笑顔を絶やさずに私を見下ろしている。
黒い肌、黒い服。
白い髪に、赤い瞳…。
綺麗だけど怖い、不思議な色あいと雰囲気。
あれ、見た事、ないはずなのに。
どこかで、見た事がある気がする。
どこか…こっちの世界に来てから、ええと…。
(…っ、こっちに来た最初の頃、公園で見掛けた人…!)
考えて考えて、やっとその答えが見出だせた。けれど、思い出したその瞬間に、さっきの比ではない程に胸が痛みだす。
反射的に声をあげた私に、一瞬だけ赤い瞳が揺れた。
「どうかしたか?」
その目は楽しそうに細められて、口角はにんまりと上がっていった。私を心配するような言葉が、全く心配していない声で紡がれていく。
なぜ私が痛がっているのか解ってるような、そうじゃないような、想像がつかない。この人は一体、何を考えているんだろう。
公園にいたと、そう思うのだけど、それでも何だか痛みに気を取られてしまって考えきれなくなってきてしまった。
大きな音を立てて跳ねる心臓がとてもうるさくて、まるで叩かれている和太鼓の中に放り込まれたみたいだ。
やっと動くようになってきた指先も、痛む胸を押さえるまでは出来なかった。
頑張って床を這わせたその指に、小さな子供の手が触れる。
「…ひ…っ」
「ああ、いけないよ。そいつに触れたら穢れてしまう」
目の前の男の子が口を開く。
穢れると言われた子供は、注意した唇を見つめてその背中に隠れた。
(…けがれちゃう?)
胸の痛みは増してるのか、それとも落ち着いてきてるのか、それすら分からない私は、彼を見るしか出来ない。
何故話したこともない彼にそんな言葉をかけられなくちゃいけないのか、意味がわからない。
「…あ…、うぁ…」
穢れてなんかないのに。
売られてなんか、ないのに。
せっかく、にげたのに。
「あれぇ、どうかしたの?」
ぐるぐると、考えてることが纏まらないで回り続ける。
涙が溢れて歪んでいく視界に、笑う赤い目が映った。
次第に溶けていくそれは、私を嘲笑ってまわる。
にゃあと鳴く猫の声も耳に届いて、ああおかしいな、私のココロは、いったい、あれ?
「逃げても、誰も助けてくれないぞ?」
薄れゆく意識の中で聞こえたのは、絶望と悲観にまみれた声だった気がする。
To be continued.
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