善なる悪意(に)



「……小百合?」


居ない事は、明らかだった。
代わりにそこに居るのが何者なのか、それは解らずにいる。
俺は木刀を構えて、じり、と前に足を踏み出した。するとその瞬間、小さな子供が姿を表した。


「…キミ、どうしてこんな所に?」

「……」

「し、喋れないのかナ」


しんとした空気の中、黒い着物を身に纏った子供は、一歩俺に近付いた。
チリィンと鈴が鳴る。


「…ん…ちゃん、新ちゃん、」


ぽつり、ぽつり。
零れるような言葉。

俺はそれに、耳を疑った。


「新ちゃん、お出掛けしよ」


小さなその子供は、小百合と同じ声で喋りだしたのだ。
そこで、フと思い出す。俺を此処に誘い出した言葉は、全てこちらの世界に来てから聞いた言葉だ。
だとしたら、この子供は小百合の声を自在に操る事が出来るという事か。



「キミは……」

「…円小百合は、すぐに死ぬよ?」

「──!!」


小百合の声の次は、真選組に小百合を迎えに行く直前に聞いた黒ずくめの男の声だった。
忘れもしない、あの声と言葉。

俺は木刀を思い切り振り下ろし、その切っ先を子供の鼻先に突き付けた。


「…何故円小百合がこの世界の奴らに愛されるのか、考えてみた事がある? それは異世界の力がこの世界の空気と歪みを作るから、だから愛され愛でられる……」


確か、鈴という名だったか。
そいつの声で、淡々と語る子供。

俺は木刀を突き付けたまま子供を見つめた。


 
 
「姿を、見せてくれないかナ、鈴サン?」

「……」

「小百合は何処?」

「…膕(ひかがみ)」



子供が鈴の声で小さく呟く。瞬間、横からぞわりと背中の粟立つような殺気を感じた。

空気を断つ音が辺りに響き、大きな刀が俺と子供の間に振り落とされる。
それを間一髪の所で避け、俺は膕という名なのだろう大男を睨み付けた。


そんな男の腕に飛び乗る、黒ずくめの子供。そいつは無表情のまま鈴の声でクスクス笑うと、俺を見下ろした。


「円小百合は花椿、椿は蝶に捕まったよ」

「蝶に……?」


椿に蝶が止まるが如く、という事だろうか。
黒猫のような子供が、無表情のまま大男の上から鈴の声で俺を嘲笑う。
俺はただ立ちすくんで木刀を握りしめた。夏の暑い風が、俺達の間を摺り抜ける。俺は、酷く虚無感を感じた。

ぐっと唇を噛む。

瞬間、淡々とした鈴の声が空気を揺らした。


「円小百合への一時的な慕情、誰の手に誠の愛が行くか見物だね」

「…何?」


そこまで言うと、子供は猫のような鳴き声を高らかに上げた。
それに反応したかのように、大男は刀を鞘に納める。
にゃあぁという長い妖しい鳴き声は、空気を震わせ俺の意識をクラクラとぼやかせた。


「またね、隊長サン」

「──待…っ…?!」


風が吹き抜ける。瞬間、何かのお香の香りが鼻についた。ぐらりと、視界が廻る。
ソレが毒の一種だと気付くまで、時間は掛からなかった。


目の前から去ろうとする黒を、俺はぼやけていく世界の中で見つめた。



To be continued.

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