混沌に溺れる
(に)
無理な訳ない。そう、ぽつりと呟く。
そんな俺に、永倉が顔を上げた。
「無理? そんな事ねぇよ。会いに行ったって、問題なんざねえだろ。 だってお前らは想いあってんだから」
永倉に言い聞かせるように力強く言えば、俺の言葉を噛み締めて奴は唇を噛んだ。
新八は曖昧な表情を浮かべて、俺と永倉を見比べている。
「…小百合だって、お前だって、お互い会えなくて苦しい思いをしたんなら……すぐに会わなきゃ、駄目だろう」
小百合は本当にこいつに会いたがっていたんだ。
それこそ、寝言で「新ちゃん」を呼ぶくらいに、会いたがっていたんだから。
(それが、俺に出来る小百合への精一杯の優しさなんだ)
「…、…じゃあ、真選組まで連れていってくれる?」
永倉が静かに言う。
俺はそれに答えるように腰を上げて、玄関へ足を向け歩き出した。
行くぞ、と言えば、永倉はぱっと顔を明るくして立ち上がる。
新八が気を利かせて和室から取ってきた刀二本を腰に差し、アリガト、と礼を言って俺の後に着いた。
ガラ、と居間の戸を開ければ、目の前に玄関が見える。その玄関の向こうに、誰かが立っているのが分かった。
黒い服を着た人影の左右の足元には、膝下くらいの高さの子供の影。それらの影から、それが大和屋鈴だろう事はすぐに分かった。
居間の戸を閉めて玄関に向かうさなかに、インターホンが鳴り響く。
瞬間、俺の後ろから何かが崩れ落ちる音がした。
「…?」
不思議に思って振り向けば、そこに居た筈の永倉が居ない。
そのまま下を向くと、永倉が口元を押さえて膝を着いていた。いつ腰から抜いたのか知らないが、刀の鞘で倒れない様に身体を支えている。
息苦しそうな永倉に向き直り膝を着けば、永倉は青い顔をしていた。
「……う、く…っ」
「ながく、──ッ?!」
思わず名を呼ぶが、それも叶わず口を噤む。しかしそれは、永倉の様子の所為じゃない。
ふわりと鼻を擽る、不思議な香(こう)の香り。ぐ、と唾を飲み込み、俺は肩で息をした。
「さーかーたーさんっ」
玄関に背を向けた俺が悪かったんだろう。
戸の開いた音がするや否や、俺の背に誰かが触った。誰か、なんて、考えなくても解る。
「す、ず…」
「坂田さん、異世界の姫は見付かりましたか?」
後ろから耳元に話し掛けられている所為で、顔は見えない。でもきっと、にんまりとした妖笑を湛えているのだろう事は想像がついていた。
坂田さん、と俺を呼ぶ艶めいた声に、思わず背筋が震える。
「……いや、まだだ。」
異世界の姫は確かに見付かっているが、小百合の依頼を解決するには大和屋鈴との今のままの関係がベストだろう。そう考えた俺は、喉が引き攣るのを抑えながらそう答えた。
「ふふっ、そんなに怖がらないで。別に怒ってないですから。 ……例え、円小百合からの依頼にかまけていたんだとしてもね」
怖がらないでと言うけれど、鈴の声は心臓を脅かすような冷たさだった。
俺の首に巻き付く、細い指。
くらくらする意識の中、鈴の言葉に違和感を覚えた。
──例え、円小百合からの依頼にかまけていたんだとしてもね──
…なんで、こいつが小百合から依頼を受けているって知ってるんだ。
いや、それよりも。何故、此処に居候しているアイツが小百合だと、鈴自身が探している円小百合だと知っているんだ。
俺は「居候みたいなモンだ」としか言ってはいない筈なのに。
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