期待は小粒でもぴりりと
もはや過去に含むことはありません、という台詞が言葉どおりの意味ではないと知ったのは、長谷部が修行から帰還してそう時間の経たないうちのことだった。

「あなたは、あの男とは大違いですからね」

事あるごとに、そう告げる。自身の因縁の地においてすべてを清算してきたと宣うその口で、この刀はどこか酷薄とも取れる口振りで、俺のことをそんな風に褒めそやすのだ。

「はあ……、ありがと?」

どう返事をして良いものか毎度迷うが、結果的にいつも、こんな煮え切らない相槌を打ってしまう。
執り成すようにへらへら笑うと、満足そうな顔をした長谷部が至極熱心な淡紫の瞳を向けてくるまでが、いつもの流れだ。
変な意味でなく、熱っぽさが増したと思う。野心や強かさを、良くも悪くも隠さなくなってきた。気質は修行前と同じだが、その表し方と言動に、著しい強気な自信が漂うようになってきた、ような気がしている。それも大分、きな臭く物騒な方向で。
彼の背後に前の主人の影が見えるたび、その計り知れなさに慄きたくなる。誰しも一度は、必ず学び舎の教本で目にするその名前。死後数百年経って、文字面でしか存在を把握出来ない今でも尚、彼の男は凡ゆる人々を魅了し、尊敬を集め、我々の脳裏に住まうのだ。だからこそ、怖くなる。時代を共に生きた彼の刀、取り分けこのへし切長谷部という刀には、その男は一体、どこまで染み込んでしまっているのだろう。

「主」

曇りのない爛々とした瞳で呼ばれると、いつもその思惑を考えてしまう。昔と比較するような彼の台詞。自分が一番だと、吠えて引かない渇望の声音。忠義的で控えめに見えて、実は案外そうでもないのだ、この刀は。
あなたは迎えに来てくれる、と彼は言う。揺るぎない信頼の表れと評せばそうなのだろう。有難いのは山々であるが、俺はそう言われるとなんだか、ちくりと棘のある、一方的で鋭利な期待を寄せられているようにしか思えないのも実情だ。
その言葉にはいつだって、「あの男と違って」という一言が、彼が口にしないだけでその実、明け透けに秘められているのが見え見えなのだから。

「開戦の刻が近付いてきました。予定通り第一部隊の連中を集めて、出陣場所へ向かいます」
「ああ、そうだな……、宜しく頼むよ」
「勿論です」

飛び切り喜んだ顔をして、長谷部が慇懃に掌を胸に当てる。
その身に大きな疵を受け、破壊されることもあり得る場所へ赴くというのに、長谷部の表情は実に晴れやかで清々しい。矢張りというかなんというか。一度は魔王に仕えた刀、戦を好んで然るべしだ。
こういう顔を見ると、彼自身が、そして俺がどれだけ上書きして足掻いたとしても、あの亡霊の影は決して払拭できないように思えてしまう。寧ろ逆に、こちらの方が祟られてしまいそうな気さえして。

「お任せあれ。あなたに仇なす尽くを、血祭りにあげましょう」

士気高揚の声がまたこんな調子なものだから、俺は苦い笑みを噛んで隠すばかりだ。そんな俺の反応をどう思ったのかは分からないが、長谷部は柔和な眼でこちらを一瞥し、藤色から黒地に変わった戦装束を翻して執務室を去って行く。
足音が遠退いて暫くしてから、どっかりと畳に胡座をかいた。ただのこれだけのやり取りで、笑ってしまうほど疲弊していた。
難儀な刀だな、と溜息を吐きたくなる。
口では決して言わない。こちらから尋ねても、恐らく多少憐れんだ声音で否定されるだけだろう。主、それは違いますよ。言ったでしょう、過去に含むものはないと。……だとかなんとか、表面だけの否定の言葉を乗せて。

「……どんだけ徳積んだら、そんなチートになれんのかねえ」

求めているもの。へし切長谷部の望む先。彼の理想は、あの第六天魔王を超えた先にある。
目指すものを思えば、もしかしたら積むのは徳より、悪業の方が良いかもしれないけれど。
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