お馴染みのカウンターに寄りかかって咥え煙草で休憩する彼女に、かなりの真剣さでもって「俺と籍を入れてもらえませんか」と伺ったら、片眉を上げてあっさりOKしてくれた。


「ああいいよ。もう見合いを断る口実も尽きたかい?籍ぐらい貸したげる」


 って。
 そんなOKは全然嬉しかねえ。


「いや、そうじゃなくですね…いや、それも大いにそうなんスけど…」

「見合い結婚も悪かないだろうけど、まあ…身軽でいたいやね。解る解る」


 そんなことへの理解は要らないんだ。入籍って、本来身を固めるもんだろう。


「アンタの名前を出させてもらえばゴロつきにも手間取らないし、ちょうどいいや」


 あ、そいつは俺にもちょうどいい。この人勇ましいから、ちょっと心配なんだよな。


「しっかし、こんな婆も口説こうとするほど奔放なのは身軽にも程度があると思うけどねえ。ま、人のこと言えないけどさ。籍入れたからって口は出さないから、好きにしたらいいよ」


 いや、それは出してくれ。俺も出したい。
 なんだか酷い誤解をされている気がする。たしかに俺は今まで奔放にお姉ちゃん方を口説いてきたから、そんな風に思われて仕方ないのかもしれない。だけどもそれは一夜限りの恋というか、相互理解済みのワンナイトラブというか…どっちも一緒か。ともかくだ。コレはそういうんじゃなく、この先の人生をアナタに捧げますよと約束するような想いであるわけだが、この向き合ってもらえなさはどうしたものか。若き日の欲望を発散させていただいたお姉ちゃん方には感謝するが、若き日の俺には説教したい。そんなに軽々しくおっぱいに食いついてる場合じゃねえぞと。
 どう言ったら俺の本気が伝わるのだろうか。両手で顔を覆って悩んでいると、****さんの心配げな声が間近でした。指の間から前を見ればカチ合う、切れ長の目。


「どうしたんだい?さっきから調子悪そうだねえ」

「んー…まあ…」

「そんなに見合いしろしろって悩まされてたのかい?安心おしよ、どうせ籍入れたら職場に申請しなきゃならないんだろ。堂々と言ってやりゃあ良いのさ。間に合ってます、って」

「う、うん…その通りなんだがよ」

「で、自由に遊んだら良いじゃないか。目につかないとこでさ」

「…………………………」


 もう、なんか、どうも彼女の中で俺は生涯遊び人というイメージのようだ。それはもう仕方ない。これまでを反省して、今は違うってことを俺が今後態度で示していったらいいとして。それよりも気になるのは、むしろこっちのことじゃなく…


「…****さんってさ、」

「うん?」

「――あっちは現役なの?」

「ふはっ」

「ぶわっ」


 ココナッツ臭をもろに顔にぶちかけられる。発ガン物質が濃い目に含まれてそうなソレは、目に沁みて思わずのけ反った。笑いながら「悪い悪い」と目の前の煙を手で散らす彼女。なんちゅう煙草吸ってやがんだよ婆さん。


「大丈夫?」

「うう…目が…」

「へーきへーき」

「アンタが言うかよ…」

「ふふ。平気さ。だいたい、アンタの質問が悪いんだろ?」


 それはそうかもしれない。だが夫婦となるからにゃあ大事なことだ。この愛しい婆さんの体を心配すれば子供は望まねえが、夜の営みは有り得るのか。有り得ねえなら無茶する気はねえが、もし有り得るんだとするのなら、俺に対する光栄とは言えないイメージは、もしや、アンタに該当するんじゃねえだろうなと。


「や、大事なことだもんで」

「ナニがかね。ンな婆さまと致すわけでもあるまいし…」

「致してえから訊いてる」

「ふはっ!」


 今度はココナッツの直撃を免れる。いかん、ちょっと訊きたいとこから軸がズレた。


「いやいや、そうじゃなく…いや、そうなんだが…」

「ゲホ!う、…けふ、」

「おいおい、平気?」


 むせてカウンターの向こうに屈む細い背中を、身を乗り出して軽く叩いてやる。こういう時に腕が届くから自分の長身もたまには役に立つもんだと思う。
 呼吸は落ち着いてきたようだが彼女は俯いたままで口を開いた。


「……アンタさあ、」

「うん?」

「――惚れてんの?」


 主語は無いが、当然“ 私に”ってことだろう。
 そんな。今更、愚問だ。


「じゃなけりゃ、なんなの」

「……聞いたことないしねぇ」


 あら?え、だって。


「アンタ、煽ってくるじゃない。…知ってたろ?」

「ンー。あれはそういう遊びであってさ…や、薄々感じてはいたけど。…あー…そうなると、ちょっと………参ったねえ」


 ――それは、どういうことになるんだろうか。その反応は、どう取ったらいいんだ。まさか、破談か?あんなにサラッと快諾しておいて、本気と解ったら破談なのか?ご都合入籍ならOKで恋愛入籍はNGなんて、そんなのって……あるけども。世間じゃそんなこともあるだろうが……でも俺にとっちゃ、そんなのって、ない。
 本気が伝わったのは良いことだが、マズそうな流れに顔が強張る。俯きっぱなしの彼女の背中に置いた手が、凍結能力とは関係なしに冷えていく。


「…あ、ら、らら……」

「…ウーン…」

「……………じゃ、籍…」

「より、先に言うこと。…あんじゃないの?」


 煙草を咥え直した彼女が「ヨイショ」と起き上がって、俺の手を押し戻した。いつも以上に首をシャンと伸ばして、腕組みをしながら見つめてくる。
 そうだ。早とちりはいけねえ。断られる可能性もあるが、受け入れられる可能性だってあるだろう。ハッキリ言ってやれクザン。そうして答えを出し直してもらえ。
 ひとつ咳払いして、ネクタイを締め直した。俺も背筋を伸ばして彼女を真正面から見据える。


「ゴホン。えー…それじゃあ、改めまして」

「……ン」

「****さん。俺と、……」

「………」

「………えー…………」

「………」


 ちょっと待て。ハッキリって、どういうことだ。求婚の前に言うべきこと?
 本気で惚れてることは、もうハッキリ伝わった。惚れて、結婚してほしくて、で、その中間で俺の望むことってーと……いいのか?そんな、こんなことをわざわざハッキリ口に出して了解を得ようって?若すぎやしねえか?
 だが言わなきゃ先に進めないというわけなのだから、言うしかねえ。仕方ない。言うぞ。言っちまうぞ。


「俺とセックスしてください」

「ふはっ!!」


 かなり真剣に言い放ったつもりなんだが、そうじゃねえだろ!と大笑いで肩パンチを食らった。あらら?


「ったくねえ!…飯屋と客って立場の人間が、急に。嫁と旦那になっちまうモノかい?」

「あ?……あー、そういうことか。はいはい」


 今の無し。いや、無しじゃねえがと仕切り直し、俺は昔流行った何かの番組よろしく右手を差し出してお辞儀した。


「****さん。結婚を前提に、俺とお付き合いして下さい」

(2010年12月4日)


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