「べつに顰めっ面してるわけでもないのに、アンタはここに皮が寄ってんだねえ。おっかしい」


 爪の先で眉間をこねられるのはチクリとするが、不快じゃない。相手が****さんだからだろう。
 ****さんは60をとうに越えた婆さんなんだが、背筋がシャンと伸びていて、不思議と色気がある。髪は項なんか刈り上げちまってるぐらい短くしてるし露出が多いわけでもねえのに、ほんと不思議。
 彼女は海軍本部から程近い小さな常夏の島でダイニングバーを経営している。スパイスのきいた独特の創作料理と、ノンアルコールから酒までトロピカルフルーツを使ったものをメインに揃えたドリンクが売りだそうだ。島も店もちっこいのにメニューが変わり種なもんだから、客はボツボツしか来ない。俺は長く通ってるが、彼女の忙しない姿なんか見たことがない。今も客が他にいないからと、カウンターに肘をついて向かいに座る食事中の俺で暇つぶしをしている。


「やわこいやわこい。ここだけは可愛いもんだね」

「…可愛いってこたァないんじゃないの」

「はは。ギャップってやつさ。こう…」


 人差し指が肌に触れたまま鼻筋を降りて鼻の頭をくるりとなぞり、親指が追加されてぎゅっと摘まれる。


「…ね。他はカタい」


 ふんっ、と小鼻に力を入れて指を押し返せば、楽しそうに目尻の皺を深くする。


「はは!その面も可愛いねえ」

「海軍大将にンなことするのはアンタぐらいのもんでしょうな」

「なんだい、畏まられたいのかい?」

「そうじゃねえよ。食いづれぇから、顔は…よしなさいや」

「ふ。いいよ。食いづらいから、顔は。ね」


 ニヤリと笑って手が離れていく。僅かに言葉を区切ってしまったのを目ざとく見つけられて、バツが悪い。この婆さんは俺が言わない部分に気付いているのだと思う。おそらく何年も前から。その証拠が「ドコなら構わないんだい、クザン?」と訊ねてくる珍しく甘い声だ。いくら暇そうでも今日ほど客がいないのは滅多にない。だからこんな珍しい声でからかってくるのだ、きっと。俺も立派にオッサンだが、彼女からしてみればガキなんだろうな。と、それこそガキみたいに拗ねた気分になる。
 俺は多分、****さんに惚れているのだ。そしてそれは、本人に気付かれている。婆さん相手にそんなバカなと何度も自分に突っ込みを入れたもんだが、これはそうなんだと思えてしまうのは、もっと触れてほしいと感じているからだ。
 拗ねた気持ちはそのままだが、せっかくのお言葉だから甘えさせてもらおう。握っていたフォークで皿に軽く杖をついて、彼女と同じようにカウンターに肘をつく。顔が近付いて、フルーツの香りがした。


「そうねェ…首なら、良い」

「…生意気な坊やだこと」


 顔の横から髪に手を突っ込んできて、耳をなぞって項に触れる。撫でるような、揉み解すような、微妙なタッチで触りながら頬杖をつく。やらしい人だなと思う。


「なんでも凍らせちまうのに、あったかいもんだねえ」

「****さんが冷てえんでしょう。夏島なのに何でこんな冷えてんだ。フルーツばっか食うからじゃない?」

「冷え性は昔っから」

「俺より年季の入ったヒエヒエなわけだ」

「ああそうさ。早く食っちまわなきゃ風邪引かすよ」


 食ってる間中触ってくれる気でいるらしい。とんだサービスだ。今日はついてる。
 彼女が笑ったときに深まる目尻の皺と、持ち上がる口角の形が自然で好きだ。今は顔が近い分、尚更ジッと見てしまう。俺と正反対の薄い唇は乾いていて、許される関係なら潤してやりたい。そこは冷たいんだろうか。それとも熱いのか。その奥はどうなのか。チリソースの絡められた白身魚を口に運んで、ゆったり咀嚼しながら想像を膨らませる。


「何か考えてる顔だね」

「…冷え性ってのは隅々まで冷たいのかなと」

「ふ。まあ、ボチボチさ」

「あらら。教えてくれねえの」


 綺麗に整えられた細眉が、片方だけ吊り上がった。項を撫でてた彼女の指先が首筋を這って、「知りたいのかい?」と、ゆっくりゆっくり降りていく。切れ長の両目から目が離せない。シャツのトップボタンの裏まで辿り着くと、鎖骨の間の窪みに指がフィットする。
 俺はたまらず喉を鳴らした。
 それを見て、するりと指が離れてしまう。空気を変えてしまいたいみたいに、彼女の口から大きなため息が吐かれた。


「とっとと食べちまいな」

「ん?……どっちを?」

「はは!」


 ババアに盛ってんじゃないよ、と、彼女はまた俺の好きな顔をする。

(2010年11月26日)


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