オハラでの惨い虐殺を知ったあの頃、私が抱いた感情は恐怖だった。世界政府の思惑通りに震え上がったのだ。
 バスターコールは反逆を罰する一等過激な方法であり、そして他の民衆に対する恫喝でもある。あれを怖れ、従順になるのは自然な心の働きだろう。けれど少なからずそこに浮かぶ疑問や怒りを無視できない者達がいるのもまた自然なのだ。
 当時十代半ばだった私はニュースペーパーで惨劇を知り、怖れと疑問を胸に広げた。
 私の育った町などでは世界政府束ねる海軍兵等により治安が守られ、それなりの生活を維持することは難しくない。だが少し外に目を向けて見れば理不尽な扱いを受ける人々はごまんとおり、彼等は努力も報われず貧しさや迫害に喘いでいる。歯を食いしばる気力も削がれるほど消耗させられながら、生きている。そうした生活の差はどこにでも見られる当たり前のものかもしれないが、私は自分が比較的恵まれた環境に生まれたからといって見ぬ振りはできなかった。人々の恐れる不幸が人の手によって生み出されることの多さが、あまりに不自然に思えた。
 不幸を生む非人道的な行いは、賊よりもむしろ上流階級の人間達のものが目に付いた。山賊や海賊などは粗暴な物腰ではあるが自由気ままでいるだけという者も少なくはなく、いっそ清々しいような連中すらいる。比べて、優雅な物腰で弱者を虐げ高笑いをするような薄暗い心根を持ち合わせるのは、上流とされる者からよく感じられた。どちらも皆が皆そうではないだろうけども、問題なのは罪への制裁の為され方だ。賊が取り締まられるのは当然として、富裕層のそれは黙認されるのだからおかしな話ではないか――己の考えに自信なんて無かったが、どうにもじっとしていられず、私は革命軍への協力を決意した。

 あれから20年もの月日が経つ。
 惨劇の地オハラからは、たった一人少女が生き残り未だ捕まらず、指名手配され続けている。その本人ニコ・ロビンが今、我々の目の前で微笑んでいる。その視線はニュースペーパーの写真に注がれていた。我等が同志のトップである男の息子、モンキー・D・ルフィの記事だ。父とは違った道だが、彼もまた自由を愛す人物らしい。どういった経緯か知らないが、我々と同じく敵を世界政府とし、あまりに無鉄砲な反旗を翻した。ニコ・ロビンと彼の繋がりはそこにあるらしい。


「そう。彼はとても無鉄砲。感情的なのね。あなた達のリーダーとはまるで逆なのではないかしら」

「どうでしょう……あの方は必要外の事を滅多に口にしませんから。しかし立ち向かうものは同じです。まるで逆、と言い切れるかどうか」

「ふふ。おかしな偶然」

「運命とも言えましょう」

「……」


 彫りの深い鼻梁が彼女の目元に陰を落とす。そこで細められている瞳は奥底に憂いを含みながら、輝きをたたえて透き通って見えた。


「堅い言葉で首を絞めるような真似は極力避けることにしたの。『運命』は決められた道を行くようだけれど、『偶然』は自由な寄り道をしているように思えない? 彼は、そうした言葉が似合う人」


 ぱさりと膝の上にニュースペーパーを広げる仕草は、話題の彼をよく見なさいと言われたようだった。「たしかに」そのような風貌に思えるので、ひとつ頷けば彼女も笑みを深くして「私は偶然に感謝しなければ」と頷く。
 これよりしばらくの間、我々と彼女は行動を共にすることとなる。彼女が寄り添うことを決めた、大樹と育つだろう苗木の幹が一回り二回りと太くなるまで。





(いつか加筆修正をしたくなるかもしれませんが、今の私のおつむではこれが精一杯です)

(2013年5月21日)


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