求婚したら「順を追え」と窘められて、結婚を前提にお付き合いさせていただき今に至る。
 付き合うったって40を過ぎたオッサンと60を過ぎた婆さまだ。若人の嗜む弾ける青春・アツアツのそれじゃあない。いや、俺の胸の内は熱いが。ついでに下も…いや、止そう。
 彼女も暇なりに飲食店経営者の身であるし、俺もだらけてたって軍人だ。急務だけ片付けてチャリを走らせ、昼飯を食いに通う日々。他愛無い会話を楽しんだら昼休みをだいぶ超過して俺は海軍本部へ戻る。なんという健全。なんというただの店主と馴染みの客ぶり。かれこれお付き合いは一月させていただいてるが、それ以前と何ら変わりない時間を過ごしていた。恋人らしいデートも、お散歩すらあったもんじゃない。
 そんな日々にいい加減焦れてきた頃、躍起になって珍しくバリバリ仕事を進めていたら早めの退勤・遅めの出勤なんてものが可能になった。いつもはダラけにダラけて21時を過ぎる頃に一日のノルマを達成させていたが、今はたったの19時ちょい過ぎ。考えてみれば簡単なことなのだ。パッパと働きパッパと終わらせれば良いだけのこと。そうすりゃ片道一時間かかる彼女の店にだって22時のラストオーダー前に寄れるじゃないか。
 モットーであるスローガン・だらけきった正義について、方向性を見直そうと思う。変えるんじゃない。大事な時間を削ってまでだらけていては本末転倒だから、ほんの少し見直すだけだ。視点はそのまま、手を早めよう。それがいい。
 ウキウキとチャリに跨りそんなことを考えていた。こんな姿は充分青春しちゃってて、俺もなかなか若いじゃない、などと自惚れてみる。





「いらっしゃ……――あ?サボり?」

「いやいやいや…」


 ところが心を弾ませながら戸を開けたら開口一番それだ。どんなイメージを持たれてるんだ。落ち込むぞ。


「早く引けたんだよ」

「だから、サボり?」

「違います。素早く仕事を終わらせたんです」

「へえ。珍しいこと」


 ニヤリと笑われてドリンクを訊かれる。カウンターの端に席を陣取ってビールを頼んだ。「かしこまりました」と言う彼女は他の客もいるから多少余所行きの態度だ。それに意気消沈するほどは流石に俺も若くない。
 小さなこの店にはカウンターとテーブル席が4つだけ。俺と逆の角に座る二人組はアベックのようで、かなり酔っぱらっている様子だ。男が女の肩に頭を乗せて甘ったれているし、女もそれが嬉しいみたいに頬を寄せている。オマケに互いの膝なんて撫で合っちゃって、くねくねベタベタしたそれを眺めながら苦笑を漏らすと、泡立ったジョッキがぬっと現れた。


「ジロジロ見るんじゃないの」

「ん?ああ。つい」


 わかるけどね、と彼女も眉を寄せて小声で笑った。ふふ、だよなあ。ジョッキを受け取って口をつける。女の子にも飲みやすそうな甘口のマンゴービール。冷やされすぎてもいなくて良い口当たりだ。
 それにしても、と彼女が耳打ちしてくる。


「アンタが来て助かったよ」

「ん?」

「あの子ら、どのぐらい居ると思う?」

「んー」


 助かったなんて言うほどだから長居なんだろう。このぐらい?とチョキを作って見せる。その隣の薬指と小指までつまみ上げられ、俺は思わず「うっそ…」と呟いた。彼女はゆるく項垂れて「マジ」と口パクする。だいぶお疲れの様子だ。細心の注意を払ったごくごく小さな声で愚痴ってくる。


「最初の方はまあ気にならなかったんだけどさ…もう、どんどんヒートアップして。他の客も居辛いって帰っちまって、そっからダラダラよ。たまのオーダー以外あたしゃ置物みたいにしてるしかないったら」

「あらららら…」

「ま、オーダーするだけ良いけどさ」


 そりゃあそうだと笑って「お疲れの女将には肩でも揉んで差し上げましょうか」と言ってやった。「いいねえ」とカウンターに後ろ向きに凭れる彼女の肩に手を伸ばす。ずいぶん硬いのでそれなりに力を込めると、「はああ〜」と本当に気持ち良さそうな溜息が聞こえた。ああ。なんだかこれだけで幸せだ。早引けてきて良かった。
 御奉仕しながら静かに悦に入っていると、アベックが「どっちがお客かわからないね」って呂律の回らない口で乱入してくる。****さんが「この子は特別」と返事した。「すごい馴染みさんなんだ」と笑われているが、俺はひどく御機嫌だった。
 特別だって?特別。特別…ははは。嬉しいじゃない。
 そんなやりとりで気分が変わったのか、アベックはようやく席を立った。会計のために彼女の体を放して俺はジョッキを握り直す。男の財布からそれなりの金額が出て行くのを見るともなく見て、本当に四時間も居座っていたのだなとリアルを感じた。****さん、おつかれ。
 背中に腕を回し合いながら夜に溶け込んで行くアベックを見送って、ほんのり羨ましく思う。これからモーテルとしけこむんだろうか。いいねえ。
 静かに戸が閉められる。ちらりと時計を見れば22時も回りそうで、すっかり二人きりだ。
 やれやれ、なんて言いながら彼女はカウンターの中に戻っていく。自分もグラスにビールを注ぐとカウンターの外に出て、立ったままそれを掲げてくる。簡単な労いの言葉で乾杯した後、一気に半分ほどまで飲み下した彼女が細い体を俺の肩に寄りかからせてきた。こんな風にされるのは初めてだから、ときめいてしまう。


「――で、アンタは何時に帰っちゃうの?」


 さっきまでと違った低い声。リラックスしてる証拠だ。愛しい重みにドギマギしているのが、その声でさらに加速する。


「…何時まで居ていいんだよ」

「明日も早いんだろう?自分が困らない程度なら、いくらでも」


 目の前に薔薇が咲いたような錯覚を味わう。いくらでも、なんて。彼女も俺と時間を過ごしたがってくれているのだと思えた。甘えちまうぞ。


「明日は重役出勤」

「ふ。だから、サボんなって」

「いやいや、だから。サボりじゃねえの。終わらせてきたんだよ」

「あら。本当に?」

「信用ねえなあ…」

「ふふ」


 笑いながら体を離してしまった彼女が隣の椅子に座る。ああ、残念。でも幸福感が肩口に残る。なかなか進展がなくたって、これでもう一月がんばれそう。
 彼女はビールを一口含んで、いつも微かに流してるBGMに合わせて体を揺らし始めた。好きな曲なのか目を閉じて鼻歌までしだす。また一口。踊って、歌って、また一口。可愛い。
 でも楽しげなのは良いことだが珍しい落ち着きの無さだ。よっぽど疲れたんだろうか。いくら自分に時間があるからって、付き合わせたら悪いような気がする。
 このジョッキを空にしたら帰ろうと思ったところで彼女が「んー…」と唸りだした。


「どうした?」

「んー。明日の、重役出勤ってのは?」

「ん?時間?」

「そ」

「あー…べつに決まっちゃねえが…昼頃で充分じゃねェかな」

「へえ」

「なんで?」


 また彼女が「んー」と唸ってグラスを唇に押し当てながら、ちらりと横目で「泊まる?」なんて。そんなもん、「YES!」、即答だ。
 思いがけぬ大進展。俺の頭は今夜二度目の錯覚を起こして薔薇色に染まる。










(青キジさんは40過ぎで良いんですかね…20年前の姿が20代に見えたので…)

(2010年12月13日)


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