カツ、カツ、カツ。 蹄が石畳を叩く音にいちいち胸を弾ませてしまう。視界で揺れる、たくましい首周りをよりたくましく飾るフサフサのファー。そこに腕を巻きつけて体重を任せる。成熟した体躯をしたトナカイ姿の“わたあめ大好き・チョッパー”の背に、私は乗せられていた。足をくじいて担がれたのだ。「大げさよ」と辞退しようとしたのだけれど、彼が至極心配してくれたものだから。 「優しいんだね」 「ほ、ほめたって嬉しくなんかねえぞ!」 照れ隠しみたいに笑う顔は、とっても健やかで愛らしかった。それがこんな間近で見られて嬉しいはずなのに、何故だか私はほんの少し寂しく感じたりもするのだった。 麦わらの一味がここへ上陸したのはつい数時間前。手配書や新聞でその存在は知っていたけど、まさか生身の彼らが動くのを見ることになるなんてことは想像もしなかった。出航は明日らしい。そんなにすぐ行ってしまうのか。海賊なんて得体の知れない人達の滞在期間は短ければ短いだけ良いに決まっているのだけれど、どうにも私は手配書を見ていて心奪われてしかたないメンバーが居たから残念に思う。一味のペットとされる、青いお鼻のチョッパーちゃん。わたあめ大好き、なんて紹介される手配書にはタヌキみたいにまるまるとした可愛らしい姿が写されている。「うわあ。こんな生き物、触ってみたい」なんてワクワクしながら、上陸した彼が町にやってきたのを見て、すぐに駄菓子屋でわたあめを買った。 「コレあげるから、お友達になってほしいな」 この声がけは、犬猫に語りかけるようなそれだ。わたあめ片手に近寄ってみると、彼はキラキラ輝く瞳で期待の表情を見せてくれる。わかりやすく口の端からよだれまでも垂らしていたが、プルプル首を横に振ってもいる。そんな仕草に「二足歩行までしちゃってるし、人間みたいな動きするんだなあ」などと独り言を呟きながら感心していたら―― 「な、何でだ? 何か罠にはめようとしてるんだろ!」 ――と流暢に人の言葉を発されたので、あんまりびっくりして後ずさった足が石畳に引っかかって盛大に後ろへ倒れてしまった。 「うわっ! おまっ、おまえ、大丈夫か?」 「しゃ、しゃべっ……!」 「あっ」 しまった、というように目に見えて焦った顔つきとなったチョッパーが、前足で口を隠してキョロキョロする。 仲間を探しているのかしら。逃げられてしまうかも。 引き留めたくて咄嗟に立ち上がる。と、足首がビキリと音をたてた気がした。 「つっ!」 うずくまった私に驚いたのか、またチョッパーが「大丈夫か?」と訊ねてくれる。 逃げたそうにしていたくせに、心配なんてしてくれるんだ…… そう思ったら妙な感覚が胸に生まれた。きゅっとする、みたいな。 「うん……わたあめ、落っことさなくてよかった」 「そ、そんなことより、おまえ怪我したんじゃないか?」 「大丈夫。ね、コレもらって。罠なんて無いよ。あなたを手配書で見たことがあって、可愛いから友達になりたかっただけ。ビックリさせてごめんね」 「………………」 ぎゅっと下唇らしき部分を噛みしめたチョッパーが背負っていたリュックを下ろし、「みせてくれ」と近寄ってくる。何をするのかと思ったら、足をとられて手際よく診察と処置をされてしまった。その手付きが町の診療所のお医者のような乱雑さでなくあまりに滑らかだったので、また胸がきゅっとした。 いためた足首を動かしたりできぬよう包帯でかっちりと固定し終わり、彼はヨシと言って体にぐっと力を込めた。するとタヌキめいた小さな体があっという間に精悍なトナカイの姿となった。立て続けに手品でも見せられたような心地で口を閉じるのも忘れ、呆けてしまった私に鼻面を寄せてきて「おまえン家、遠いのか?」と質問をしてくる。 「え、あ。いいえ、階段をのぼって、いつつめの……」 「うん。じゃ、乗れ。おくる」 カツ、カツ、カツ。 蹄が石畳を叩く音。どこもかしこも見慣れた景色。中でも一等見慣れた一角。目の前のファーだけが見慣れない。顔を埋めるようにして、その太い首に抱きつきなおす。あったかいな。ふふ。動物が口をきけて、変身までできるなんて。あなたはいったい何なのかしら。ねえ、お喋りしようよチョッパー。だけどうっすらと緊張を滲ませた空気は彼にも私にも口を開かせず、ただひたすら道を進ませる。彼が階段をゆっくりとのぼるのは、しがみつく私を落としたりしないため。私と同じ気持からではないだろう。ああ、家が近付いてくる。 「ここか? おまえン家」 「うん……ありがとう」 もう少しこのままでいたかったけど、おりやすいようにと身を屈めてくれる心遣いを無碍にしたくはなかったので、素直におりる。 すっかり体を離すと、また彼はぐっと力を込め、今度はヒトのような姿をとり、私の背中と膝の後ろに腕をあてた。そしてふわりと浮遊感。お姫様だっこというやつ。こんなこと、初めてされた。 うながされてドアを開ける。入れば狭い我が家はすぐにテーブルセットと対面することになる。椅子をひいて、座らせてくれた。 これでバイバイかな。友達になりたいなんて望みは叶うべくもなく、さようならか。名残惜しいなあ。 ところが予想を違え、彼は私の目の前に片膝をついて、じっと見つめてきたのだった。 「……――怖いだろ」 「え?」 「おれ」 「どうして?」 「生まれた島では、バケモノって呼ばれてた」 「……そう……」 「トナカイたちにも、青っ鼻って馬鹿にされた」 「珍しいから」 「うん。怖いだろ?」 「怖くないよ」 「でもいいんだ、べつに。おれにはもう仲間がいるから、誰に怖がられたって平気なんだ」 「怖くないったら。驚いたけど」 「そんな風に言わなくていいんだ。わかってるんだ」 「……ね、チョッパー。“あーん”」 「ん?」 「“あーん”」 受け取ってもらえずにいて持ちっぱなしだったわたあめを、彼の青鼻につきつける。 彼はぽかんとして動かない。 じれったくなって、まずは私がわたあめに食いついた。こんもりとした綿のかたまりから、唇と歯で大きめのひとくち分を引き剥がす。口中に砂糖の甘さが広がり、すぐに溶ける。懐かしいな、久しぶりに食べた。さあ、次はあなたの番よ、“あーん”して。自分の食べた部分をつきつけ直す。 彼は少し困ったような顔をして、私の真似をするように食いついた。ひとくち分。飲み込んでからは見るからに瞳を輝かせているというのに、ふたくちめには突入しない。もう一度私が食べて、つきつけ、そうすると彼もまた食べる。それを数回繰り返し、持ち手の棒を差し出すと、彼ははにかむようにそれを受け取り、ぱくりぱくりと食べだした。 手配書でよく見るまんまるチョッパーちゃんの姿とは随分違う、全身を毛で覆い尽くし、動物みたいな顔をし、帽子とズボンとリュックしか身に着けていない大男。人にもトナカイにもなりきれない、チョッパー。哀しい生き方の片鱗を見せられて、またもや胸がきゅっとして、だのに純粋さをあらわしたような顔でわたあめを頬張る姿を見せられて、どうしてか私は泣いていた。 「わっ。おい、おまえ、どうした。足が痛くなってきたか?」 「ううん、平気」 「わたあめ、もっと食いたいのか? あ、もうほとんど食っちまった……」 「ううん、お腹いっぱい。かわいいね、チョッパー」 「えっ、なに、なんで、どうしたんだ」 「いいのよ、いいの。気にしないで」 「気になるよ。だって、おまえは……」 「私は?」 「おまえは、優しい、やつだから」 優しい。優しいんだ。あなたにとって、こんなことくらいが。ただ犬猫にするようなかわいがりをうけただけで、私を優しいって言ってくれるんだ。 「優しいのはあなただよ」 「おまえだよ。わたあめ、くれた」 「普通よ。あなたの仲間だって、くれるでしょ?」 「普通じゃねえよ。仲間だけど、ルフィはおれのも食べちゃうんだ。サンジはくれるけど、あいつはコックで、それが仕事で。あ、ナミもくれるけど」 「ね。普通だよ」 「あいつらは、そうだけど。ちがくって。おまえは、ちがう」 「ちがうんだ」 「うん。ちがう」 「仲間じゃない。知らない人だもんね」 「うん……なんか、さみしいな?」 「そうね。嬉しいな」 「嬉しい?」 「さみしい、って思ってくれて」 「なんで、さみしいんだろうな」 「もう、知らなくないものね。少しだけ知ったんだもの」 「うん。そうだ。だから……でも……」 「仲間じゃ、ない。私は一味じゃない」 「さみしいな?」 「さみしいね」 じゃあさ、ひとつ提案するよ。それに頷いてほしいのよ。そしたら寂しくなんかなくなるはず。ヒトとかトナカイとか、ましてやバケモノとかは関係なく、あなたと私。通りすがりの誰か、ではなくしてしまうの。そうなったなら、あなたが船出をした後だって大丈夫。寂しさなんかより、優しい気持ちが続くと思うの。だから、ね? もう一度言うよ。 「ねえ、チョッパー。お友達に、なってほしいな」 (2014年12月25日) ←list/cover/top |