海だ。どこまで行っても海。海に囲まれて陸地は陸地として存在を認識される。絶え間なく揺らぐ海が在るから、どしりと固まった陸地は人に安堵をもたらす。どこだってそういうものだ。きっと誰にでもそういうもので、特にこの場所は俺にとって愛おしい。故郷ではないけれど、それに近いような想いが湧く。何故ってそりゃあ恋しいアイツが居るからだ。 航海に連れては行けない彼女の為に、俺は何度も船を寄せる。仲間に知れて笑われちゃいるが構わない。 そんなに求めるなら海へ出るのを止して留まれと誰かは言うかもしれないが、今更だ。“赤髪”が一所に長居なんてすりゃあ何かしら騒ぎが起こって迷惑をかけちまうかもしれねえし、そうでなくとも俺は海に漂うのが好きなのだ。不測の騒ぎも海の危険も、それらは俺をワクワクさせてくれる。 いいオッサンがこう血気盛んでは呆れられそうなもんだが仕方ない。こんな風に生きてきて傷や欠損を身に負っても、俺はそれらを求めてしまう。安息よりも享楽を!そう求めている。 けれども俺はアイツも欲しい。物静かで、享楽よりは安息を望むだろうアイツが、欲しくてたまらない。 物であるなら船に持ち帰って傍に置いておきたいが、そうじゃないから出来はしない。能天気そうに見えるかもしれない俺でもそのくらいの見分はあるのだ。 会いたい、触れたい。 だから俺は船を寄せる。彼女に危険が及ばないだろうタイミングを測って、何度もこの地を訪れる。 そんなことを気にしていたから、日付なんてものは気にしたことがなかった。 「…わあ」 会いに来れば緩やかに喜んでくれるのはいつものことだが、驚いたような表情と声を出されて面食らう。俺に会えてそんなに嬉しいか?と、からかう気にはならない程度に珍しい。 「…何かあったか?」 「ああ、いえ、こっちの話…」 何だというのか。 言葉を濁され顔を背けられて、しょうもない俺はしょうもないことを口にする。「浮気でもしてたかい」「してほしいですか」されても文句は言えねえが、できることなら「されたかねえな」。 「でしょう。下らないことを」 「ダハハ! 機嫌を損ねさせちまったかな」 「………」 「うん?」 「いや、まあ、今日は。うん…今日はいいです、大丈夫」 「???」 やはり微妙な態度をとる****を不審に思うがまあいいかと気にしないことにして、それよりも俺は彼女に触れたい気持ちを優先した。 いつもの机に向かって座る彼女のつむじが、やってきたばかりでまだ立ちっぱなしの俺から見える。俺なんかは陽に当たりすぎて髪の分け目やら焼けてるわけだが、こいつのは白い。インドアだからなァ。渦を作る周りの髪を少し押し分けるように手をあてて、そこにキスを落としてやる。昨晩洗ったんだろうなってぐらいのほのかな石鹸と彼女の匂い。****はくすぐったそうに肩を竦めた。 何度かそれを繰り返したり髪を食んだりしながら細い体を抱き込むように腰を下ろすと、ふと目に入った机の上がこざっぱりとしていることに気付く。いつもなら仕事だなんだと紙だの本だの広げられているのだが、綺麗に整理されていた。 妙だ。やっぱり気になっちまう。 後ろから抱きつく格好で落ち着いた俺は彼女の肩に顎を乗せ、手を伸ばして爪で二度机の天板を叩いた。横目で自分の顔を見てくる俺の言いたいことが解ったか「昨日のうちに終わらせたんです」と彼女は言う。 「へえ、そりゃ偶然。タイミングが良かったんだな。待たされなくて済む」 「……ですね」 だから。その溜めは何なのか。 片眉を吊り上げた俺を無視して「お腹空きませんか」なんて訊ねてくるので少しイラつき「いや、」と****のあちら側の頬に手をあてる。輪郭の骨をこちらに引き寄せるようにして指先に力を込めてやれば簡単に顔同士が向かい合う…はずなのだが。向かい合いはしたものの、それに続く口付けを拒むように彼女の顎は引かれてしまった。 ショックだ。何だってんだ。 素直に顔を歪ませて見せれば、懐に納まってた体が身動ぎする。腕の力を抜いてやるとパッと立ち上がって「私は空きました」とキッチンへ向かってしまった。その後ろ姿から確認できる耳が真っ赤になっていることに、嫌われちゃいないようだとホッと息を吐く。 気分を変えようと、彼女の足が敷居を跨ぐところで俺はわざと間延びした声を出して訊く。 「何を作ってくれんのかな?」 ぴくり。背中が緊張したのを見た。 「これから、…と、いうか…」 「ん?」 「あの、…まあ、テーブルを出しておいてもらえますか」 「?? ああ。わかった」 言われて腰を上げ、壁際に立てかけられた折畳み式のテーブルを取りに向かう。いつものように部屋の真ん中あたりに持ってきて座り、片腕と両足を使って食卓の準備をする。 キッチンからは物音。 こちらの準備はすぐに済んでしまって、あっちはこれから作るんなら暫く暇だ。 とりあえずまだ着っぱなしだった外套を脱ごうと改めて腰を上げるところに、予想外の早さで彼女が登場した。手にはまるでパーティーでもおっ始めるようなデコレーションをされたチキンやボトルやグラスや何やと乗せられた、大きなトレイ。 「? …ええと」 「作る、というか……作ってあった、んですよね…………」 「ん、え?」 その、手に持った、一人で食うにしては量も質も豪勢な料理を? ****の手元から視線を上げると、血圧の心配をしちまうほどの赤い顔に出会う。「おい、どうしたんだよ」その料理も、面も。 「……わかりませんか」 「なにが」 「まったく?」 「うん」 「………た………」 「“た”?」 「……………誕生日でしょう……………貴方、の」 「……………………えっ」 …そうか。誕生日。誕生日か。そういえば、そうだ。そうだそうだ。ここに来る前の晩だって、船の上で野郎共に頭から酒をぶちかけられて祝われたというのに、すっかり忘れていた。あんな宴会はいつものことだから、礼を言いながらもあまり気に留めていなかったのだ。むしろ、****に会うのに酒臭くなっちまうななんて、そっちを気にしていた。いや、流してはきたけれど。 俺はだいぶ間抜けな面をしていたんだと思う。それを見てか、****が眉を妙なかたちに歪ませて唇を噛んだ。ガチャンと大げさな音を立ててトレイがテーブルの上に置かれ、「だから、お祝いです」とそのまま彼女も座る。拗ねたような言い方が珍しく幼くて、つい吹き出してしまう。立ち上がりかけてた自分も腰を下ろして、行儀が悪いかもしれないけれど外套はこのままここで脱ぎ落とすことにした。 「ありがとう。嬉しいよ」 「忘れてたくせに、本当ですか」 「忘れてても嬉しいさ。君が俺の為に何かしてくれるってことは、全部な!」 「ふ」 演技がかった手振りで喜びを表現して見せるとやっと彼女が笑ってくれる。「本当だぜ?」と俺も歯を見せた。 それにしたって改めて見ると、この料理の豪勢さは不思議なものだ。彼女の機嫌も治ったことだし、質問してみる。 「なあ****」 「はい」 「ご覧の通り、俺は忘れてたわけなんだけど」 「ぷっ」 「それってつまり、今日来たのは偶然なんだ」 「でしょうね」 「だろ。だから当然、君も俺が今日来ると知ってたとは思えない」 「まあ、はい」 「けど、コレ。用意してくれてたんだよな」 「…ええ」 「俺が来なかったとして、コレ、どうしてたんだ?」 「………」 また彼女の顔に赤みが差して俯いてしまう。しまった、また機嫌を損ねてしまっただろうか。けれど、極々小さな声で「一人ででも、祝うんです」なんて聞こえてきたから俺の心臓はドクリと跳ねた。おいおい、なんて可愛いことを言うんだ! 「そ、れは…どうやって?」 「いや、まあ。詳細はいいじゃないですか」 「聞かせてくれよ、それもプレゼントのうちだ」 「ずるい…」 「こんなの今日だけさ。な?」 「いつもそんなもんでしょう」 「ははっ。まあまあ。な、教えてくれって」 「…まったく…」 仕方ない、といった様子で彼女はボトルを掴み上げる。その頭にナプキンを被せ、くぐもる音でコルクを抜く。開いた口をグラスに傾けると、繊細な気泡のたつピンクの液体が注がれた。それを見て「可愛いのを選ぶんだな」と言えば「赤ワインより白ワイン、白ワインよりシャンパンが好きで。でもシャンクスさんのイメージカラーが赤だから、せめて」と返された。それでまた、ドクリ。 ふたつのグラスに注ぎ終わると、彼女は両方摘まみ上げて片方を俺の目の前に置いた。手に取ろうと肩を揺らすと、待て、というように手のひらを見せられる。大人しく眺めていると手のひらはグラスを持つ手と入れ替わって、俺はそのカーブで輪郭を歪ませる彼女と見つめ合うことになる。 ぱちりとお互い瞬きをする。俺は疑問のために。彼女は決心のためにそうしたように見えた。 「おめでとう、シャンクス」 ドクン。 彼女からは聞き慣れない呼び捨てに、心臓が一段と強く打たれる。 一人だと、こんな風に祝うってことだろうか――俺との時間を作る為に仕事を片付け、俺の分まで食事もグラスも準備して、本当には居ないけれど、俺がここに居るようにして――。 もう一度瞬きをして、俺は目を細めた。目の前のグラスに触れても今度は怒られないから、高さをキープする彼女のそれと同じように摘まみ上げる。 「ありがとう、****」 硬く透明な膜の向こうで柔らかく微笑む彼女の頬は、シャンパンの色と関係なくピンクに染まっているんだろう。大の男が情けないかもしれないが、きっと俺も。 船を寄せたのがこんな日とは。 俺はさっき「偶然」なんて言っちまったが、クサくったって「運命的だ」と言い直したい。 (HappyBirthdayShanks!) (2011年3月9日) ←list/cover/top |