(戦闘シーンでグロい描写があります。苦手な方はご注意を)
























 これは女が『白ひげ』に乗り込んでまだ間もない頃の話だ。





 そいつは****と名乗り「お世話になります」と親父に向かって頭を下げた。それは新入りにありがちな深すぎる角度じゃなく海賊になろうという人間にしては生真面目な礼だったので、妙に記憶に残っている。
 親父は愉快そうに笑っていたが、その淡々とした媚びない態度をつまらなそうに睨みつける者も居た。
 新入りとはいえコイツがなかなか鍛えてあって、雑魚相手ならこちらで気にかけなくともまあ問題ねえだろうという腕を持っていた。それは突出するほどのものではなかったが、どうしたって男だらけの戦場で女の活躍は目立つ。親父を筆頭とした古株達によく褒められているのを見かけたが、本人は礼は述べても特別に喜んで見せることは無い。弁えているのだと思う。しかし無愛想とも言えるそれは、頭に血の上りやすい奴なんかには大層不評だった。そいつらがよく下卑た食いかかり方をしていたのを覚えている。


「ちっと腕が立つからって実力者のつもりか?女ごときが強がるんじゃねえ、犯すぞ!」


 聞いてて呆れる馬鹿さだ。そんな奴等に何度喝を入れたか、もうあまり覚えていない。
 女は女でそんな下らねえ言葉に尻込みするようなことは無かったが、腹ん中に静かに怒りを蓄えているようであった。聞いたわけではないので憶測だが、女だ男だと分けた評価を受けるのが嫌いらしい。「女の割に」「女のくせに」、そんな言葉に一々反抗的であるように見えた。不満を口にするわけではないが行動で反発して見せるのだ。そんな褒め言葉には目を伏せて立ち去ってしまうし、揶揄にはたまたま持ってた熱いスープをひっかけて見せたこともあった。無表情に「手が滑りました、すみません」と謝る姿は少しも申し訳なくなさそうで、小汚ねぇ雑巾を相手の顔に投げつけるまでしやがるのは端から見ていて流石に笑えた。

 そうして女がなかなか兄弟達と馴染めずにいたある日、俺達『白ひげ』はまあまあ名の知れた海賊船とやり合うことになった。
 当たり前のように腰に剣を携えて戦闘態勢に入った****に、誰かが禁句を叫ぶのが聞こえる。


「テメェら女は下がってろ!」


 性別関係なく新入りはそうしておくことが望ましい敵だったが、その言われ様に黙っていられなかったらしい女は瞳をギラつかせて前線へ飛び出してしまった。
 俺達能力者でもちょっとばかり時間をかけなきゃならねえような相手に、多少動けるからといって新入りごときが無闇に手を出すもんじゃない。そのぐらいはアイツだって判断できそうなもんだったが、単なる言葉でも性別で退けられることがどうにも我慢ならんらしい。
 アイツの性格をなかなか理解しない奴らの安直な言葉にも、アイツ自身の頑なさにも腹が立つのはこういう時だ。俺自身も普段に比べて気を張らなきゃいけねえ状況だというのに、ああいう馬鹿が居るとそっちにも目を向けてなきゃならないから隊長って役割は面倒である。
 敵味方が入り混じって喧騒が激化していく中、女は案の定苦戦を強いられアチコチに傷をこさえていた。それらはちょっとでも避けるタイミングが悪けりゃ致命的な個所を貫かれてしまいそうな危ういものだ。ギリギリといった様子で相手を打ち負かしては先へ進む。
 二、三人倒せば力量の証明には充分だろうに、退こうとしない女に俺は眉を顰めた。恐らく一度灯らせてしまった闘争心を鎮めることができないのだ。
 少し離れた場所からも荒い息遣いが耳につき始めた頃、女が相手の動脈をかっ斬って、俺でも目を細めるほどの血飛沫を浴びた。目に見えてひどい顔の歪め方をする。
 ……強引にでも引き止めるのが、遅かったかもしれない。


「――おい****!気ィ保て…!」


 叫んだが、あれでは聞こえようも無いだろう。
 血塗れになった自分の身を掻き抱いて、恐怖によるものだけではない震えが始まっているようだった。左右に広げた足を踏ん張って、どうにかそこに崩れないで立っている。利き手に握った剣の刃が肌を掠めて自ら切り傷を作ってしまっているのにも気を留めていられない。それほどの興奮が、恐らくアイツの体内を駆け巡っている。
 ――俺にも覚えがある。随分若い頃の話だ。力を認められたくて躍起になっていた頃の、沸騰するようなあの滾り。それなりに腕が立ったって、格上を相手にしてしまえば感情だのを抑制するリミッターが馬鹿になり始める。目の前に広がる惨劇が自らの腕で作り出されていく昂揚と恐怖に、その内それは壊されてしまう。踏んだ場数の足りなさで、ギリギリの命のやりとりにまだ自分を制御しきれないのだ。“アレ”を噴き出して地に伏せるのは今度は自分かもしれない、と。散々他人の人生に幕を引いて体力の限界を感じてくる頃、ふと頭が自分の幕引きをも想像して気が変になっちまう。倒さなくては。殺らなくては。そればかりが渦巻いて、形振り構っていられなくなる――
 女が髪を振り上げ激しく吼えた。血を吸った毛束が赤を撒き散らすその様は、獣が獲物を恫喝するソレを彷彿とさせた。
 あの目はマズい。あの汗の量は尋常でない。
 自分の技が適う相手かそうでないか、そんな見分けをつけられるような状態ではなくなっているだろう。下手をすれば仲間にすら斬り付けかねない。
 できるだけ視野を広げておけるよう、尚且つ敵の注意が****に向かぬよう、俺は全身に青い炎を纏わせながら派手に羽ばたき雄叫びを上げて見せた。周囲の視線が揃って俺に注目する。そのまま鳥の姿へ変態を終え空中高く舞い上がると、楽しそうに戦闘に身を投じる二番隊隊長の姿が確認できた。そのまま自由にやらせてやりたいところだが、今回は悠長にはしていられない。


「おいエース!ちょいとワケができた!焼き払って終いにする!」

「ええ?せっかくの獲物なのにかよ!」

「妹分を死なせたくなきゃ言う通りにしろい!」

「なんだァ?…そりゃ一大事だ」


 俺達の叫び合う会話を耳にした兄弟達は急ぎモビーディック号へと引き返して行く。****は敵中へと駆け出したが、そんなもんは予測済みだ。「やれェ!」とエースを煽り立てれば「よっしゃ!」と勢い付けて拳を突き出し、爆炎が敵船の床面を焼き砕きながら走り出す。俺はそれよりも速く女の駆けて行った方へ空を切った。
 思ったより俊足なソイツはまさに敵の頭である男に斬りかかるところで、だが過ぎた興奮で滅茶苦茶になった太刀筋は簡単に見切られ返り討ちにあいそうだ。「くそ、あのアホ…!」思わず毒吐いて急降下する。
 間に合え。間に合え。間に合え。間に合え!

 女の体が横転するのと、潰れた蛙のような声がしたのはほとんど同時だった。

 男の喉元に足から突っ込み、勢い任せに床へと叩きつけた体勢のまま、俺は横目で女を見た。俺が咄嗟に蹴飛ばしたせいで頭を打って呻いてはいるが、救出自体は成功したようだった。小さく安堵の息を吐けば、ズグンと腹が脈を打って激痛が走る。当たり前だ。男の振り下ろした刃は女の代わりに俺の腹部を斜めに貫いたのだから。男の方は、足だけ鳥の形を成す俺の太く鋭い爪が喉に深く突き刺さり、断続的に濁音を吐き出している。もう、今すぐにも絶命するだろう。
 体を退きながら爪を抜く。堰き止められていたのか、男のそこから血が噴き出した。それに俺は尚更眉を顰めて舌を打つ。仕方の無い状況だったが、こういう殺り方は胸糞悪い。
 腹に刺さった剣を抜くため、翼を象っていた腕を元に戻す。ふと視線を感じたのでそちらに首を向けると、正気を取り戻したらしい女が尻を床に落としたまま茫然と俺を見つめていた。


「…マルコ隊長…?」

「…気ィついたんなら、コレ。抜くの手伝え」

「あ。はい」


 立ち上がると目眩がするのか、顔をしかめて頭を押さえながら近寄ってくる。「失礼します」と胸に足裏を押しつけられ、一息で剣を引き抜かれて思わず呻いた。「すみません」と謝られるが「いや、いい」と首を振る。こういう事に躊躇が無いのは有り難い。
 それよりも、と迫る炎を指し示す。さっさとモビーディックへ戻らなければ、俺はともかくコイツは焼け死ぬ。


「飛ぶ。俺の首にしがみついてろい」

「待ってください」

「ああ?」

「これだけ」


 俺の足元に膝をついて、女は自分の飾り帯を素早く外した。何をしようとしているのか察しがついて「いい。気にすんな」と制止の声をかけるが「これだけです」と繰り返される。
 ダラダラと血を垂れ流す傷口を覆われ、力一杯締められる。とりあえずの止血だろう。放っといても俺の場合は平気なんだが…と思うが、そういえばコイツに能力の説明なんかしたことは無かったかもしれない。鳥になって空を飛べる、とか、そのぐらいに理解されているのだろうか。
 グイグイ引き絞られて、端を結んで処置が終わる。軽く礼を言って立たせようとすると、掴み上げた女の腕がだらりと力を無くしてしまう。


「まだ呆けてんのか?そんなん戻ってからにしろい、今は気張れ」

「…無理です」

「俺だって今お前を持ち上げんのは無理だい。しがみつかれりゃ何とかなるから、そんぐらいどうにか…」

「そうじゃなく。戻るのが」

「はあ?」

「こんな迷惑をかけて…生きていて良い失態じゃない」


 我を失ってがむしゃらに突っ込んで、獲物を台無しにして、隊長にまで傷を負わせて助かるのは申し訳が無い。だから残って死んじまいたいと。
 …なるほどな、解らんでもない。
 解らんでもないが…


「下らねえ」


 黙って言い分を聞いていた俺の口から出た言葉に、女の肩がびくりと揺れる。


「テメエが死んで構わねえような人間なら、突っ込んでって犬死にしようが端っから無視してらあ」

「……」

「この意味が解らねえほど馬鹿なら、俺ァお前を見下げるぜ。どうなんだ、この…」


 アホ女。
 あえて禁句で詰ってやれば、悔しげな光を湛えた瞳で睨み上げてくる。


「悔しけりゃ、次でもなんでも取り返して見せろい」

「……――はい」


 返事に頷いて屈んでやれば、傷だらけの腕を巻きつけて背に乗ってくる。「落ちんなよい」と声をかけると後ろで首を縦に動かす気配を感じる。
 ん゛っ、と情けなくも青筋を立てながら気合を込めて舞い上がると、その様を見た女がグッと息を詰めるのが判った。そうして深呼吸をし始めたが息を整えるのが難しいらしく、絞り出すような腹に沈む声で謝罪の言葉を口にする。
 すみません。
 すみません。
 すみません。…
 まるで独り言みたいに何度も繰り返すそれに、応えようが無い。
 どんどん呼吸は荒くなって、声だけでなく、しまいには腕まで力ませ始めるものだから「こんなもんは大したことじゃねえ」と言ってみたが、女の気は落ち着かないようだった。


「私の馬鹿さで、あなたが…こんな…っ」


 ぽたり。首に温い水が一粒落ちてくる。
 それに参ってしまうような、だが矛盾した歓喜が俺の体を走った。
 あの無愛想な女から垂れ流されるその涙や感情が、今、俺にだけ剥きだされている。本人には悪いが、いじらしく可愛いもんだと場違いに思ってしまった。
 宥めるように「気にすんな」と言ったって「無理です」と顔を背中に埋めてくる。そうしてまた「すみません、隊長」だ。
 コイツのこんな姿を他の野郎に見せたくない。小さな独占欲が、出血のせいで少々ぼんやりする頭によぎる。
 火の海を眼下に飛行速度を緩くした。
 それに気付いた女が顔を上げ、「やはり痛みますか?」と片手を傷付近に撫で下ろしてくる。そんな傷はとっくに能力で再生を始めて塞がりかけているから、落とした速度は単に俺の気分によるだけのものだ。でもそれは「ん」と曖昧に返事をして撫でられるままにしておいた。
 船に戻ったら、多分コイツも兄弟達と今までよりは上手くやれるようになるんじゃないだろうか。立上る煙をゆるゆる避けながら、そんなことを思って頬が緩んだ。





 「俺には悪魔の実に与えられた不死鳥の御加護があるんだぜ」と女に教えて傷の癒えたまっさらな腹を見せ、無表情に熱いスープをひっかけられるのはもう少し後の話になる。

(2010年12月21日)


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