部屋大の宝石箱



ガチャリと重たい音が響いた。
霞む目を開ければ、高い窓から明け方の薄い光がさしている。

「……おかえりなさい。」
「む!なまえ!今起きたところか!おはよう!!」

寝起きで掠れる声で出迎えれば、杏寿郎が隊服姿で立っていた。昨夜任務に発った時と変わらぬ姿だ。怪我をしなくてよかった。

「寝るときは布団で寝なければだめだろう!風邪を引いてしまうぞ。」

文机から体を起こした私と、近くに散らばった本を見てそうこぼす杏寿郎。
だってあなたのくれた本がとっても面白かったから。そう思うも言葉にはせず。それ以外にすることもないんだもの。なんてもっと口にできない。
静かに近づいてくる杏寿郎に駆け寄りたいけど私を繋ぐ鎖が許してはくれず、ただ両手を広げて彼を待つ。
私の手を取り小さく口づけを落とすと、「冷えている…」と心配そうに言う杏寿郎が愛おしくて、ぎゅっと彼の首に腕を回した。
じゃらり。
重苦しい鎖が愛しい君の頬を撫でる。
その感覚を慈しむように、杏寿郎は目を閉じてぎゅうと私を抱きしめた。
冷えた体に杏寿郎の体温が心地良い。
はぁ、と強張った身体を解すように吐かれた吐息が、私の首筋を湿らせる。

「杏寿郎、髪の毛擽ったい」

「む、すまん!」

抱き締めたまま、その逞しい腕で私を抱え上げ、豪奢な布団の上に寝かせた。
じゃらじゃらと、私の手首や足首から引き摺られる鎖の音なんてもう慣れっこで、朝の透明な光を受ける杏寿郎はなんてかっこいいんだろうとため息を漏らした。
体を離そうとする杏寿郎に、まだ抱き締めていて欲しくて上体を起こすと、ちゅ、と軽く口づけを落とされる。

「あまり可愛いことをしてくれるな。君に酷いことをしたくなってしまう。」

「ふふっ」

恋人を鎖に繋ぐ以上に酷いことって、なんだろうね?
そんなことを思うけれど、これが彼の求める幸せなのだから、私は絶対に言えやしないのだ。
ぐいっと彼の膝の上に乗せられ、顎を持ち上げられれば、すぐ近くで私を見下ろす杏寿郎。
その目は優しい色を湛えて私を見ている。
愛情も拒絶も舌から滑り落ちる前に、唇と唇が合わさる。
深く深く、唾液をじゅるりと吸われて私の全てを寄越せとでも言うような。声も息すら呑まれて、あっという間に落ちていく。息をつけぬなら吸うしかあるまい。鼻腔を抜ける空気には、杏寿郎の匂いと外の世界の匂いして、私は胸いっぱいに吸い込んだ。
あぁ、土の匂いがする。少し花の匂いも。そうか、季節はもうすぐ春なのね。
きっと今年も庭の桜が一斉に咲く。暖かな太陽の下で、それは綺麗に…
ぢぅっ。
唇を強く吸われて口づけが止まった。
少し離れた瞳が、なんの感情も無く私を見据える。いや、きっと杏寿郎は怒ってるのだろう。湧き上がる強烈な不安を抑え込み、どこにも行かせるものかと怒りを滾らせている。
杏寿郎は敏感に察知するのだ、私が外のことを考える瞬間は。

「…ごめんね?」

口づけで湿った唇でそう言えば、ぎゅうっと強く抱き締められる。一層強く外の世界の匂いがして、深く深くそれを吸えば諫めるように杏寿郎の匂いが肺を満たした。

「杏寿郎、大好きだよ」

そう言って大きな背中に腕を回せばピシリと固まる筋肉質な身体。
杏寿郎は何も言わずにそっと私の体を離して、そしてそのままこの部屋を出ていった。
立ち上がった瞬間の杏寿郎の横顔は酷く傷ついているようだった。
……いつだってそうだ。私の愛情は、彼には受け止めてもらえない。
時には、彼を宥める言葉に。
時には、赦しを乞う言葉に。
時には、杏寿郎が私に犯している罪を責め立てる言葉に。
ただ大好きだとそれだけを伝えたくて言葉にするのに、私の愛情は彼の耳に届く頃には腐り果て毒となって杏寿郎の心を蝕んでしまう。
自分だって有り余るほどの愛情を私に与えてくるくせに。
1人きりの部屋はうっそりとした静けさに満ちた。
杏寿郎が私に買い与えた高級そうな着物や簪、豪奢な鏡台が朝の光を反射する。 
この部屋は、2人の愛の巣というには窮屈で、囚われた座敷牢と言うには優しすぎる。

ひらり。

白い小さなものが空中を舞った。
私以外息をする物がない部屋で、モンシロチョウが1匹迷い込み、心許なげに羽を動かしていた。
ひらりひらりと着物の間を縫いながら、私のそばへやって来て頬をくすぐる。
「ここには花なんて無いよ」
蝶が飛ぶための空も、風も。
伸ばした指先に止まるモンシロチョウ。疲れたのだと言うように羽をゆっくり動かしている。
蝶が驚かないように静かに立ち上がり、たった一つの窓へと歩いた。
じゃらり。
じゃらり。
じゃらり。
高い位置にぽっかりと空いた窓は、手を伸ばしても届くことはなく。
指先を動かしても蝶は飛び立たない。
もう少し。もう少し窓の近くに連れてってあげたい。
浮かせた踵を更に高くと爪先立ちをした足先に力を込めた、その瞬間。
ガチャリ。
扉を開ける音が私の心臓を凍らせた。
びくっと振り返った私に驚いたのか、蝶は心惜しさも無く指から離れ、窓から逃げ出した。

「杏寿郎…」

「な、にを、だめだ、何をしている!!行くな、行かせない、なまえ!!!!」

怒りを露わにして大股で近づいてくる杏寿郎。
私だけしか見えていない彼の瞳は、怒りの表情とは裏腹に不安や悲しみに満ちていた。
静かに彼へと伸ばした手を思い切り掴まれて引き寄せられた。

「…俺から逃げるのか…!俺から、俺を置いて、逃げるつもりか……!!!!」

目の前の杏寿郎の顔が激情に歪んでいる。
ギリギリと腕が折れそうなくらい力を込められている。

「答えろ!!!!」

まるで獣のように吠えた杏寿郎に、「蝶を逃そうとしただけだよ」と答えるも、脱走を誤魔化すための嘘に聞こえたらしい。
酷く傷ついた顔をして、覚束ない足でどさりと膝をついた杏寿郎。
私の腕は掴んだまま。
いつもは屈強な杏寿郎の肩が震えている。
彼の目の前に膝を突き、震えるその肩を抱いた。

「どこにも行かないよ、杏寿郎。」

「嘘だ、君も俺を置いていくんだろう、だめだ」

「ううん、私はずっとここにいるよ」

「行かせない、だめだ」

私の言葉など聞こえてないのだろう。
うわ言のように、行かせない、とだめだ、を繰り返す杏寿郎。

「大好きだよ、杏寿郎」

頬を乗せた金髪の頭は動くことなく、「うそだ」の言葉と共に縋るように私を抱き締めた。
あぁ、また、私の大好きは届かない。
明日にはまた、この部屋に豪奢な物が増えるのだろう。足に巻かれた鎖は更に重くなるだろう。
愛の巣というには窮屈で、座敷牢と言うには優しすぎる。金銀豪奢なこの部屋は、まるで鍵付きの宝石箱だ。
そんな物はいらないのに。
ただ、私の愛を信じて欲しいだけなのに。
庭の桜を寄り添って見上げながら「大好きだ」といえば、伝わるのだろうか。晴れた空の下、固く手を握れば、君は安堵してくれるのだろうか。
窓から流れ込む風が柔く頬を撫でる。




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