「あ、」

かつん、

かすかな音を立ててキャッチが緩んでいたらしいピアスが落ちる。

屈んで拾って手のひらに乗せてみる。
随分長いこと大切に着けてきた、小さなキラキラした一粒ピアス。
ダイヤモンドなんかではないし、ジルコニアですらないかもしれない。高校生の時に貰ったものだから、10年くらい前のものだ。


「あーあー、」

落としたのが自分の部屋で良かった。
外の喧騒の中で落としたら絶対気付かないところだった。

指でつまんで光にかざす。
夕焼けの光にキラキラと透ける。
よく見れば石の部分に細かい傷が沢山付いていて、長く経ってしまった年月を思わせる。



さすがに未練たらしいな、と苦笑する。
高校3年の誕生日に当時付き合っていた彼からもらったものを、卒業してすぐお別れして、就職してそこそこ仕事も出来るようになってきた今も愛用してるなんて。



「元気かなあ…零くん」


今は何処にいて、何してるんだろう。
夢を叶えて警察官になったって聞いたけど、どこかでおまわりさんやってるんだろうか。


「んー…なんっか似合わないな」

独りごちてすこし苦笑する。
いつだって自信に満ちていて決断力も理解力も周りの男子たちよりずっと上だった。
紛れもなくカリスマタイプの零くんに、交番に立っているおまわりさんはなんだか似合わない。
どっちかというと偉そうにビシバシ指示を飛ばす上官タイプだ。



「あ、やば、行かなきゃ」



甘酸っぱい思い出に浸っている場合じゃなかった。
今日のクライアントは時間に厳しいタイプだから絶対に遅刻は出来ない。

急いでキャッチを別のものに変えて着け直し、家を出た。










「っあーもう…」


結果、打ち合わせには遅刻しなかった。
手応えは上々、契約してくれれば結構いいお仕事になる。気分良く打ち合わせに使用したホテルを後にしてわずか10分後、急に雨が降り出した。

晴れていたはずの空は急に雲がかかり、パラパラ降ってきた雨は一気に勢いを増した。これはあれだ、ゲリラ豪雨ってやつだろう。
ほんの数メートル先も激しい雨の水飛沫で煙って見えない。
雨音のせいで横を通り過ぎる車にも気付かない。
そして勿論というかなんというか、傘なんて持っていない私は濡れ鼠だった。


ヒールは低めだから小走りくらいは難なくできるが、何しろこの雨では滑って転びそうだ。
打ち合わせで使用したタブレットの入った防水ケースと数枚の書類が入ったカバンも、絞ったら漫画みたいに水が出そうなほど濡れている。
いくら防水ケースに入っているとはいえ精密機器が気になるところだ。

銀色に霞む世界できょろきょろ辺りを見回すと、すこし先に喫茶店を見つけた。



「ああ、渡りに船…」


転ばないよう細心の注意を払って、でも出来るだけ早く、私は喫茶ポアロへ向かった。








からん、

軽やかなドアベルが鳴り、いらっしゃいませ、と若い男性の声がした。
後ろでガチャン、とドアが閉まると、今までの激しい雨音が遠ざかりほっと息を吐く。どうやら店内は暇な時間帯らしくお客さんの姿はない。助かった。



「あの、すみません、急な雨で…」
「………ええ、大変でしたね。今タオルをお持ちします」
「すみません…」

とりあえずバッグを開けてハンカチを出す。
ああ、ハンカチびしょびしょ。
とりあえずタブレットは…ああ、大丈夫そう。


「お待たせしました。こちらへどうぞ」
「あ、すみません、あの、椅子濡らしちゃうので大丈夫です、もし良ければすこし雨宿りさせて頂け、る、と…」


店員さんの声に慌てて顔を上げると、ふわふわそうなタオルを差し出しながら目の前でにっこり微笑むその人の顔を初めて見た。


「え…もしかして…」
「驚きました。綺麗になりましたね、名前」
「れ、「僕のこと覚えてます?安室透です」」
「う、え?」
「ああ、本当にびしょ濡れですね。早く拭かないと」


背が伸びて大人っぽくはなったけれど、さらさらの髪も青い瞳も何処からどう見ても零くんなのに、その人は私の名前を呼んで、聞いたことのない名前を名乗った。

プチパニックを起こす私の頭にふわりとタオルを掛けながら、一瞬耳もとで、「ここでは安室透なんです。そう呼んで」と囁いてす、と離れる。



私はまだ、ぽかんと突っ立ったままだ。



その時、奥からぱたぱた足音が駆けてきた。


「あっ、いらっしゃいませ!雨に降られちゃったんですね、大丈夫ですか?」


元気な可愛い女の人だ。
私はまだパニック中な頭で、曖昧にわらって返す。


「あ、はい、すみませんこんなびしょ濡れで、」
「いえいえ、ちゃんと拭かないと風邪引いちゃいますから!」


ほんと急に降ってきましたねーと困ったように笑う明るい女性に、つられてわたしもまたへらりと笑ってしまう。



「梓さん、実は彼女、僕の高校の同級生なんです」
「え?!安室さんの?!」
「ええ、卒業以来会ってなかったのに、まさかここで会えるとは」
「すっごい偶然!えーと、」
「あ、私苗字名前っていいます」
「名前さん!わたし榎本梓です。安室さんと同い年なんですね〜」
「あ、は、はい」
「せっかくここに逃げ込んできたのも何かの縁だし、安室さん、名前さんのこと送ってあげてきたら?」
「え?いいんですか?」
「どのみち今日はこんな天気だしお客さんもいないし!マスターもうすぐ帰ってくるから私話しとくよ」
「ありがとうございます。そうさせてもらおうかと思ってた所だったんです」



目の前でとんとん拍子に話が進む。
え、待って待って。安室さんなの?降谷さんじゃなくて?偽名?喫茶店で働くのに偽名?
ん?警察官じゃなかったの?転職?

もう私の頭の中はショート寸前だ。



「今車を回して来ますから、少し待っていてくださいね、名前」
「え、でも、」


声の優しさと裏腹に鋭い青い目は、余計な事を言うなよ、と言っていて。
エプロンを外しながら一度奥へ引っ込んですぐ出て行った零くん、いや安室さん?を、私はただ棒立ちで見送って。

結局さらにタオルを持って来てくれた梓さんにお礼を言ったりしていたら、あっという間に零くんは帰って来た。



「お待たせしました、少し小降りになってきましたから、どうぞ」
「すっ、すみません、あの、梓さんタオルありがとうございました!」
「どういたしまして〜今度はゆっくりコーヒー飲みに来てくださいね!」


零くんに促されて外に出る。すぐ目の前に停まっているのは、見るからに高価そうな真っ白いスポーツカー。
え、喫茶店のウェイターってそんな儲かるの?
ていうか、こんな濡れた服のまま乗れる車じゃないのは一目瞭然だ。

わたわたと視線を彼に向けると、にこっと笑顔が返ってくる。きゅんとしたのは秘密だ。


「大丈夫、タオル敷いたし、気にしないで」
「う、ありがとう…」


彼の差すおおきな傘に入れられて、助手席へ。
恐る恐る、敷かれたタオルの上からはみ出ないよう座る。
スポーツカーなんて乗るのは初めてで、お尻が深く沈むシートに少し慌てる。


「じゃあ、出すよ」


わたしがシートベルトをかちりと締めたのを見てすぐ、零くんがゆっくりと車をスタートさせた。



「…ありがとう、零、くん」
「驚いたよ。まさか名前にまた会えるとは思わなかった」
「あはは…この近くのホテルで仕事の打ち合わせがあって」
「そうか、仕事、何してるの?」
「えーと、小さな翻訳出版の会社で、一応翻訳者」
「へえ、すごいな」
「零くんは…警察官になったって聞いたけど…」
「まあ、色々あってね」
「偽名つかって、ウェイター」
「そう、色々あって」
「ふうん…」


昔と変わらない、青い瞳。
優しげに緩んではいるけれど、詳しくは聞かせない強さみたいなものを感じてすこし怖気付く。


「で?お家はどちらですか、お嬢さん?」
「あっ、ごめんなさい、隣町の会社に、」
「え?会社でいいの」
「うん、着替え置いてあるから」
「へぇ…泊まり込んだり?」
「うん、小さな会社だけど、意外と忙しくて」
「そうか、頑張ってるんだな」


赤信号で止まって、こちらに顔を向ける零くん。

ああ、懐かしい。
いつもそうして、隣で優しく微笑んでくれてた。

隣町の会社まで、ここから車で15分。
私は彼の厚意にありがたく甘えさせてもらうことにして、ごつごつしているのに細長くて綺麗な指を見るともなしに見ていた。



「…名前」
「うん?」
「結婚は?」
「うーん、残念ながらまだ」
「そうか」
「零くんは?」
「もちろん独り身だよ」
「ふうん、意外」
「どういう意味だよ?」

軽口を叩きながら、時間はあっという間に過ぎていく。あと少しで会社に着いてしまう。



「ああ、そうだ」
「うん?」
「降谷零があそこで働いていることは内緒にしておいてくれるか」
「うん…もちろん」
「安室透になら、いつ会いに来てもいいから」
「う、うん?」


15分がこんなに短いとは思わなかった。
あっという間に零くんの真っ白いスポーツカーは、わたしの勤める会社の入る小さなビルの前に横付けになる。



「ありがとう、れ、…安室さん」
「ああ…そこは、透くんじゃないか?」
「そう?じゃ、ありがとう透くん」
「ああ、風邪引くなよ」


丁寧にお礼を言って車を降りる。
ドアを閉めようとした瞬間。


「名前」
「うん?」
「ピアス、まだ持っててくれてありがとな」
「っ!!あ、いや、これは、」
「それじゃあ、またポアロで」
「〜〜〜〜!!はい…」



バタンとドアを閉める。
軽く手を上げて、零くんが前を向く。車が滑り出す。

濡れたままの服が気持ち悪いはずなのに、私は顔に感じる熱をそのままに、ずっとその白い後ろ姿を見送っていた。







雨上がり、また君に恋する




「戻りましたあー…」
「ちょっとちょっと名前!あれ誰!」
「え、見てたんですか?」
「こんなちっさいボロビルの前にあんなピッカピカのRX7が停まってたら誰だって見るっての!」
「あーるえっくす?」
「誰、彼氏!?」
「あ、いや、同級生とたまたま会って、」
「同級生ぃ?……まさか元カレ!」
「あ、いや、」
「元カレか!雨の日にRX7に乗った元カレと出会って送ってもらったってか!何それ羨ましい!」
「先輩、落ち着いて…」





20190619









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