「あー、つかれた」


口をついて出たのは本心で、さらに言えば無意識だった。今日は本当に疲れた。警視庁捜査一課強行犯捜査三係、そこが私の所属だ。今日はただでさえ連日の事件で手薄になっていた折に誘拐事件が発生したせいで、私は美和子さんと2人、彼女の真っ赤な愛車で現場へすっ飛んで行ったのだ。色々あったがまあ事件はスピード解決といって差し支えなく、今日の仕事は上々で終わったのだ。
だけど連勤続きの中での誘拐事件は私の身体に大きな駄目押しとなり、帰宅と同時に張り詰めていた神経が緩んで疲労は波のように押し寄せた。



「はは、大丈夫か?」
「ん…」


ぐったりと広いソファに腰掛けて、弛緩しきった私の前に彼がマグカップを置いてくれる。ふわふわと湯気の上がるカップの中にはオレンジブラウンの紅茶がきらめいている。


「ありがとう、零」
「君がそんなに疲れているのは珍しいな」
「んー、」
「風呂、入れるか?」


そう言いながら私の横に座る零の髪はまだ濡れている。きらりと小さな雫が落ちた。
私の頭を撫でながら笑うから、ついこちらもふにゃりとわらってしまう。よっこいしょと背を起こして、温かな紅茶を一口飲む。私のすきなメーカーのアールグレイだ。零の淹れてくれる紅茶は美味しい。ほう、と息が漏れた。



「うん、お風呂はいらなきゃ…」
「大丈夫か?一緒に入ってやろうか」
「結構でーす」
「そうか残念だ」


全く残念じゃなさそうに彼が笑ってみせる。私は紅茶をぐいっと飲んで思い切って立ち上がった。
さっき帰宅したばかりの私はまだスーツ姿だ。しかも1日走り回った後で取り調べだの報告書だの証拠品申請だの、疲れと汗がじっとり重く染み付いている気がする。
紅茶で少し復活した私は浴室へ向かった。











「はー、すっきりしたー…ん?」

汗も埃もさっぱり洗い流して丁寧にスキンケアをしてリビングに戻ると、そこは薄暗い。てっきり明るい部屋に零が待っていてくれると思っていたから虚を突かれて目をぱちくりさせる羽目になった。

リビングは真っ暗ではなくて、観葉植物の隣のペーパーシェードのランプが灯っている。オレンジの光がぼんやり照らす室内はいつもと違う雰囲気だ。


「れい?」
「おかえり、名前」
「ふわっ!?」
「ふふ、そんなに驚かなくても」


暗がりになっていたキッチンから不意に彼が歩いて来て、ひくりと肩が跳ねた。
はい、とミネラルウォーターのペットボトルを手渡されて、立ったままごくりと飲んだ。零はにこにこ笑ってそれをまた受け取ると、とん、と背を軽く押して促した。


「うん?」
「今日は特別お疲れの君に、サービス」
「へ?」
「マッサージしてあげるよ」
「え、」
「ほら、早く」


優しい笑顔がちょっと怖いんですけど。
でも私以上にずっとハードワークをこなしている彼にそんな事を言われて断る理由は思い付かず。
私は零に促されるまま、リビングから寝室に入った。寝室もまた間接照明の淡い光が灯っていて、なかなかにムードのある雰囲気だ。


「う、」
「ん?」


眠る時はいつも足下の常夜灯しかつけないし、間接照明を点けるのは大抵がその…夜のいちゃいちゃタイムの時だけだ。


「はい、横になって」
「い、いいの?」
「うん?何が」
「零も疲れてるのに…」
「言っただろ、サービスだって」
「でも…」
「今日は君と、佐藤刑事のお手柄だったそうじゃないか」
「え?知ってたの」
「まあ、少しな」


結局後ろからそっと、でもしっかりと背を押されて、私は慣れ親しんだベッドにうつ伏せに転がった。きし、と軽くスプリングが軋んだのは、そこに零も座ったからだ。


「…さて、じゃあ力を抜いて」
「うん…お願いします」


やると決めたらやる男だ。私が下手な言葉を尽くしたところで無駄な抵抗なことは身に染みて分かっているから、大人しく力を抜いた。
零の大きな手が私の背中に触れる。部屋着越しでもじんわりと温かい体温を感じて気持ちがいい。


「どこからしようか。腰?肩?背中?」
「んー…背中?」
「了解」


楽しそうな色すらのせた零が、私の薄っぺらい背中を押して行く。強すぎず弱くない力加減はとても気持ち良い。


「……ん、」
「痛い?」
「ううん、気持ち良い…」
「痛かったら言えよ」


大きな熱い手のひらは、触れているだけで恍惚とする気持ち良さがある。その手が背中をほぐし、腰を押し、背筋を登って首筋に達する。うなじに触れた途端、熱い指先にひくりと肩が震えた。


「…くすぐったい?」
「ん、大丈夫…」
「はは、眠かったら寝て良いから」
「んー…」


正直なところとても眠い。疲労は零の熱い掌にやわやわと揉みしだかれて境界線が曖昧になっていく。ほどけていく、といった表現が一番しっくり来るような感覚だ。
零の低い声が愛おしい。優しく微笑んでいることが想像できる声色で、私は甘やかにほどかれていく。


「…ん、っ」
「だいぶ凝ってるな」
「んんー…」
「随分硬い」


うつ伏せで肩や首を揉まれながらだと、喋るのはなかなかに億劫だ。ぼんやりする意識と気持ち良さの中でふわふわと弛緩していく。
ああ、本当に気持ち良い。零のマッサージは、贔屓目で見なくとも、そこらのマッサージ屋さんよりずっと良い…


「…名前」
「…ん、?」


不意に手が離れて、すこし涼しく感じて意識が浮上する。そして次に聞こえた零の声が耳のすぐそばだったので、私はぱちりと目を開いた。


「気持ちよかった?」
「うん、ありがとう」


うつ伏せのままの私の背に覆いかぶさるようにして、零が耳に直接ささやく。
ぞくり、と背筋が粟立った。


「じゃあ、今度は俺の番、な?」
「うん」


零が離れた気配がしたから、手をついて起き上がる。そうだよね、零も疲れてるし、私マッサージはそんなに得意じゃないけど頑張って…

「……ん?」


起きあがったはずの体は、ころんと転がされて仰向けになっただけ。そして上には零がにっこり笑って乗っていて。


「れ、零、私もマッサージ…」
「いや、俺は大丈夫」
「でも俺の番、って」
「俺が気持ちよくしてもらう、番」
「…ん?」
「ん?」


ぼんやりとした絞られた光量のなか、零の青い眼がきらりと輝く。しっかり目を合わせたまま、彼の顔が近づいて来る。


「…っ、」
「…ふふ、可愛い」

一瞬だけ触れた唇が離れて、零が低く呟く。
言われ慣れない可愛い、は、零がわざとやっているのも知っている。私が赤くなって照れるのを見て、零の目がわらう。
一気に部屋に熱い劣情が漂って、湿度が上がったようにむわっと肌が汗ばむ。


「ね、名前?」
「…ん」
「いいだろ」
「つ、疲れてるんだけどなあ…」
「うん、だからマッサージしただろ」
「…あー、うん」
「な」
「……はい」


そんな目で見られて拒否なんて出来ないことは分かってる。それでも悪あがきしてみたけれど、零だって私の返事なんて分かりきってるのだ。
ほんのちょっとした駆け引きみたいなこの時間が、勝ち負けは分かっていても好きだったりする。


「…名前」

ああ、ほら。
そんな目で見られたら。








てのひらからお誘い
熱くなったのは誰のせい?





「っ、はあ、は、あ」
「大丈夫か?」
「待っ、て、息苦し、」
「うん、ゆっくり息して」
「ん…ちょ、待ってって」
「うん、ゆっくりでいいよ」
「や、だから、触らない、で」
「うん?聞こえない」
「待って、零、」
「…いいな、その顔」
「な、に、はあ、」
「うん、可愛い」
「…っ」
「ほら、休憩終わり」
「え?待っ、…あ、っ」
「早く、名前」






20190817










DC TOP




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -