「あー、名前、丁度いい所に帰ってきたわ」
「は?なにが」
「今夜7時から町内会館ね、すっかり忘れちゃってて〜あとよろしく」
「え?」
「ほらー毎年の懇親会。あ、わたしらもう出るからよろしくね!」
「はあ?ちょ、」


8月12日の夕方。わたしは実家に帰って来ていた。年末年始帰らなかったんだから盆くらい帰って来いとの母親からの鬼電により、まあたまにはいいかと仕事後直帰してみたらこれである。
私が玄関で靴を脱ぐと同時に、出て行こうとする父と母。え、帰って来いって言っといてどこ行く気だ。


「あれ、言ってなかったっけ?私たちこれから温泉なのよ。2泊で。じゃ、行ってくるわね!」
「は…??」


ぱたん、と玄関が閉まる。
嵐のように通り過ぎて行った両親。温泉旅行?聞いてないし、それなら私もそっちに入れろよ。
はあ……アパートに帰ろうか。
でもこれからまた電車に乗るのは億劫だし…ととりあえずリビングへ入る。ダイニングテーブルの上に、1枚の紙。


「……懇親会」

実家のある町内は珍しいことに、お盆の前の12日の晩に毎年懇親会という名の飲み会がある。それのお知らせだった。
7時、町内会館、これか…
いや、行かないよ?なんで私がこんなおじさんおばさん達の飲み会に行かなきゃならないの。町内の人たちと言えばまあ見知った人もいるだろうけど、何年も会ってない人の方が多いに決まってる。わざわざそんな所に肩身の狭い思いして飲みになんて…













「あら?名前ちゃん?名前ちゃんでしょ、苗字さんとこの!」
「あ、どうもこんばんは〜ご無沙汰してます〜」


来てしまった。


ダイニングテーブルの上の案内には、母からの走り書きで会費は払ってあるから飲んで来て!お願いね!と書いてあった。行かなきゃ会費無駄になるじゃん。勿体無い。
というのはまあ建前で、本音はさらにその下の母のメッセージが呼び起こした淡い思い出のせいだった。


松田さんとこも息子さんが参加するらしいよ。


松田さんとこの息子さん。忘れもしない松田陣平である。同じ町内なので小さい頃から知っているが、わたしは高校で寮に入ったのでもう何年も会っていない。
そして松田陣平は、誰にも言っていないが私の初恋の君である。

別に、今更彼に再会したからと言ってどうという事もない。私はまだ独身で今は彼氏すらいないけど、彼はどうだか知らないし。あれだけのイケメンだ、もう結婚してる可能性だってある。

だから別に、ほんと興味本位。イケメン中学生だっ松田陣平が、不細工になってたら悲しいけど。



「……あれ?お前、えーと、名前?」
「うん。陣平、だよね」
「おお、久しぶりだな」
「うん、オヒサシブリデス」


まあ、ほんとにただちょっと懐かしい気分を味わいたかったんだ。そこに嘘はない。なのに、なのにさ。

松田陣平ちょっと待って?イケメン過ぎやしない?
ガヤガヤ騒がしい町内会館の座敷の隅。わたしの隣に座った真っ黒いスラックスにワイシャツ姿の長身痩躯。その癖っ毛と猫みたいな目。少年時代女子から異様にモテた松田陣平は、モデルみたいにイケメンだった。




「おお、陣平か?無駄にデカくなったな」
「うっせーなジジィまだ生きてんの?」
「お前、仕事でもそんな口きいてんのか」
「んなわけないだろ」

缶ビールを配りながら、町内会長のおじさんが陣平の肩をばし、とたたく。
ああ、そういえば陣平は警察官になったと母親から聞いたことがあったっけ。あの口の悪いガキ大将が警察官とは、人間どう変わるのか分からないものだと思った覚えがある。


「陣平、警察になったって聞いたけど」
「ああそう。爆弾を解体するアットホームな職場」
「なにそれ?爆弾解体してるの?」
「そ。」

おじさんが去ってからすぐ、陣平が缶ビールをカシュ、と開ける。おいまだ乾杯してないぞ。
ていうか、爆弾を解体するって普通のお巡りさんじゃないってことだよね?わたしはどきどきうるさい心臓をなんとか無視して、隣の陣平を見る。


「へえ、すごいね」
「まあね。お前は?なにしてんの今」
「あー、まあ、普通に会社員」
「ふーん」

暑ィなこの部屋、と陣平が缶ビールをぐいっと呷る。上下する喉仏に釘付けになる。


「おいコラ陣平!まだ飲むな!」
「へーへー」

ほら怒られた。やっぱり悪ガキの陣平だ。
びっくりするほど色っぽいけれど。












そして乾杯から1時間半ほど経つ頃には、テーブルの上のオードブルは粗方なくなり、乾きのつまみを手に缶ビールやら缶チューハイを呷るひと、そして空き缶空き瓶がそこら中に見て取れた。
どうしてそんな物があるのか知らないが、赤い顔のおじさんおばさんのカラオケが始まっていて、私は相変わらず隅に座ったままだ。

これ中締めとかあるのかな。ちょっと帰りたいな。

陣平はトイレに立って戻って来たところをおじ様達に捕まり、今は向こうの方で煙草を吸いながら何やら笑っている。
あー、あいつ煙草吸うんだ。馬鹿みたいに様になるな。上から2つボタンを外したワイシャツ姿も、煙草を持つ長い指もかっこいい。指輪はしてないようだけど、彼女いるのかな。


少しアルコールの回った頭はとめどなく彼のことを考える。ぼんやり見ていた陣平が煙草をくわえたまま携帯を出して、またすぐに仕舞った。
そして次の瞬間、その黒目がちの瞳と私の視線がかち合った。

「…っ、やば」

見過ぎたな。熱視線を送っていた自覚はある。
だけど私が視線を逸らす前に、陣平がふっと笑ってみせた。


……なんだなんだあの破壊力。


視線を逸らして熱くなる頬を冷まそうと目の前の缶チューハイを呷った。
それでも鼓動はばかみたいに早くて、急激にアルコールが身体中に回る感覚がする。頭はぼんやりしたけれど、陣平がまた私の隣に座った時、不意に香った煙草と僅かなシトラスみたいな陣平の香りははっきりと頭の奥に残った。


「大丈夫か?」
「ん、全然平気だけど」
「そ?なんかぼけっとしてた」
「そうかな」


陣平が隣に胡座をかいて座っている。
喧騒の中、彼の声だけは耳にはっきりと届く。
ああ、これはやばいな。


「…お前さ」
「うん?」
「まだ独身なの」
「……残念ながらそう」
「それでさっきのアレか」
「ああ…聞こえてた?」


さっきのアレ。町内のお節介なおばさまに、いい人居るんだけど会ってみない?とだいぶ食い下がられたアレだ。


「陣平は?」
「結婚どころじゃねェよ」
「ふーん、彼女はいるんでしょ」
「別れた」
「ふーん」

あ、最近まで居たんだ。
まあそりゃそうだよ。こんなかっこいい男、放っとく手はないもん。
妙にズキっと痛んだ胸の奥。陣平の彼女か。きっと美人でそれこそモデルみたいなんだろうな。あー、やめよ。


「…お前本当に大丈夫?」
「大丈夫だってば」
「帰るか」
「うん、その内ね」
「送ってってやるから、ほら」
「え、ちょ、」

陣平と知りもしない元彼女を勝手に思い浮かべて下を向いた私を、整った顔がのぞきこむ。
照れ隠しに私の声は妙に不機嫌な色になってしまって、陣平は私の具合が良くないのかと心配したらしい。
ほら、と立ち上がりながら、手首を取られた。


「い、いいって」
「はいはい、行くぞ」


いつの間に私のかばんを持った陣平に立たせられ、そのまま手を引かれ歩き出す。
座敷の入り口にいた町内会長が目を丸くした。


「なんだ陣平、もう帰るのか」
「おう、こいつ送ってくから」
「なんだ、そっちが目的だったか」
「うるせぇ」
「名前ちゃん、陣平に食われるなよ」
「あ、はは…」

真っ赤な顔の町内会長に見送られ、陣平と外に出た。夏の夜の風はまだ何処かなまぬるくて肌にまとわりつく。
握られたままの手首にまで汗をかきそうで、熱い大きな手が気になって仕方ない。



「陣平、私ちゃんと歩けるから」
「あ?そう」

ぱ、と離れる大きな手。
ほんの少し名残惜しい。随分アルコールが回ったみたいだ。

前を歩く陣平の背中を見つめながら少し後ろを歩く。私のかばんを持ったまま、陣平は歩きながら煙草に火を点けた。


「…」

さっきまでの騒がしさから、一転静かな夜の道。
見上げた空は雲ひとつなく、星がきらきらと瞬いていた。ああいやだ、私恋愛モードになってる。


「…なあ」
「ん、」
「お前彼氏いるの」
「…ん?」

前を向いたままの陣平が呟く。
白い煙が闇夜に溶けて消えていく。


「…いないよ」
「ふーん」

興味ないなら聞かないで欲しい。
心臓がうるさくてたまらない。

夜に浮かぶような陣平の白いワイシャツを少し睨む。肩広いな。昔は私と変わらなかった背丈が随分伸びて、大きな背中をしてる。爆弾処理の仕事、なんて。命がけじゃんか。昔みたいに喋るのに、こんなかっこいい背中なんかして、そりゃ恋愛脳になってしまうわ。

あーずるい。松田陣平ずるいよ。


「俺さあ」
「ん?」
「中学ん時お前の事好きだったんだよな」
「………は?」

それは、明日も暑いらしいな、くらいのなんて事ない抑揚の無い声。だけど内容は耳を疑うもので。


「お前が高校入ってすぐ彼氏作ったって聞いて、それなりにショックだったわ」
「……どうしたの陣平」
「別に?」
「は、」
「変わらないなと思っただけ」
「…なにが」
「お前だよ。今も綺麗だなと思って」
「…酔ってるでしょ」
「あんなんで酔うかよ」


陣平がわらう。
その顔をみることは叶わない。
だけど私の頭の中は完全にショートしている。


「初恋って実らないんだっけ?」
「…なんの話してんの」
「名前」
「…っ、」


急に立ち止まった陣平が振り返る。
街灯の少ない道。大きな月が明るく照らす陣平の目がきらりと輝いて見えた。

ああ、そんな目ずるい。身体の奥から沸騰する。


「お前俺のことどう思ってた?」
「……覚えて、ない」

搾り出した声は掠れて、陣平の煙草の煙に巻かれてきえていく。陣平が煙草を消して、一歩、わたしに歩み寄る。
真正面から見上げる陣平のかお。それはひどく妖艶で、ぎらりとわずかに笑んでいる。ほんとう、目に毒だ。


「…本当は?」
「……ずるい」
「何が」
「なんか、なんとなく」
「ふ、お前こそ酔ってるだろ」
「別に、」

陣平が笑う。
少年の頃と違う、大人の男の顔をして。

「ま、ゆっくり聞くからいーよ」
「は?」
「お前ん家今日誰もいないんだろ?」
「なんで知ってんの?」
「うちの親が一緒に行ったから。旅行」
「はあ?」
「お前ん家の方が近いし、飲み直そうぜ」
「え、でも、」
「コンビニ寄ってくか」
「ちょっと、陣平」
「ほら早く、行くぞ名前」


目を白黒させる私ににっと笑ったその顔に、初恋していたあの甘酸っぱい日々が走馬灯のように頭の中を彩っていく。
心臓はずっと口から飛び出そうだし、目の前の男から目が離せない。

だから再び取られた手が、今度は手首じゃなくてしっかり指を絡めて握られて、私はもう思考を放棄する事にした。















「ふーん?じゃあ名前は松田陣平が好きだったんだ?」
「そりゃもうだいすきらったですとも!」
「へー、どんな所が?」
「顔はさいこーにいいし、くちはわるいけど、こえもすき」
「うん、あとは?」
「いじわるなのに、やさしいしー」
「おう」
「不まじめ、なのに、すごくまっすぐで」
「…これ照れるな」
「あと、顔がさいこーにいい」
「ふは、そこなんだな」
「だから、今日、あえて、ほんとうによかった…」
「…おう」
「じん、ぺ、すきだー…」
「お、ついに寝たか?






…かわいー奴」





20190726









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