髪を伸ばし始めてどのくらい経つだろう。そう、4年だ。わたしがこの仕事を始めてからだから。大切だったひとが殺されてからだから。
腰近くまで伸びた髪は、正直邪魔な時も多い。乾かすのは面倒だし、暑い季節はひと思いにナイフで切ってしまおうかと毎年思う。寝癖がつきにくいし、ついても結んで仕舞えば様になるのは便利だけど。



「…ライ、ドライヤーくらい当ててきなさいよ」
「暑くて面倒だ」


シャワールームから出てきた長身のこの男は、今の私のパートナー。無論仕事の、だ。
男のくせに随分と長い髪をしていて、アメリカ人なのに真っ黒でやけにさらさらした髪をしている。

組織の中で、いや組織の外を見ても、ライの狙撃の腕は卓越している。冷静沈着、仕事もその後も無駄は一雫もない、ニコリともしない変な男。
主に彼と2人で組んで諜報と暗殺の仕事をし始めてかれこれ1年。そして先週から、長期任務のため仮拠点に借りた狭いボロアパートで同居している。
恋人でも、友人ですらもない男と一つ屋根の下で暮らすなんて考えられないことなのだが、ライと暮らすのは不思議と嫌ではなかった。恋愛感情はない。身体の関係もない。世間話もほぼ全くしない。ライはライで、わたしはわたし。狭いアパートだが個室がふたつある事もあり、思ったほど居心地は悪くないのだった。



「髪、傷むよ」
「…珍しいな、酒か?」
「ええ、バーボンだけど、…飲む?」
「ああ」


濡れ髪のまま肩に掛けたタオルを揺らして、ボロアパートの申し訳程度のダイニングのちいさなソファに腰掛けるライ。
私は端に寄って場所を空けてやり、手近にあったグラスにバーボンを注いでやる。



「…氷」
「自分で出しなさいよ。私にも頂戴」


チッとちいさく舌打ちしたライが、下ろしたばかりの腰を上げてちいさな冷蔵庫を開ける。
自分のグラスに手掴みで氷を落とし、そのままわたしのグラスにもふたつ落とす。綺麗な長い指。節だった男の手だ。



「Thanks」

ライから返事はない。
そのままどかりと、また横に腰掛ける。ソファがぎしっとちいさく音を立てた。



「お前も酒飲むんだな」
「は、仕事で飲んでたじゃない」
「仕事でしか飲まないのかと」
「まあ…仕事以外ではあまり飲まないかな」


カチン、ライターが鳴る。
ライはヘビースモーカーだ。煙が一筋上がり、彼の吐いた煙が別の形をつくる。

こんな風にふたりで飲むのは初めてのことだ。任務中にグラスを合わせることはあったが、任務を離れて余計な話などほぼしなかったから。



「で?」
「え?」
「なんで今夜はそんな気分なんだ」
「ああ…命日だから」
「へぇ、恋人か」
「そ、私を庇って死んだ間抜けな男」


あの人は、本当に馬鹿だった。あの日しくじった私を庇ったりしなければ、その若さで命を落とす事などなかったのに。
本当に馬鹿で、間抜けで、浅はかで、どうしようもなく愛していた人だった。



「…復讐でも?」
「さあ?まあいずれとは思うけど」
「その彼は日本人?」
「日本とイギリスのハーフ。そう、ちょうどあなたみたいな綺麗なグリーンの目をしてた」
「…名前は」
「忘れちゃった」


手の中のグラスの中身をぐいっと呷る。甘いバーボンの香りと強いアルコールが喉を焼く。
こんなにお喋りなライは珍しい。そしてわたしも。
少なからず酔いは回ってきているし、今夜は誰でもいいから話していたかった。


「そうか、じゃあ、」
「ん?」
「俺をそいつと思ってみるか?」
「は、」


狭いソファに逃げ場はない。気付けばライは、ソファの背もたれと肘掛けに手を置いてわたしを閉じ込めていて。彼の濡れた長髪が、幾筋か私に掛かる。
深いグリーンの瞳はすぐそこにあった。


「…とても悪趣味ね、ライ」
「そうか?なんなら耳元で名前を囁いてやろう」
「結構よ。離れて」
「どうにも放っておけない顔をしてるぞ」
「…そんなわけ、」
「この際俺でもいいから、心の穴を塞いで欲しかったんだろう?」
「あのねぇ、」
「じゃなきゃわざわざここじゃなく自分のベッドルームで飲めばよかったはずだ」
「…勝手な解釈」
「なまじ的外れとも言えないだろう?」


深いグリーンを細める。
ほんの一瞬、二度と見ることのできないかつての恋人の目を思い返していた。
亡くした恋人と仕事のパートナーを重ねる最低なわたしと、それにつけ込む最低な男。



「…そんな顔をするな」
「何なのさっきから」



鼻が触れそうなほど近くなった整った顔が、不意に離れていく。ほんの少し、たしかに名残惜しく感じたことに自嘲する。
またどっかりと背もたれにもたれて、ライが自分のバーボンをひと息に呷った。



「なあ、名前」
「なに」
「俺たち、パートナーになってそれなりに経つ」
「まあ、1年くらい経つわね」
「少しはお前のことを知った気でいたが」
「そう、意外」
「お前は踏み込ませちゃくれないだろう」
「お互い様でしょ?」
「まあ、それもそうだが」



煙草の煙が部屋に充満して曇っていく。
煙の中に、ウイスキーとシャンプーの香りがわずかに混ざる。
今日はいやによく喋る寡黙なはずの男が、白い煙に混じってぼんやりわずかに輪郭を曖昧にしている。



「俺は面倒ごとが嫌いだ」
「そうじゃないかとは思ってた」
「お前もそうだろう」
「まあ、」
「つまりは、」


結構似た者同士なんじゃないか?

カランと氷をならして、流し目でこちらを見遣るライから目が離せない。


「……なんだか酔ったみたい」
「随分早いな」
「ねえ、なにか盛った?」
「…イエスと言ったら?」
「随分強い薬みたい」
「そうか、責任は取ろう」


もちろんライは薬なんて盛ってない。このバーボンは私が買ったものだ。そしてわたしも酔ってなんてない。強いて言うならこの男から発せられる強烈な色香に酔っている。

僅かに口角を上げたライの顔が、再びわたしに迫る。彼の大きな美しい指先が、わたしの髪を一房取って口付けた。


「名前、」
「ん、」

小さな声で名を呼ばれて、背筋がぞくりと粟立った。触れ合った唇は、想像よりずっと熱くて甘い。







最低な大人たち
(混ざり合うふたりぶん)





「…やっと、だな」
「っ、な、にが」
「ふ…やっと落ちて来たと思っただけだ」
「なんの、話、」
「なんでもないさ」
「う、あ、…っ」
「大丈夫だ、俺を見てろ、名前」
「そこで、喋んない、で…っ」
「後悔はさせないつもりだよ」
「待っ、ライ、も、むり、」
「ああ、我慢するな」





20190709









DC TOP




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -