*流血表現あり。
NOT シリアス














「ライ?準備できた?」
「−ああ」

アンティークな、と言えば聞こえはいいが事実おんぼろなアパート。広くも狭くもなくいつも埃っぽくてあまり陽の差さない2LDKが、先月からわたし達の根城だ。
ライ、スコッチの2人とここに暮らして半月ほど。以前何度か一緒に仕事をしているが、今回は長期戦だった。それでこのおんぼろアパートに暮らしているわけだ。

今日はターゲットの参加するパーティーに潜入することになっていて、ライはわたしのパートナーとして、身支度を整えていた。ちなみにスコッチはウェイター役だ。
ガチャ、キイと良く軋むドアが開く。コツ、と踏み出した革靴はピカピカのイタリア製。そしてすらりと長い脚が伸びる。


「…おっどろきぃ」
「…“Fine feathers make fine birds."」
「え?」
「馬子にも衣装ってやつ…」

ソファに座っていたスコッチがぽかんとして呟いて、煙草を取り落としかける。そしてわたしも目と口が塞がらなくなる。


「なんだ?変か?」

そんな2人分の視線に不機嫌そうに眉間のあたりにしわを寄せて煙草の煙をフーッと吐くライ。それはいつもの彼なのに。


「いや、すっげぇかっこいい…」

スコッチがつぶやいた通りだった。
パーティーに潜入するわけだから、今日のライはスーツ姿だ。彼の長身にぴったりなスリーピースのスーツは黒かと思ったがやや青みがかっていて、濃紺のような色だ。いつもの真っ黒コートと大して色味は変わらないはずなのに、身体にフィットする細身のスーツ姿はちょっと、いやかなり目に毒なセクシーさがある。帽子をかぶらずオールバックにした長く黒いさらさらの髪が顔の横に一筋落ちていて、見慣れたはずの目の前の男に釘付けになる。



「な、名前?」
「う、うん、似合ってるよライ」
「…お前ら顔引きつってるぞ」

くわえ煙草のライ。たしかに私の顔は引きつっている。だってこんないい男見たことない。

彼らと初めて一緒に任務に就くようになった時、綺麗な人だな、と思った。グリーンの瞳も、さらさら揺れる長い髪も、射抜くような視線も、抜群なスタイル、そして低い声も。
見た目は完璧で、狙撃の腕も文句なし。なのに、とにかく死ぬほど愛想の悪い男で、私が話すのは同じ日本人のスコッチばかりだった。

口数の少ないライとは反対にスコッチは人の懐に入るのが上手で、にこにこかわいらしい顔で笑ういい奴だった。その実仕事に関しては正確で、ライとスコッチが揃えば狙撃班は完璧だった。おまけにスコッチはにこにこ人なつこい笑顔で相手を油断させたり情報を引き出したりと、ライには出来ないことができていた。


まあ、だから、2人はなかなかにいいコンビだった。
無愛想でヘビースモーカー、面倒ごとが嫌いなライと、にこにこよく笑う世話好きなお兄ちゃんタイプのスコッチ。2人と仕事をするのは、言い方はあれだけど楽しかったのだ。
ライも、感情表現に関して不器用なだけで、悪い奴じゃないと思ったし。犯罪者なのに。


「ホォー…名前も中々、」
「え、」
「見れたもんじゃねぇか」
「…かわいいでしょ」
「可愛いっていうよりは、綺麗だよ」
「っ、ライぃ…」


こういう男だ。歯に衣着せぬ、少ない言葉。それは時折、全力で相手の感情を貫く。


「え、名前が照れてる!珍し〜」
「スコッチ黙って」


スコッチが面白そうに歯を見せて笑う。
だってこんな見た目だけは最高に良い男に、微笑みを添えて綺麗だよ、なんて言われて照れないほど免疫力は高くないのだ。仕事は別だけど。

今日の私は濃紺のタイトドレスだ。肩周りはレースがあしらわれていて、白い肌が透けるつくり。今日はライが一緒だし、愛銃は携帯しないつもりでいる。



「ふ、本当に綺麗だよ名前」
「調子乗せないでライ」


煙草の煙を吐き出しながら笑う顔をじとっと見る。
ああ、そうだ、


「ライ、ちょっと座って」
「ん、」


狭いリビングダイニングのソファは、2人掛けと1人掛けが1脚ずつ。1人掛けはいつからかライの指定席だ。そこに腰掛けたライを見届けて、洗面所からヘアゴムを持ち出してきて。


「ほら、この方がいい」
「…楽だな」
「ねー?」
「おお〜いいよライ、色気増すよ」


長い髪を低い位置で束ねて細い紺のリボンを巻いてやると、スコッチも褒めてくれた。










「さて、それじゃ行きますか」
「ああ、お手をどうぞ、princess」
「…調子狂うな」


ライも割と楽しんでいるらしい。
彼が差し出した手に軽く自身の手を乗せて、わたし達はパーティー会場に潜り込んだ。


広くはないが小綺麗なホールは、調度品のひとつひとつがアンティークで可愛らしい。

オレンジがかった照明を受けて立つ姿はどこぞのモデルか俳優のようなライが、私にシャンパングラスを持たせた。



「さて、ご挨拶しておこうか」
「ええ」

今日のライは機嫌が良いらしい。
薄っすら微笑みを湛え、意外なまでに完璧にスマートにエスコートしてくれる。さすが英国紳士。あれ?アメリカ人なんだっけ。

そんなライに合わせて、わたしも口許に笑みを浮かべて彼の腕に自分のを絡める。
身長差故に、きちんと目を合わせるとだいぶ上を向かなくてはならない。ライのグリーンの瞳に柔らかく見下ろされるのはなかなか良い気分だ。



「…あいつら目立ちすぎだろ」

トレイを手に会場全体を見回っているスコッチが呆れ顔で呟いた独り言にも気付かずに。





「Nice to meet you.」

貿易商と名乗ったライに続いて、あくまでも貞淑な東洋人の妻らしくしおらしく挨拶する。


『君がライか。話はかねがね聞いてるよ』
「こちらは僕の妻です。以前から貴方のファンのようで」
「是非一度お会いしたくて、夫にわがままを言って連れて来てもらいました。本当にお会い出来て光栄ですわ、ミスター」
『ははは、随分可愛らしい奥さんをお持ちだな』
「良かったらお話を聞かせて頂けません?」
『ああ、喜んで』
「それじゃ僕は飲み物を取ってきましょう」



窓際の豪奢なソファに、でっぷり肥った男と腰掛ける。飲み物を取りに行った夫役のライは、当分戻って来ない筈だ。ていうか早速声掛けられてるし。まああの容姿じゃ仕方ない。

さて、わたしはわたしの仕事をしましょうか。















で、どうしてこうなったんだったか。

今日の目的はあくまでも情報収集のみ。このパーティー会場のホールの内部と、地下施設についても探れれば尚良し。実弾ノーサンキューでターゲットと知り合いになれればOK。
私が男の興味を引いている間に、スコッチは地下施設、ライはこのホールの内外を調べているはず。わたしはわたしで、東洋人好きのこの男に気に入られたようで首尾は上々だった。

はずなのに。



今、わたしの目の前にはターゲットのでっぷり肥えた大男。いや目の前っていうか、上。
わたしは暗いベッドルームで、彼に押し倒されている。頭の上の両手首には重い手錠が嵌り、ベッドに固定されている。

ホールの出入り口のスコッチと目が合って、ああ終わったんだなと思って腰を上げた。
ちょっとお手洗いに、夫も迷子のようですし、と微笑んで男から離れてホールを出た。このまま一人で外に出ようかと玄関ホールへ向かっていたのに、途中で膝から崩れ落ちた。スコッチが持っていたシャンパンしか飲まなかったはずなのに。やられた。
そして目が覚めたのが今。でっぷり男の下である。最悪かよ。


「…どういうことなの、ミスター」
『お目覚めが早いな、待ちきれなかったか?』


ああ、こいつ情報以上のクソ野郎なんだな。
さて、今日は銃もないしどうするか。まあ、どちらか助けに来てくれるだろう。それにしても、下から見上げる醜い大男に嫌気が差す。麗しいうちのダーリン役で眼を清めたい。はあ。


『さあ、夜は長い−−−』

パン、と乾いた発砲音が腹に響いた。
最後まで喋らせてもらえなかった大男の血を浴びながら、月明かりの中に佇む美しい男を見て、思わず口角を上げた。



「無事かいハニー」
「遅かったわねダーリン?」


わたしの上の男は、倒れる前にライの長い脚に蹴り倒されてベッドの下に転がった。
頬から首に、そして腹まで。鮮血を浴びた私を見下ろすグリーンはとても冷たい。



「ハァ…今外す」
「うん」

ライが手錠を外しながら状況を手短に説明する。
倒れた私を用心棒共が部屋に運び入れるのを見ていたのはライで、そいつらは今ドアの外で永遠に眠ってる。スコッチが電気系統を弄ったので、今ほどの発砲音を合図に会場もろともすべては暗闇だ。退路はスコッチが確保しているから、後はずらかるだけ。


「よし」
「ありがとう、っと、」


がちゃんと外れた手錠にほっとして起き上がろうとして、よろめいた。薬には多少耐性をつけているが、まだ残っているらしい。


「無理するな」
「え、ライ?」


返り血を浴びた私の顔と首をシーツで軽く拭って、そのままライに抱き起こされる。
所謂お姫様抱っこ。


「ちょ、待ってライが汚れる」
「構わない」
「せっかくかっこいいのに…!」
「ベルモットに新しいのを買ってもらおう」
「…じゃあもう少しお行儀良くしないとね」
「…」


無愛想なライはベルモットとは決して仲良くはなかったはずだが。でも今日の衣装はすべて彼女が見繕ってくれたものだ。

むすっとした顔で煙草を吐き捨てて、ぎゅ、と腕に力を込められた。


「さあダーリン、帰ろう」
「う、うん」


至近距離のグリーン。柔らかく細まる鋭い目。
それが一瞬閉じて、温かい唇がほんの一瞬、わたしのおでこに触れて離れていった。


「ちょ、ライ、?」
「ん?静かにしてろ」
「い、今、」
「綺麗な奥さんを知らない男に監禁されて、旦那様の怒りは当然だろう」
「…ばかじゃないの」
「ふ、帰るぞ名前」


やっぱり今日のライは機嫌が良い。
きっと目当ての情報は得られたんだろう。
もう必要ないはずの夫婦ごっこに、妙に胸が疼いて堪らなかった。







(癖になりそう、)




「お、お帰り名前ーライー」
「スコッチぃー!!」
「あ?どうしたどうした、って血じゃんそれ」
「ライが、ライが!」
「え?何したのライ」
「ずっと私を奥さん扱いする…」
「ぶはっ、なんだそれ」
「何なのもう無理ほんとどうにかしてあの男」
「…ライはとっても楽しそうだけど」
「心臓が持たないー!!」
「はいはい、シャワー浴びてきな、名前」
「ううう…行ってきます…」
「−−−−で?ライくんはどういうつもりかな?」
「ん?面白いなと思って」
「まーたそんなからかって」
「いや?俺は本気だけど」
「……え?」
「ん?」
「本気って、」
「あいつの夫になるのも悪くない」
「えええええ」





20190706









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