燐と雪男を迎えに行く途中、目の端に鮮やかな黄色が映って足を止めた。ビルの日陰で一生懸命空に向かって花弁を広げるその姿が、健気で意地らしくて、なんだかあいつを思い出した。

あいつらが産まれる5年ほど前。
上二級祓魔師の部下がいた。騎士、竜騎士、詠唱騎士の称号を持つ、俺よりいくつか若い女祓魔師。変な女で、いつでも笑顔なくせして時々ふと泣き出しそうな淋しい顔をする奴だった。




「初めまして。★です」
「ああ…藤本、獅郎だ」

思えば初対面のときからにこにこにこにこしやがって、なんつうか、お気楽な女だなと思ったが、まあ悪い気はしなかった。



「くそ、中級でも集ると厄介だな…★、そっち大丈夫か!」
「…っ、はいっ、藤本さん、援護します!」
「よし、一気に行くぞ!」
「はい!」

祓魔となると、さすが若くして上二級と言うべきか、とにかく頼もしかった。実力でいうなら上一級の奴らと大差ない。先を読む力や、チームの状況を瞬時に理解して的確な行動を取れるリーダーシップ、剣の腕も思わず見とれる何かがあった。



「やっぱりお前とはやり易い。ありがとな」
「いえ、こちらこそ藤本さんと任務に当たれるなんて、それだけで光栄ですから」
「光栄ィ?俺はそんな立派なモンじゃねェよ」
「そんなことないです!毎回すごく勉強になりますし!」
「ククク、んなむきになるなよ」
「あ、今こども扱いしましたね?!」
「んなこたねェよ、★チャン?」
「もう、藤本さん!」


いつも前向きで、くるくる変わる表情に引き寄せられていくのが分かった。俺だってもう十代のガキじゃねェんだし、この気持ちが何かを理解するのは難くない。


「藤本さんて、ヘビースモーカーですよね…」
「あ?なんだよ悪ィか?」
「いえ、別に?肺が真っ黒そうだなあって」
「いいじゃねェか、俺の勝手だろう」
「あ、ちょっと煙たいじゃないですか!やめてくださいっ」
「うるせ、バーカ」
「ええ、こどもですか?ちょ、やめてくださいって」
「ふはははは地の果てまで追いかけて副流煙ふっかけてやる!」
「いやー!」


柔らかくなびくその髪や、白い頬に触れたくなった。その笑顔を俺だけのモンにしてしまいたくなった。彼女が俺を好きになればいいと思った。

でも、惚れたのなんだのってのはこの仕事には足枷だ。



「チッ、しぶとい奴め…!」
「っきゃあっ!」
「!?、おい★、大丈夫か!」
「はい、私は、って藤本さん!うしろ!!」
「え、」


その悲鳴が★のものでなければ、後方確認も忘れて飛び出したりしなかった。俺は情けないことに、全治3週間の深手を負った。
1週間は入院になり、メフィストに「まさかあなたが人に恋をするとは」と散々笑われた。


「ふ、藤本さん…?」
「あ?なんだ★か、入れよ」


眉を八の字に下げて、今にも泣きそうな顔で見舞いに来た彼女をやっぱり好きだと思った。笑顔ばかりの★の顔を泣きそうに歪めているのが俺だと思うと、何故か嬉しさすら覚えた。


「すいませんでした!私が、あのとき…」
「馬鹿だなお前は」
「はい…」
「俺が勝手に余所見したんだ。お前が謝ることじゃねェだろ」
「でも、私が悲鳴をあげたりしなければ…!」
「いいんだって。あー、でも、そうだな、」
「?」
「名前で呼んでくれ。そしたらチャラにしてやるよ」
「は、はい…?」
「名前だよ。フジモトサンなんてあれだろあれ、ほら、長ェだろ」
「でも、」
「あ?なんだお前俺の名前忘れたのかよ?」
「そんなことないです!」


「………し、獅郎、さん」
「…やりゃあ出来んじゃねェか」



ああ、この歳になって名前ひとつでこんなに舞い上がって、ほんと馬鹿みてェだなと自らを嘲った。
★はそれから毎日見舞いに来て、退院してからは毎日とはいかなくても修道院にも見舞いに来るようになった。それが罪悪感からだけではないことに、俺も気付くようになった。

化粧が変わったり、まるで初恋の少女よろしく恥じらうような表情を見せたりするようになったからだ。



「獅郎さん、明日から任務復帰ですね」
「おう、また頼むぜ、★」
「はい、獅郎さん」
「…なあ、★」
「はい?」
「俺の勘違いだったら悪いんだが、」
「…」
「お前、なんか最近変わったよな?」

何かあったのかよ?
★はすこし驚いた顔をして、それからうつ向いて、そして俺を真っ直ぐ見た。ああ、この今は、その丸い瞳に俺しか映ってないんだなと思うと苦しいくらい胸が高鳴った。ガキか全く。



「あの、好きなひとが、出来て」


どくん、と心臓が波打った。


「ほォ…ま、お前も一端の女だったっつーことか?」
「……あの」


冗談めかしてにやりと笑った俺を、★は涙を貯めた目で真っ直ぐ見ていた。
ほんと真っ直ぐな奴。何かが変わってしまうことを意識の彼方で恐れてはぐらかそうとした俺とは違う、決意の表情。


「こんなこと言っては、獅郎さんを困らせるかも、しれないんですが、」
「…」
「好きです。わたし、獅郎さんが好きです」
「★…」

くわえた煙草の灰がほろりと落ちたことにも気付かなかった。ただ衝動的とも言える激情に身を任せて、俺は★を抱き締めていた。


「し、獅郎さ、」
「……とりあえずさん付けはやめてもらわなきゃな」
「え、」
「恋人にさん付けは無ェだろ?」
「こ、こい、」
「俺もお前が好きだ、★」


初めて見た好きな女の涙が自分のための嬉し涙だなんて、男としては光栄だよな?
俺の恋はこうして実を結んで、年下の恋人が出来たわけだ。

それからは、ただ楽しかった。恋人になった★は、今まで以上に色々な表情で俺を魅了して、俺はただ彼女に溺れていった。
正十字騎士團の中でも俺たちの交際はすぐ周知の事実となって、メフィストのあのアホ面は今でも笑える。
恋人になったからといって、仕事に手を抜く事は出来ない。★と俺は良いチームだったし、★は医工騎士の称号も取得して、ますます頼もしくなった。


「獅郎!こっちは私がやっとくから、獅郎はそっちお願い!」
「ああ、大丈夫か?!」
「うん、任せて!」
「…ったくだんだんお転婆になりやがるなァ」
「何か言った?!」
「なんでもねェよ!」

重く響く銃火器の衝撃と音に、煙る視界。その中でも彼女と俺だけは、いつも互いの場所が分かっていた。


「なあ、★」
「はい?」

仕事以外で彼女と会うのは、大抵彼女が暮らすアパートだった。こぢんまりしたソファで彼女を抱き締めて、慣れない愛を囁く代わりに抱き締めて、キスをして、かき抱いて、★に溺れる時間が癒しだった。

「お前っていつも笑ってるよなァ」
「そう、かな」
「ああ、いつも笑ってる」
「……あのね?わたし、親に捨てられたの」
「…そうだったのか」
「さすが神父さん。驚かないんだ」
「いや、これでも驚いてる」
「ふふ、そう」


彼女が親を失ったのは、かわいそうなことに物心つき始めた頃だった。経済的な理由、ということになってはいたが、両親の不仲、しかも仮面夫婦で互いに外に相手がいて、一人娘の★が邪魔だったことを彼女は知っていた。
自分のせいではないと言い聞かせながらも、泣き虫な自分が悪いと彼女は心のなかで自分を責め続けた。

それが★の笑顔の理由なんだと、俺はその時初めて知った。そしてそれと同時に、俺は決してこいつを離すまいとも思った。

いつも笑ってるのに、時々ふと泣き出しそうな顔をする愛しいひとを。



「獅郎、好きだよ」
「…なんだよ、いきなり」
「言える時に言わないと、後で後悔したくないじゃない」
「いつだって言えるさ。離してやるつもりは無ェからな」
「ふふ、そうだね」
「あ、なんか今ちょっとバカにしたろ?」
「してない、嬉しかっただけ」
「いや、なんかちょっとバカにした!」
「バカになんてしてないよ?ちょっと可愛いなあとは思ったけど」
「可愛ィ?お前俺がいくつだと思ってたんだ」
「そんなの関係ありませーん」
「あ、ほらバカにした!」
「きゃ、ちょっとやめてよ、」
「いーや年上をバカにするワルイ子にはおしおきだ」
「やだ、あはは、くすぐったい!」
「逃がすか!」


彼女の細い腹を抱き締めて、小さな耳を食んで、柔らかな髪をすいて。あたたかな唇に口付けて。

なかなか合わない休みの日は、二人で出掛けたりもした。買い物に付き合ったし、映画も見た。途中で悪魔を祓うこともあったが、俺たちはただ普通の恋人同士としてすごくうまくいっていた。

でも、ハッピーエンドってやつは俺にはやっぱり似合わないらしい。



「それじゃあ、行ってきます」
「ああ、頑張って来いよ」


その日は別々の任務だった。
本部で彼女と別れた。

夕方俺の任務が終わって本部に戻ると、やけにバタバタ騒がしい。



「あ、藤本さん!大変です、★さんが…っ」

俺に気付いたこいつは、たしか医工騎士専門の祓魔師。そいつが顔面蒼白で紡いだ言葉に、俺はくわえた煙草を吸うことも忘れていた。






★の任務は、中級悪魔を祓うことだった。チームは★を筆頭に5名。十分な装備で、そんなに危険度の高いものではなかった。
そして中級悪魔が祓われた、次の瞬間、報告には無かった上級悪魔が二種現れたという。結界を張る前に、全員魔障を受けた。援軍を呼んだが到着前に運悪く子供が入り込み、★が庇った。


「外傷は少なく、打撲や軽い裂傷のみだそうです。ですが魔障がひどく、神経にも作用したようで、現在は意識がありません。どうやら二種の障気が体内でなんらかの反応を起こしているようで、医工騎士にも明確な治療方法がわからないのです…」



頭ん中が真っ白になるっていうのは、こういうことを言うのか。



「今、あいつはどこにいる?」
「フェレス卿が付き添って、たった今病院へ搬送されました…」



ぎり、とフィルターを噛み潰しても、浮かぶのは彼女の笑顔だけだった。





「ーーーこれ以上は、彼女の生命力に賭けるしかありません」
「★に会わせてくれ。あいつは家族がいねェんだ」
「今は面会遮絶です」
「うるせェ、どこにいるんだ!」

一目見たら帰るという約束のもと本当にちらりとだけ見た彼女は、まるでただ本当に眠っているだけに見えた。




そして1週間経ち、彼女は普通病棟へ移された。
いつか俺が入院した病棟に。

毎日、時間が許す限り通い詰めた。花を飾り、水を替え、髪を撫で、頬に口付け、時折名前を呼んだ。
そんな日々が2ヶ月続いた。


「あ、藤本さん、こんにちは」
「ああ、どうも」
「今日もお花、綺麗ですね」
「ええ」

すっかり顔見知りになっちまった病棟のナースに挨拶を返して、小さな個室に入る。


「★、来たぞ」

花を彼女の足許に置いて、額から頭を撫でた。その時。


「……ん、」
「!!、★?!」
「……は、い」
「聞こえてるのか?おい、★!」

長いまつげがふるふると揺れて、2ヶ月ぶりに彼女の瞳をみることになった。


「………わたし、なんで、」
「魔障を受けてずっと眠ってたんだ、大丈夫か?」
「ま、しょう、?」
「……あ?」

彼女の異変に気が付く。


「★…お前、」
「あの…あなたは?」
「!」

彼女の瞳は俺を映して、ただ戸惑っていた。


言葉をなくした俺を退けるように、点滴を替えに来たナースが★に気付き医師を呼んだ。
簡単な診察と問診を受けて、そして俺は医師の言葉に愕然とする。



「どうやら、一部記憶を無くしているようです。しかも、おそらく祓魔師になってからの記憶を」



珍しくひどく複雑な顔をしたメフィストが、俺と一緒に話を聞いていた。後でわかったのは、正確には失われたのは祓魔師になってからの記憶ではなく、祓魔塾に入るところからの記憶だった。

つまり彼女は、祓魔に関する記憶が全くなくなっていた。



「★…?」
「あ、さっきの…あの、すいません、わたしちょっと色々忘れているみたいだって、先生が…」
「ああ、いいんだ」
「すいません、お名前、聞いてもいいですか?」


医師が噛み砕いて説明したのだろう、彼女は動転するでもなく、困ったようにただ笑っていた。
よそよそしい物言いに、立ちはだかる壁を見た気がした。



「藤本、獅郎だ」
「藤本さんですね」



それが、俺たちの終わりだった。


退院した彼女は自宅に戻った。祓魔師であることは伝えはしたが、やはり記憶は戻らなかった。いずれ戻るだろうと思っていたが、1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月…記憶の戻る気配は無かった。

メフィストの計らいで彼女は正十字学園の学食で働き始めた。



「よう、★」
「あ、藤本さん」

俺が恋人だったことは、伝えなかった。
その時、サタンの落胤を極秘裏に育てる計画が持ち上がっていたからだ。彼女が祓魔師のままだったら、巻き込まざるを得なかっただろう。こんな危険な賭けに彼女を巻き込むわけにはいかない。

こうなった以上、恋人なんて俺には必要ない。




そして燐と雪男が産まれ、俺は彼女の元へ行くことを辞めた。メフィストは時々会うらしいが、俺は聞かないことにしている。



「獅郎!」


ときどき、彼女の笑顔が頭を過ることがある。なりふり構わず抱き締めて、離すものかと閉じ込めてしまえたらと思う。
彼女の幸せのためだなんて、俺に言う資格はないだろう。俺はアイツらを育てながら、彼女も守る自信がなかったにすぎない。

だけど、そうだな。

いつ死んでも可笑しくない仕事をしてる俺には、到底叶わない願いだとは思うが。死ぬ前には、あいつの笑顔が見てェなあ、なんて。思う俺は、やっぱり甘いよなァ。




「とうさーん!」
「おう、燐、雪男。イイコだったか?」
「これ、やるよ!」
「絵?……黄色い、オバケか?」
「違うよとうさん、兄さんはたんぽぽかいたんだよ」
「タンポポ?……なるほど、上手いじゃねェか」
「だろー?!」



ダンデライオンによろしく
(願わくは今日も彼女が笑っていますように)



thx: クロエ
20120612










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