「邪魔すんで」
「はいはーい」
今日は珍しくいつもより仕事も楽な方で、残業もなかった。だから恋人の★とラーメン食べて、彼女のアパートに寄った時間もまだ早くて、久しぶりにふたりでゆっくり過ごせそうな夜に期待と下心で胸を膨らませていたわけで。
「ビールもらうで」
「うん、勝手に探しといて〜」
小ぢんまりしているが整頓されていて、随所に可愛らしい小物が置かれている★の部屋の小さな冷蔵庫を開けて、缶ビールを二本取り出す。
「飲むやろ?」
「んーまだいいや」
「え、」
てっきり一緒に飲むもんだと思っていた俺は動きを止めて★を見遣る。
でも彼女はこっちを見ることもなくテレビの前のローテーブルにノートパソコンを広げていた。
「何しとん」
「うん?ちょっと宿題?」
「宿題ィ?」
先飲むで、と彼女の後ろのソファーに腰かけて缶を開ける。ぷしゅ、と良い音がして喉が鳴った。
ラグを敷いた床に座った★が見つめる画面を横目で見ながら、アルコールを胃に流し込む。うん、旨い。やっぱこれや。
「…報告書やないか」
「うん、まあね」
★の真後ろにいる俺にはその表情は見てとれないが、ちょっと困ったように笑う彼女の顔が容易に目に浮かぶ。
「なんでお前がそんなん持ち帰っとるんや」
「先月入った新人の子がね、書類作るのどうしても駄目みたいで」
「そんなん新人やねんから当たり前やんか」
「うん、だからいつもはこんな手伝ったりしないよ?でも今日は所長に叱られたみたいでへこんじゃっててさ」
「それでもなあ…」
「すぐ終わるから、ちょっと待ってて〜」
ほんま甘いで★は…なんて小言を言おうとしてたのが分かったのか、★は話を終わらせるようにテーブルの隅に乗っていたふわふわした髪留め(確かシュシュとかなんとか言っていた)で手際よく髪をひとつに纏めた。
「…」
かたかた、キーを打つ軽い音を聞きながら、缶の中身を飲み込んでいく。
ふと、その真っ白いうなじに一筋の後れ毛が目についた。
「……」
ごくり。喉を鳴らしたのはビールじゃなくて生唾で。細くて白いそのうなじと、後れ毛。それだけなのにひどく艶やかに俺を誘っている様に見えた。なんや、めちゃくちゃ甘そうや。
「あかん、」
「うん?」
「噛みついてもええ?」
「え?」
聞き間違えたと思ったのか、ふりかえった大きな瞳がくるりと俺を捉える。
俺はソファーで彼女は床に座ってるから当たり前だが、その高低差で必然的になる上目遣いにどくん、と年甲斐もなく心臓を掴まれる。
「柔造、酔ってる…?」
「んな訳あるか」
俺の熱っぽい視線を感じ取った★がすこし眉を下げる。
「ちょ、待ってもうすぐ終わる、」
「おん、無理」
「わ、ちょっ、」
「誘ったんはそっちや」
華奢な身体の腋に手を入れて、こどもにするようにソファーに引き上げる。抵抗するのは口だけなところを見ると、満更でもないのかと口角が緩む。
「誘ったつもりはないんだけど」
「いーや、誘っとった」
抱き締めたついでにうなじに噛みついたら、やっぱりひどく甘くて、俺も★もあっという間に互いの熱に溺れることになった。
後れ毛
(その一筋まで俺のもん)
20120529