夢ならばどれほど良かったでしょう
「さよなら」
「…おん」
君が、俺の元を去ったあの日から、俺の時間は止まったまま。
最初は本当は、そこまで大好きでどうしても彼女といたいなんておもっていなかった。
あの頃の俺は言い寄ってくれる女の子がそれなりに居たし、つまりは選べる立場で。
だから彼女に告白された時オーケーしたのも、ここ最近告白して来てくれた女の子らの中で一番好みのタイプだったから、に過ぎなかったんだ。
「柔造くん!」
「おー、どした★」
「一緒に帰ろ」
「おん」
にこにこ笑うちっこい彼女は、それでもある時とても大人びて見え、ある時とても色っぽく見えた。
「日曜どこ行く?」
「んー、そやなあ」
「映画みたいねぇ」
「★が観たいのあるんやったら、そうしよ」
いつも明るくて、よく笑う女だった。
最初こそ、弟たちに対するものに近い愛情みたいなものを抱いていたのに。
「★、」
「柔造、く、」
「ええから、目つむって、任しとき」
「う、…ん」
初めてキスした時に見せた戸惑いと劣情がないまぜになったあの表情に、俺の中で何かが決壊した。
「柔造くん…」
「いつまでも直らんなあ、名前」
「……柔造」
「そう、ええ子や」
「じゅ、ぞ、待って…っ」
「★…かわええ…」
何度も唇を重ねた。
長い付き合いの中で、身体も重ねた。
なめらかな肌と嗅いだことのない甘い彼女の香りに、俺はどんどん夢中になって。
気付けば3年経った。
高等部を卒業し、俺は京都へ帰り、彼女は正十字へ残る。
離れても変わらないと思っていた。
お互いを想う気持ちに変わりはなかったし、会える頻度がぐっと減ってしまっても連絡はこまめにとっていた。
彼女は祓魔師としてめきめき成長し、俺は俺で日に日に忙しさを増して行く。
仕事の合間を縫って会えた日は、会えなかった時間を埋めるように彼女を離しはしなかった。
俺にとってこれ以上の人はいないし、彼女にとっての俺もそうだと思って疑わなかった。
なのに。
ほんとうは。
「柔造、あたしね…」
「うん?」
「実家、帰ることになってね…」
「…ん?」
「あたし、ずっと黙ってたんだけど、」
「…」
「婚約、してる人が、いて」
「………え?」
彼女が旧家の生まれで、一人娘なのは知っていた。
大きな家の名と血を継ぐために、彼女は婿を取らねばならないことも聞いていた。
でも俺は若くて、どうにかなる、どうにかしたる、って思っていて。
「婚約、て」
「結婚しなきゃ、いけないの、あたし、」
「相手は」
「まだよく知らない。親が、決めたから…」
「…んなアホな」
「ほんと、アホらし、よね」
涙が彼女の語尾を震わせる。
どうにかなる?
どうにかしたる?
真っ白になった頭の中で、ほんのわずか妙に醒めたところがあって、その頭は明陀や弟たち家族、俺の捨てられない今を考えていて。
「…つまり、俺と別れる、いうことやな」
「……ごめんなさい」
「…おん」
「…っ」
溢れる涙と嗚咽を堪える彼女の肩はずっと震えていて、でも俺はその肩を抱くことができなかった。
彼女は結婚する。
俺のもんではなくなる。
急に、触れてはならないものに思えてしまった。
触れたら戻れん。触れたら俺は、こいつを手放してやれない。
「★」
「…っ、は、い」
「ありがとう、な、今まで…」
「……ごめん、なさい」
なあ。
そのちっこい体で、今までどれほど思い悩んで抱えてきたんやろ。
俺のこと、家のこと、天秤にかけるのは、どれほど苦しかったんやろう。
俺に伝えるのは、どれほど辛かったんやろ。
「★」
「…」
「ありがとな、今まで」
「…こちら、こそ」
家を選んだ彼女を責めることはできない。
俺だって今、彼女と京都を天秤にかけて京都を取ったのだ。
彼女の手を掴んで逃げ出して、どこかへ駆け落ちでもしてしまえばいいはずなのに。
悪い夢でも見たみたいに、嫌な汗が背を伝う。
それなのにやけに寒くて、頭の奥で耳鳴りがする。
息が苦しくて、窒息しそうだ。
彼女を失う、なんて。
思ってみたこともなかった。
「ありがとう、柔造」
「おん…★」
「ん、」
「愛して、た」
「……あたしだって」
「……っ」
無理やり笑ったそんな笑顔すら、愛おしくてたまらないのに。
まるで嘘みたい
(あんなに側にいたのに、彼女は、)
20180617