*刑事パロ











「なあ」
「うん?」
「結婚しようぜ」
「…うん?」
「今度の事件、片付いたら」
「…」
「今度こそお前を拐ってやる」
「……前科者は嫌よ」



まるで昨日のことのように。
あの日ベッドの中で、寝入る前に零れた短い会話を思い出す。強い雨が窓を叩く音が絶えず続いていて、でもそのベッドの中はローの匂いと体温が私のと混じった、世界一幸せな場所だった。


彼は刑事で、あの時大きな組織を追っていた。

詳しいことはおろか、大きな組織ってのが何なのか、どんな事をしたのかすら知らされなかったけれど、それが大変な事件な事は、濃くなっていくローの隈でなんとなく分かっていた。



「ロー」
「ん」
「きっと、拐いに来てね」
「…任せとけ」


どこに居ても、必ず。

それは半分夢心地で聞いた、彼の最後の台詞。



あれから、もう3年が経った。





「★!」
「ペンギン!久しぶり!」
「髪伸びたな」
「ペンギンは変わらない」
「そうか?大人の男の色気が出ただろう」
「ああ、そう言われてみれば?」

ペンギンと会うのは1年ぶりだ。
彼もまた刑事で、ローの部下だった。
昔はよく、シャチ達と大勢で飲んだり釣りしたりキャンプしたりしたっけ。

久しぶりに待ち合わせたホテルのロビーに現れたペンギンは、今日も変わらず優しそうで、ちょっとひねくれた笑顔だった。




「元気そうだな」
「うん、元気だけが取り柄だもん」
「謙遜するなよ。仕事すげぇらしいな」
「すごくないよ、たまたま」

ホテルの上階にあるレストラン。
シャンパンに夜景がぼやけて、どこもかしこもキラキラして見える。


「こないだテレビに出てるの見たぞ」
「えーあんな数秒のよく見つけたね」
「数秒かあ?どこの美人社長かと思ったら、まさかの★で驚いたよ」
「ふふふ、ありがとう」


この3年、私は仕事に生きた。
もともとずっとフリーランスの翻訳家だったのだが、小さな事務所を構えて何人か社員を雇って。
数ヶ月前に翻訳出版した本がヒットして、先日ニュースで紹介されたのだ。



「上手くいってんだな、仕事」
「そうね。一発屋にならないよう堅実にやらないと」
「なんか、安心したよ」
「え?」
「最初は、余計な事を考えないように仕事に打ち込む、って感じだったからさ」
「あー、まあ、ね」



ペンギンのいう最初、は、わたしが仕事に生き始めた最初。きっかけは、ローが消えたこと。

最後の夜が明けて目を覚ました時にはもうローは居なくて、でも忙しい彼にはよくあることで、深く考えはしなかった。

3日経って、1週間経って、1か月経って。
仕事が大詰めなのかと、掃除のために向かったローのマンションは引き払われていて、勿論合鍵も合わなくなっていた。

ペンギンとも連絡がつかず、やむをえず彼の職場である警察署へ問い合わせると、トラファルガーは退職しましたの一点張り。


そしてそれから、3年経ったのだ。



半年ほどしてようやく連絡が取れたペンギンと会う頃には、涙は枯れて5キロほど痩せていた。
ローは死んだの、と聞いた時、枯れたはずだった涙がこみ上げた。

死んでなんかいない。
ただ、危険なのと少し怪我をしたので国外に身を隠している。

ペンギンが教えてくれたのはたったそれだけ。
でも、ローが生きていると分かって結局大粒の涙が零れた。
生きているなら、きっと、今回の件が片付いたその時に、拐いに来てくれる。

それだけを支えに仕事に打ち込んだ。休みらしい休みは一度も取らずに。




「……わたしもニュース、見たの」
「おう、さすが勘が鋭い」
「麻薬組織、一斉摘発されたって」
「ああ、だいぶ時間が掛かったよ」
「やっぱり、その事件だったのね」
「…トップごとごっそり掃除するためには、時間が必要だったんだ」
「ヤクザと、上海だかのマフィアも絡んでたって」
「ああ」
「ローが怪我した、ってのは」
「まあ、色々あってな。身元が割れると面倒な状況だったから、安全な場所に身を隠したんだ。」
「そう….」



面倒な状況、とペンギンは言ったけど。
危険な状況、だったのだとわかる。
ローは自身の命のため、そして最も近くにいた私の命を守るため、雲隠れしたのだと。




「怪我はもう、大丈夫なのかな」
「ああ。元々後遺症になるようなもんじゃなかったしな」
「そう。元気なのね」
「ああ、元気だな」
「…帰ってこないつもりかな」
「いや…それは無いさ」
「事件、終わったのに」
「あの人のことだ、タイミングでも伺ってんだろう」
「ペンギンは」
「うん」
「ローと会ってるのね」
「あ、まあ、いや、……ああ」
「いいよ、どうせ私には何も言うなとか言われてるんでしょ」
「……さすがよく分かる」



眉を下げて困ったように笑うペンギン。
ローを敬愛していて、ローの右腕だった人。
いや、きっと今も右腕なんだろう。

警察の威信を賭けた稀代の一斉摘発が大々的に報じられて早1か月。
ワイドショーは一日中その逮捕劇と悪行の数々でもちきりだったのに、それも今ではすっかり終わった話。1か月もすれば当然だ。
現場がどうか知らないけれど、とりあえずこの事件は片付いたのでは、と思っていた。
片付いたなら、きっと、と。

待っていたはずの連絡はなく、かわりにあったのがペンギンからの夕食の誘いだった。
もしかして、ローが、と思ったけど。

あの人はそんな、思った通りに動く人じゃないんだった。
グラスに半端に残ったシャンパンが行き場のない焦燥感と重なって、ちょっと自棄になって一気に飲み干した。






「あー、ごめん、ペンギン」
「いいから、ほら、ちゃんと前見とけ」


久々に緊張しながらほんの少しドレスアップして、ちょっとだけ期待を裏切られたような気分でバーに流れてジンを呷ったせいなのか。

いつになくアルコールが回って、まだ日付も変わらないうちから千鳥足。
タクシーを降りてふらついた身体をペンギンがつっかい棒になるようにして支えてくれた。


「鍵あるか?ていうかお前引っ越した?」
「あはは、そうそう最近ね。一発当てて踏ん切りついたの」
「引っ越しちまったら分からねぇんじゃ、」
「だーいじょうぶ!どこに居ても必ず、って」
「…そうだな」
「ん、あった、鍵」
「おう、開ける」
「ありがと」



暗い玄関。ペンギンは部屋の中まで入ったりしない。
わたしを上がり框にそっと座らせて、鍵は靴棚の上のトレーへ。座ったままヒールを脱ごうとするわたしの頭にぽん、と手のひらを乗せた。

「大丈夫か、★」
「うん。ありがとうね、ペンギン」
「いや、久しぶりに会えてよかった」
「こちらこそ」


優しいペンギンの笑顔は、苦しくなるくらい甘えたくなる。
でもだからこそ、ペンギンは私を必要以上に甘やかしたりしない。玄関まで送っても、部屋には決して入らないみたいに。

カチャン、
ドアが閉まる。
感応式のライトが灯る。



よっこらしょ、と立ち上がって、短い廊下のライトを灯して、その奥のリビングダイニングのドアを開ける。

刹那。


「………え」


廊下からの灯りを受けて、ぼんやりシルエットだけを形づくるリビング。
電気のスイッチに伸びた手は、そのままの状態で止まった。

ぼんやりしたソファのシルエットに、男の人にしては小さな頭と、大きな肩の人が座っていたから。
ドアに背を向けたソファからは、どこかで嗅いだ懐かしい香りがする。


「………遅ェ」



振り向いた影は、多量に摂取したジンが視界に溢れてぼやけて見えた。







The contract past
(約束は、必ず)







「ペンギンお前、あの日送り狼ヤろうとしてただろ」
「してませんし、何でよりによってあの日帰って来たんですか」
「…勘だな。お前が良からぬことを企んでる様な気がしただけだ」
「良からぬことじゃないですけど。帰って来なかったら俺がとは思ってましたけど」
「それが良からぬことだっつってんだろ」
「3年、長かったですよ」
「…ああ」
「俺が何度、拐ってやろうかと思いました」
「…」
「だから次は、ないです」
「てめえ黙って聞いてりゃ、」
「あ、ほら新郎さん、お呼びですよ」





20190602









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