「別れよ、わたし達」
ピシッと音がして時が止まった。
犯人はこの船の紅一点。★の一声だ。
決して大声でなく、普段通りの音量と声色で、彼女の向かいに座るキャプテンに向かって発した言葉。
「……朝から何の話をしてる」
「だから、別れよ。私、ローの恋人辞める」
滅多に朝の食堂に顔を見せないキャプテンが珍しく居るのは、たったさっき帰ってきたからだ。
2週間滞在した島からの出航の朝、島で英気を養って活気に満ちた食堂の一角で、彼らの周りだけ空気が濁る。
朝からコレじゃあ、しばらく荒れそうだ。
俺は周りに聞こえない程度に溜め息を落として、隣で朝食をかき込んでいたシャチを横目で見やる。
「ぺ、ペンギン、あれ…どしたんだよ」
「……さあ」
青ざめたシャチが小声で問いかけて来るが、俺にだってさっぱりだ。
「辞めるってのはあれか」
「…」
「俺を捨てるって?」
「…なにその言い方。捨てるとか捨てないとかじゃなくて。恋人辞めるって言ってんの」
「……意味がわからねェ」
全クルーが揃っていた食堂の喧騒が、今や水を打ったように静かだ。
シャチはもはや遠慮なく凝視している。
「私、ローの慰み者じゃないの」
「…当たり前だ」
「今朝まで何処にいたの?」
「……」
「可愛い子と歩いてたね」
「娼婦だろ」
「今まで娼婦を買っても一緒に歩いたりはしなかった」
「…」
「あの子を船に乗せたらいいわ」
「…あ?」
「私はここで降りるから」
淡々と話す彼女は目を赤くするでもなく、語尾を震わすわけでもなく。
片やキャプテンは、寝不足らしい双眼を遠慮なく歪めて★を睨め付けていて。
まあもちろん、彼女は怯むわけがないのだけれど。
「……くだらねェ」
「そうね」
コーヒーを飲んでいた彼女愛用のマグを、コトンと置く。ほんの少し、指先が震えた気がした。
「お世話になりました、キャプテン」
かたん、軽く椅子を鳴らして、立ち上がった★。その目がちらと食堂を巡って、俺と合う。少し眉を下げて、その目は伏せられる。
そのまま背を向けて、食堂を出て行く。
ハァ、我らがキャプテンはどうするのだろう。
このままでは、意地っ張りな彼女は本当に船を降りてしまうだろう。
★とキャプテンの喧嘩は正直なところ日常茶飯事だ。俺はもちろん、クルーの全員が慣れている。だけどこんな風に彼女が取り乱しもせず船を降りると宣言することなどなかった。
だからこそ俺たちは喧嘩ひとつでこんなに水を打ったように神経を尖らせたりしなかったのに。
そっとキャプテンを見遣る。と、予想に反して泣きそうな顔をしている、ように見えた。
「な、なあ、ペンギン…」
「……ああ」
助けろとばかりにシャチが小声で俺を見る。
俺が仲裁に入るとキャプテンが不機嫌なのは分かっちゃいるが、このままでは本当に彼女が船を降りてしまいそうなのもまた確かだからだろう。
正直面倒だ。でも、
かたん、と出来るだけ音を立てないように俺も席を立つ。
石のようなキャプテンは後にして、まずは★を宥めねば、と思ったからだ。
食堂の出入口のドアノブに手を掛ける。
「行くな」
射抜くような鋭いキャプテンの声が飛ぶ。
ドアノブに手を掛けたまま立ち止まる。
「……あのままじゃ本当に飛び出しちまいますよ」
「分かってる」
「まずは落ち着かせます」
「行くなと言ってる」
背中に刺さるキャプテンの声。
「…俺が行く」
ガタン、とうるさい椅子の音。
どうやらさすがのキャプテンも、これはマズイと危機感を持ったらしい。
俺はようやくドアノブから手を離した。
問題児たちの朝
(手のかかる、愛すべき彼ら)
20180717