愛とか情とか、この歳までピンと来ないまま生きてきて、きっとこれからもピンと来ないまま生きていくんだろう。
与えられる愛は気まぐれに受け取ったけど、与える方法なんてものは知らなかったし、知る必要も感じなかった。

医者の仕事は嫌いではない。施すことに対価を貰うからだと思う。
無償で施すこともなくはなかったが、それは愛とか情とか言うより気まぐれでしかなかった。


抜けるように青い空をちらと見ながら、そんな取り留めのないことを考えながらドアに手をかけた。




「…ロー」
「おう」
「黙って入って来ないでって」
「ああ」
「びっくりするじゃない」
「そんなタマかよ」
「全く…」


彼女の家は小さくて古い。
前庭を臨む一際大きな窓のそばにある白木の大きなロッキングチェアにいつも座って、本を読んでいる。

そして俺はいつも、インターホンもノックもなくその玄関を開ける。入ってすぐ右は元は客間だったはずだが、陽当たりの良いその部屋は今彼女の生活のほぼ全てだ。


「具合はどうだ」
「んー…そうね、新鮮な血液が飲みたいわ」
「…今日は吸血鬼か」
「ふふ」
「顔色はいいな」
「若くて新鮮なご馳走が来たからね」
「血圧測るぞ」
「はあい」


チェアの上で膝を立てて座る彼女。
細い手首を持ち上げ脈を取る。
膝の上には分厚いハードカバーの本。今日は洋書らしく、古びた頁の上にはびっしりとアルファベットが並んでいる。

膝に載せたまま栞を挟んで閉じるその指が細くて折れそうだ、と思った。



「ねえロー」
「ん」
「眠れるお薬ちょうだい」
「…眠れないのか」
「うん、すこし」
「…わかった」


彼女の病に、治療法はない。
あるのは、苦しみを遠ざけ穏やかに終われるよう手助けするための処置だけだ。

彼女が病に倒れてどのくらいになっただろう。
入院を拒んで亡き祖母が遺した小さな家に住み着いて、俺は週に2、3度ここへ通う。
彼女の身体は静かに、しかし確かに弱っている。



「食欲は?」
「ない」
「そのようだな」
「んー」


極端に体力が落ちた彼女に、日に2回弁当業者から弁当が届けられる。
その食事量は俺に都度報告される。最近は半分も食べていない。
彼女が好きだというから、朝食用にパンやスープも届けさせているがこれもあまり減らないまま家に残っている。
すこしずつ、確実に、彼女の身体は弱り続ける。



それらをゴミ袋に突っ込みながら、薬缶を火にかけた。湯が沸いたら、ゆっくり丁寧にコーヒーを淹れる。


「★」
「…いい匂い」
「血より美味いだろ」
「ふふふ」

栄養がないのが痛いが、俺の淹れたコーヒーはこいつの好物だ。時間をかけてゆっくりと、必ず最後まで飲む。
俺は彼女のチェアのすぐそばに引き寄せた小さな椅子に陣取って、それに付き合ってゆっくりと同じコーヒーを飲む。



「…ねえロー」
「ん、」
「私あとどのくらい?」
「…何が」
「しぬまで」
「…さあな」
「なにそれ?」
「無理矢理退院した時点でお前の余命は1年だった。それからもう2年だ」
「そう、もうそんなに経つの」
「正直に言って、どうしてこんなに保ってるのか俺にもわからない」


本当のことだった。
彼女の身体は弱っているし、病魔は確実に彼女の命を蝕んでいる。
俺が足繁く通って投薬したり様子を見てはいるが、苦しみや痛みを誤魔化しているに過ぎず、つまりなんのブレーキにもならないのだ。



「…本当は」
「ん?」
「玄関を開ける度に覚悟してるよ」
「私が死んでるかも、って?」
「ああ」
「覚悟を無駄にしてばかりで、ごめんね」


大きな目が細められて笑顔をつくる。
彼女の微笑みは、いつからか俺の生き甲斐になっていた。
手にした途端に、必ず失うことが決まっている生き甲斐。


「なあ、★」
「うん」
「…やっぱりいい」
「え、なによ」


俺と住まないか、
そう言ってしまいたかった。

彼女が目をぱちくりさせて、困ったように笑うと分かっているのに。

なあ、
ただの患者のために、俺はこんなに尽くしてやれるような出来た人間じゃない。

お前だから、なんだ。


決して口にできない想いだけが、この家に来る度俺の中に落ち葉のように積もっていく。



「…なんだか眠くなってきたわ」
「そうか、寝るならベッドで寝ろよ」
「ローが来てくれた日はね、いつもよりよく眠れるのよ」
「……そうか」


この落ち葉が積もったあとは、


「すこし怠いの」
「…ベッドまで運んでやる」


肥沃な大地になるだろうか、


「ねえ、」
「ん?」
「眠れるまでここにいて」
「…ああ」


そこに花は咲くだろうか、


「★」
「…」
「おやすみ」
「ロー…」


初めて落としたキスは、きっと最初で最後。


「……愛してる」





(つたわらない熱)




20180521









TOP



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -