ちくしょうめ、痛いぞ。
なにがちくしょうって、廊下で全力疾走して私の肩に激突してきた男子学生なのか、余所見をしていて受け身を取れなかった私なのか。

そんなの、私が余所見する理由になったあの男に決まっている。
こんなに苛々するのも。


場所が悪かったのだ。
長い廊下の右側を真っ直ぐ進んでいた私は、前方遠くからこちらの方向に向かってくる白衣の男を見つけてしまった。
うげぇ、なんでこんなとこ歩いてんだ保健室逆方向だぞ、と思ってすぐにここが職員室近くだと気付いた。

歩く度ふわふわ揺れる目立つ赤毛が近付いてくるのを、視界の端に入れてしまう自分に嫌気を感じてため息をつくその瞬間、右へと分かれた廊下から飛び出してきた男子学生とぶつかった。


とりあえず驚いた。
次には左肩から床にダイブだ。
か、かっこわるい。どうやら全くの無傷であろう、ぶつかってきたそいつが大丈夫ですかとわたわたしている声が聞こえて目を開いた。

あ、うそ、赤毛がこっち見てるよ。

やばい、このままだと保健室行きだ。
慌てて上半身を起こせば身体の打った部分がじんじんと痛む。それでもへたりと座り込んだままではいられなくて、壁に手を付いて立ち上がった。
そこでくらり、視界が歪む。これが立ち眩みというやつだろうか。にしても大分重い立ち眩みな気がする。
そういえば昨晩ロクに寝てないや。また床にダイブしなくちゃいけないのかと、手放しかけた意識の中に床ではない体温を感じた。


ああ、結局保健室行きかあ。






白衣がふわり。髪がふわり。マスクで覆われた口元。青緑色の綺麗な瞳が、好きだった。

大した関わりもないし、関わるつもりもない。どうもこうもなるわけがないので、なにもしない。卒業すればそれでお終い。
格好良い先生がそういえば居たね、と、青くさい思い出になるだけ。それが一番の願いだから。

だから近寄らないで、見つめないで、触らないで、おねがい。悲しい想いなどしたくないの。



「…すみません」
「いや、いい。」


なんでこんなことになってしまったのだろう。
目を覚ませばそこはやはり保健室だった。消毒液のにおいが鼻につく。先生がベッドまで運んでくれたのだろうか、あそこからこの保健室まで?抱えて?なんという羞恥プレイだ。
きっと先生も恥ずかしかったはずだ。想像でしかないけれど。だとしたら完全に私の事を覚えてしまっただろう。…いや、今後関わらなければきっとすぐに忘れてくれる。大丈夫だ。


「どこか痛くないか?」


落ち着いた調子の声で事務的な言葉。先生の声をしっかり聞いたのは今回がはじめてだったかもしれない。なんでそんなに少ない情報量で彼のことを恋愛対象に見れたのか、自分でも呆れるほどに謎である。
大丈夫です、と立ち上がろうと足を動かした時、異変に気付いた、…痛い。


「…足?」
「だ、大丈夫です!」


大事なことだったのでもう一度言わせて貰った。
けれども私、自転車通学なんですけど。全然大丈夫な気がしない。このふらふらの身体とずきずきする足で20分漕げと言うのか、仕方がない、自転車を置いて歩いて帰ろう…それもまた途中で倒れそうだが、ここで余計な問答はしたくない。


「担任には言ってあるから、今日は帰って」
「分かりました」


なんということだ、私のクラスまで知っているのかこの人は。誰かに聞いたのだろうか、勘弁していただきたい。

足は大した痛みじゃない、きっと歩く分には大丈夫だ。ゆっくり帰ろう。
廊下に出ればざわざわと騒がしかった。そうか、休み時間だ。
自分の教室はこことは反対方向にある。遠さに絶望したくもなる。一歩進むたびじわりと足首に広がる鈍い痛みに憎らしさを覚えて。

ついてない日、というのは今日のような日のことだ。まあ、最初で最後の保健室だったと思えば、これもまた青い思い出となって霞んでいくのだろう。





正門前で之芭先生に会いました。
白衣を着ていない先生は新鮮でした。
彼のマイカーであろうそれに乗って。

「どこか出張ですか?」
「…早く乗って」
「え」
「家、どこ?」

之芭先生の車の中は、
消毒液のにおいがしました。







***
神様、そんなにわたしがきらいですか。
それとも愛されすぎたのですか。
責任とって幸せくださいな。